この記事でご紹介する「落下の解剖学」は、2023年公開の法廷スリラー映画。フランスの地方都市グルノーブルから、更に山中に入った山荘で起きた男性の転落死が、決定的証拠が見つからないため不審死扱いとなり、死んだ男性の妻を被告人とした裁判へと発展していく物語。
表面上は法廷サスペンスのように見えるが、本質は夫婦の確執を描いたドラマ作品。しかも、2023年第76回カンヌ国際映画祭で、パルム・ドール(最高賞)を受賞したほどの傑作。
この映画を初めて観る方のことも考えて、ネタバレなし で、作品の特徴、あらすじ(序盤に限定)、見どころを書いて行きます。この映画の予習情報だとお考えください。
この映画を観るかどうか迷っている人、観る前に見どころ情報をチェックしておきたい人 のことも考え、ネタバレしないように配慮しています。
日本国内でも2024年2月23日(金)から公開されたこの映画。ハリウッド映画とは完全に一線を画す、個性的な作品なので、この記事である程度予習をし、その上で鑑賞するか否かを決めるのはいかがでしょう?
丸腰で151分の上映時間に突入するのは、ややリスキーかと思います。
概要 (ネタバレなし)
この作品の位置づけ
「落下の解剖学」(原題:Anatomie d’une chute、英題:Anatomy of a Fall) は、2023年公開の法廷スリラー映画。フランスの映画制作会社2社(Les Films Pelléas、Les Films de Pierre)が制作したフランス映画である。
フランスの小さな地方都市グルノーブル。ここから更に山中に入った人里離れた山荘で、1人のフランス人男性が屋根裏部屋から謎の転落死を遂げる。警察の捜査では決定的な証拠が見つからなかったため、事故、自殺、殺人かが判然とせず、死んだ男性のドイツ人妻が容疑者として逮捕され、裁判が進められて行く物語。
裁判の被告人にされる、死者の妻であり、ドイツ人小説家をザンドラ・ヒュラーが熱演。そして遺体の第一発見者であり、強度の視覚障害を持つ夫婦の11歳の息子ダニエルを、ミロ・マシャド・グラネールがこれまた熱演している。
ジュスティーヌ・トリエとアルチュール・アラリが脚本を担当し、トリエは監督も担当している。トリエにとっては、「Age of Panic」(2013年) で長編監督デビューを飾って以来、自身にとって4作目の長編監督作品となる。
トリエ監督は、前作「Sibyl(邦題:愛欲のセラピー)」(2019年) でもザンドラ・ヒュラーを脇役に起用しており、2人は本作「落下の解剖学」(2023年) が2度目のタッグとなる。
人間の細かな感情の機微や、複雑な人間関係を描くこと、特にそれを自立した女性の生き方と重ね合わせて描くことに定評のあるジュスティーヌ・トリエ監督が、信頼できる名俳優ザンドラ・ヒュラーを主演に迎え、思う存分才能を発揮して撮ったキャリア最高傑作が、この「落下の解剖学」であるといって差し支えないのではないか。
原作
本作品は、ジュスティーヌ・トリエとアルチュール・アラリによるオリジナル脚本なので、原作、もしくは原作本という物は存在しない。
二人が書いたこの脚本は高い評価を得て、ゴールデン・グローブ賞、英国アカデミー賞を始め複数の映画賞のオリジナル脚本賞を受賞した。
トリエの本作におけるテーマは、夫婦という、言ってしまえば他人同士が、長年生活を共にすることによって生じる負の化学反応を細部に渡って描くこと。それから、フランス語を母国語としない被告人が、法廷で不完全なフランス語を使うことによって生じる言語の壁を描くことである、といった主旨の発言をインタビューでしている。
芸術的評価
