この記事でご紹介する「デューン 砂の惑星 PART2」は、2024年公開のSF大作。2021年に公開された前作「DUNE/デューン 砂の惑星」の続編となるシリーズ2作目である。当初は2部作とも報じられていた本映画シリーズだが、2024年2月にドゥニ・ヴィルヌーヴ監督が、3作目が自身にとっての最後の『デューン』である旨の発言をしたことから、3部作構想に方針変更されたようである。
この映画を初めて観る方のことも考えて、ネタバレなし で、作品の特徴、あらすじ(序盤に限定)、見どころを書いて行きます。この映画の予習情報だとお考えください。
この映画を観るかどうか迷っている人、観る前に見どころ情報をチェックしておきたい人 のことも考え、ネタバレしないように配慮しています。
過去にも複数回映像化されてきたこの物語も、21世紀に入ってからは初の映画化(しかも、シリーズ化!)。ただし、叙事詩とも叙情詩とも、どっちともつかない作風は、良く言えば独特の世界観、悪く言えば中途半端で中身空っぽと言えなくもない。
上映時間の166分という貴重な時間をドブに捨てないためも、この記事でどのあたりがつまらない(と感じる恐れがある)かを予めチェックしておくことを強くオススメします。
概要 (ネタバレなし)
この作品の位置づけ
「デューン 砂の惑星 PART2」(原題:Dune: Part Two) は、2024年公開のSF映画。フランク・ハーバートが1965年に発表した「デューン砂の惑星」を原作としている。2021年公開の前作「DUNE/デューン 砂の惑星」の続編。
大枠の概要は、皇帝シャッダム4世の策謀により、惑星アラキスでハルコンネン家から奇襲を受け壊滅的な打撃を受けたアトレイデス家。一族は全滅したかのように思われたが、一家の嫡男ポールとその母ジェシカは、命からがら砂漠へと逃れ、そこで出会った砂漠の民フレーメンの一団と行動を共にするようになる(ここまでが前作)。
ただし、これはフレーメン・コミュニティ全体が母子を受け入れたという意味ではない。フレーメン社会の中で、ポールを伝説の救世主と仰ぐ一派と、母子を単なるよそ者として排除しようとする一派の対立は激しく、ポールとジェシカの母子は、生き延びるために、そして自分達の存在意義を示ために、命賭けの試練に臨むよう迫られていく。
このシリーズ2作目では、元々高貴な血を引く若き主人公が、己の運命に翻弄されながらも、殺伐とした辺境でピンチを切り抜け、徐々にその真価を発揮していく貴種流離譚(貴種漂流譚)が、いよいよその本領を発揮していく内容となっている。
1作目がその振りとなる種まきの序章なら、この2作目はそれを刈り取り、一定の結論を出すところまでが期待される。果たして、本作はこの壮大なストーリーにどう決着を付けるのか?に注目が集まるところである。
こういった事情もあり、当初本作品は、前作と2部作を構成する最終作と目されていたが、2024年に入り、監督の口から追加でもう一本制作し、それを最終作とする旨が発信され、映画シリーズとしては全3部作で完結することが明らかになった(少なくとも、ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督は、次回作を自身が監督する最後の『デューン』にすると述べた)。
制作陣
この第2作の制作陣は前作の1作目とほぼ同じ顔ぶれである。
- 監督
- ドゥニ・ヴィルヌーヴ
- 脚本
- ジョン・スペイツ
- ドゥニ・ヴィルヌーヴ
- エリック・ロス
- 製作
- メアリー・ペアレント
- ドゥニ・ヴィルヌーブ
- ケイル・ボイター
前作との差異は、製作からジョー・カラッチョロ・ジュニアが退いたことぐらいである。
2作目は、1作目と同じスタッフ、交代なしの配役、同じコンセプト、同じ緊張感で制作されたことが窺い知れる。すなわち、ドゥニ・ヴィルヌーヴが大いにイニシャティブを執った作品と言える。
原作との関係性
上述のヴィルヌーブ監督による3部作発言とも関連するが、映画シリーズと原作シリーズとの関係性は若干ややこしいのでここで一旦整理したい。
まず小説シリーズから。フランク・ハーバートが1965年から発表した『砂の惑星』シリーズは以下の全6巻から構成されている。
- 「デューン砂の惑星」(1965年)
- 「デューン砂漠の救世主」(1969年)
- 「デューン砂丘の子供たち」(1976年)
- 「デューン砂漠の神皇帝」(1981年)
- 「デューン砂漠の異端者」(1984年)
- 「デューン砂丘の大聖堂」(1985年)
では、映画シリーズ2作目は、小説シリーズ2作目の「デューン砂漠の救世主」を原作にしているのかというと、実はそうではない。映画シリーズ2作目の原作も小説シリーズ1作目の「デューン砂の惑星」が原作である(ところがややこしい)。
というのも、小説シリーズ1作目の「デューン砂の惑星」は大変な長編小説で、過去2回に渡って日本国内で出版された翻訳本も、それぞれ全3巻、全4巻に分割されて編集されたほどだ。
ただし、本映画までの映画2作で小説シリーズ1作目の「デューン砂の惑星」の内容はカバーされたので、映画3作目は、小説シリーズ2作目「デューン砂漠の救世主」(もしくはそれ以降の小説)を原作とするであろうというのが大方の見方である。