この作品は、2023年第76回カンヌ国際映画祭で最高賞に当たるパルム・ドールを受賞した。
第96回アカデミー賞では、作品賞、監督賞、主演女優賞、脚本賞、編集賞の5部門にノミネートされ、アルチュール・アラリとジュスティーヌ・トリエの2人が見事に脚本賞を受賞した(発表は2024年3月10日、日本時間同11日)。
Rotten Tomatoes(ロッテン・トマト)では、96%とこの上なく高い支持率を得ている(Rotten Tomatoesでは60%以上が『新鮮』、60%未満が『腐っている』という評価)。そして総評においても、”家族ドラマに根差した、スマートでソリッドな手続きが描かれた『落下の解剖学』は、主演のザンドラ・ヒュラーと、監督/共同脚本のジャスティーヌ・トリエの絶頂期の力を見つけることが出来る” と、評されている。
商業的結果
この映画の上映時間は151分と標準よりもかなり長めである。製作費は公表されていないが、世界興行収入は3千万ドル弱を売り上げたと報じられている。
この結果は、ハリウッド映画ではなく、フランス映画であることを念頭に置いて評価すべきと考える。
国内の上映館
本作は、2024年2月23日(金)から日本国内でも劇場公開されたが、劇場上映館はこちらの公式サイトで確認することが出来る。
あらすじ (映画冒頭部分のみ)
フランスの地方都市グルノーブル。人口16万人程度のこの小さな町の、更に人里離れた山中にある一軒家の山荘で、夫サミュエル(サミュエル・タイス)、妻サンドラ(ザンドラ・ヒュラー)、強度な視覚障害を持つ11歳の息子ダニエル(ミロ・マシャド・グラネール)は、親子3人でひっそりと暮らしている。
ある日、ドイツ人であり、作家である妻サンドラは、取材に訪れた作家志望の女子大生をリビングルームに招き入れ、久々の家族以外との会話を楽しもうとしていた。ところが、屋根裏部屋をDIYで改装している夫サミュエルが、嫌がらせとしか思えないような大音量で音楽を流してきたので、サンドラと学生はインタビューの日を改めることにする。
その間、息子ダニエルは、ガイド犬のスヌープと連れだって山中を散歩に出かける。
1時間ほどして、ダニエルが犬と共に散歩から戻り、依然として大音量の音楽が漏れてくる山荘の正面まで近づくと、父サミュエルが地面の雪の上に変わり果てた姿で倒れていた。どうやら屋根裏部屋から転落したようだ。ダニエルは大慌てで母サンドラを呼び、サンドラは大至急救急に連絡をするが、サミュエルはそのまま帰らぬ人となる。
警察は徹底した現場検証と、遺体の検死を行うが、状況が詳らかになればなるほど、妻のサンドラの立場が悪くなって行く。
というのも、遺書は見つからないため自殺の線は薄く、これまでのサミュエルの慎重な行動パターンから足を滑らせた事故の線も薄い。そして、第三者が家屋に侵入した形跡も無いため、当時寝室で昼寝をしていたと証言している妻のサンドラに、殺人の疑惑が向けられ始めたのだ。
サンドラは、学生時代からの旧友の弁護士ヴァンサン(スワン・アルロー)を弁護人として雇い、二人で抗弁について議論を重ねるが、その過程で、サミュエルとサンドラの夫婦仲は、実はシックリと行ってなかったことが少しずつ明らかになっていく。
そしてその原因はどうやら、7年前に息子のダニエルが遭った交通事故にまで遡るようで、その時に負った傷が原因で4歳のダニエルが強度の弱視になったことが、夫婦関係に大きな影を落としているようだ。
そうこうしている内に、遂に検察はサンドラを被告人とした裁判に踏み切る。
果たして、事件当日、夫婦に何が起きたのだろうか?事件に至るまでの数年間、夫婦の関係はどのような変遷を辿ってきたのだろうか?
見どころ (ネタバレなし)
この映画の見どころを3つの観点に絞って書いてみたいと思います。
ただしどれも、この映画の基本コンセプトを述べるに留めます。その主旨は、これからご覧になるかも知れない151分の長編が、『チッ!思ってたのと違った!』という事故を避けるための羅針盤だとお考えください。
どれもネタバレはしませんので、その点は安心してお読みください。
真相は闇の中
この映画では、転落死の真相は伏せられたまま裁判は進んで行きます。刑事コロンボのように最初に事件のあらましが映し出される訳でも、名探偵が現れて現場のトリックを見破り、真実に近付いて行くという類の映画でもありません。
特筆すべきは、主演のザンドラ・ヒュラー本人にも、事件の真相は伝えられないままに撮影は進行した点です。
作中では、夫サミュエルは(上述の「あらすじ」にもあるように)映画のかなり早い段階で死んでしまうので、彼の生前の描写は、妻子の記憶に基づく証言の中か、写真等の記録媒体を通してでしか登場しません。
すなわち、あの日あの時、サミュエルの身に本当は何が起こったのか?は、闇に伏せられたまま、断片的な情報や、誰かの主観が加えられた証言でしか、我々観客も近づくことが出来ません。
これが2時間以上続くわけですから、この長尺の緊張感に耐えられるか?が、好みの分かれるところだと思います。皆さんの目にはどう映るでしょうか?
唯一の証人は視覚障害のある息子
事件は、人里離れてひっそりと暮らす3人家族に起きます。そして3人の内、父が被害者、母が被告人となると、その場に居合わせた残る人物は、11歳の息子ダニエルだけというシチュエーションに陥ります。
しかも事件当時は、山荘の外まで聞こえる大音量で音楽が流れ、ダニエルは強度の弱視となると、彼の聴覚と視覚に頼った証言には信憑性を持てないことになります。
すなわち、裁判の焦点は(=監督の描写のスポットライトは)、ダニエルとサンドラの母子の関係、ダニエルとサミュエルの生前の父子の関係、そしてサンドラとサミュエルの生前の夫婦関係へと軸足が移って行きます。
詰まるところ、この映画が掘り下げて行くのは、妻と息子の目線を通して語られる、家族3人それぞれの姿なのです。この何とも生々しい2時間半の物語は、皆さんの心に何を残すでしょうか?
等身大の女性の姿
ザンドラ・ヒュラーの演技が素晴らしいです。
小説家というプロのキャリアを持ち、障害のある息子を抱え、夫の母国フランスの山奥に暮らすドイツ人女性の、等身大の姿を生々しく演じています。
真相を知らずに撮影が進んだ甲斐もあってか、彼女の演じるサンドラ像はニュートラル、もしくはかなりクールに映るかも知れません。
被疑者になってなお、家族の尊厳を守るために、真実に正直であろうとするサンドラの姿は、この映画に二重三重の深みを与え、薄っぺらい法廷サスペンスと完全に一線を画す原動力になっていると思います。お見逃しなく!
その辺にいそうな中年のおばちゃん感が妙にリアル・・・
まとめ
いかがでしたか?
非常に噛みごたえのある本作の、ほんのさわりをお伝えしただけですが、この映画の鑑賞がより味わい深いものになる一助になっていると嬉しいです。
この作品に対する☆評価ですが、
総合的おススメ度 | 4.0 | 好き嫌いは分かれると思う |
個人的推し | 4.5 | この余白を楽しめるなら是非! |
企画 | 4.5 | 家族のドラマを法廷物に仕立てるアイデアよ! |
監督 | 4.5 | この緊張感! |
脚本 | 4.0 | 151分でも短くまとまってる方かと |
演技 | 4.5 | 母子の演技が素晴らしい! |
効果 | 4.0 | 1箇所度肝を抜かれる編集が! |
このような☆の評価にさせて貰いました。
ハッキリ言ってフランス映画です。ハリウッド映画ではないです。だから、余白が一杯。
いわゆる法廷サスペンスではなく、観客が能動的に想像力の翼を広げることを暗に要求してきます。寝不足だと辛いかも。
でも、本当に素晴らしい作品です!