評価
Rotten Tomatoes(ロッテン・トマト)では、92%とこの上なく高い支持率を得ている(Rotten Tomatoesでは60%以上が『新鮮』、60%未満が『腐っている』という評価)。そして総評においても、”視覚的に刺激的で物語も壮大な『DUNE 砂の惑星 PART2』は、愛されているSFシリーズが、ドゥニ・ヴィルヌーヴの手により、壮観な形で継続していることを示しています。” と、評されている。
要は、2作目も、1作目で獲得したファンが待ち望む形で実現したということなんだと思う。
商業的成果
この映画の上映時間は166分と大変長い(1作目の155分より更に長くなっている)。制作費に関する情報は残念ながら見つけられず。世界興行収入は、公開後2週間が経過した2024年3月16日時点で、3億8千9百万ドルと報じられている。
この絶対額だけを見ると、間違いなくヒット作だと言える。
あらすじ(映画冒頭のみ)
皇帝の命により、スパイスが収穫できる惑星アラキスの統治を開始したアトレイデス家は、その皇帝自身とハルコンネン家の密約に基づき、ハルコンネン家に奇襲され壊滅的な打撃を受けてしまう。
当主のレト公爵を始め、将校、兵隊が次々と倒されて行く中、公爵家の嫡子のポール(ティモシー・シャラメ)とその母ジェシカ(レベッカ・ファーガソン)は、拘束状態から砂漠へと何とか脱出することに成功する。
しかし、惑星アラキスの砂漠は、過酷な自然環境に加え、巨大な砂虫(サンドワーム)が出現することで知られ、母子はピンチに陥るが、砂漠の民フレーメンの一団と遭遇し、ポールが決闘の試練を乗り越えたことで、その一団のリーダーであるスティルガー(ハビエル・バルデム)の信望を得ることに成功する。
そしてそのフレーメンの一団には、ポール(ティモシー・シャラメ)の夢に何度も現れていたチャニ(ゼンデイヤ)もいた(ここまでが前作)。
アラキスには、アトレイデス家の残党狩りのために、ハルコンネン家の部隊が執拗に現れるため、フレーメンの一団と母子はこの追っ手の捜索をかいくぐりなら、何とかフレーメンの集落シエッチ・ダブルへと到着する。
ところがフレーメンのコミュニティでは、この母子をスパイと疑い砂漠に放逐すべきだと主張する一派と、スティルガー(ハビエル・バルデム)を筆頭に、ポールこそが予言された「外の世界から現れた男」、すなわち救世主だと主張する一派とに分かれ激論が交わされる。
結果、母ジェシカ(レベッカ・ファーガソン)は、凡人が飲むと命を落とすと言われる聖なる水を飲み、コミュニティの教母の後継者に相応しいかの試練を受けることになり、息子のポール(ティモシー・シャラメ)は砂漠の一人旅を生き延びられるかの試練を受け、一人前の砂漠の民であることを証明をする運びになる。
息子ポールを選ばれし者として育てたい母ジェシカと、己の力量に懐疑的なポールとの間に温度差がある中で、彼らの運命はどうなって行くのか?
ポール救世主説には反対の意を唱えながらも、彼の身の安全を人一倍案じているチャニ(ゼンデイヤ)。
ハルコンネン家が、惑星アラキスの支配の手を益々強めようとする中、母子は予言を体現する存在となって行くのだろうか?ポールとチャニの仲はどのような進展を見せるのだろうか?
見どころ (ネタバレなし)
当Webサイトでは、本来ならこの章で当該作品の見どころをネタバレなしで3~5個ほどご紹介し、これからその作品をご覧になる方が、より味わい深く鑑賞するお手伝いをするのを旨としています。
しかし、本作品「デューン 砂の惑星 PART2」には、(個人的に)おススメしたい見どころが全く無いぐらい退屈だった。よって、賛否両論の否定派として、どの辺りがつまらなく感じるかのリスクを共有することで、この映画を観るか迷っている方に、ネタバレを避けつつ、より精緻な予備情報をご提供したいと考えます。
叙事詩なの?叙情詩なの?
一般的には、デューン・シリーズは叙事詩に位置付けられているんだと思います。実際のところ、広大な銀河や惑星を舞台に、複数の勢力がしのぎを削って争って行く物語なので。要は銀河戦争ですね。
しかし、作中で大小様々な事件が描かれるものの、それらによりイベント・ドリブンな推進力が発生し、鑑賞しているこちら側はワクワク、ハラハラしながらその事件の流れに吸い寄せられて行くかというと、それは全くありませんでした。ストーリーに抑揚が無いので醒めたままなんですよね・・・(個人の感想)。
では、いっそ叙情詩なのか?静かに主人公たちの感情を堀り下げることに重きを置いているのか?とも考えましたが、主人公のポール(ティモシー・シャラメ)を筆頭に、誰にも自分の感情を寄り添わせることが出来ませんでした。描写が淡白過ぎて誰にも感情移入できないんですよね・・・(個人の感想)。
特に主人公ポールには ”夢” という扱いで、心象風景のようなカットが挿入されることが(1作目に引き続いて)度々ありました。ところが、小道具や個性的な衣装や奇抜なメイクが、登場人物の内面的人物造形を追い越してしまっているんでしょうか?変わった格好をした人が次々出て来るなぁぐらいで感情の機微が読み取れません・・・(個人の感想です)
例外は、オースティン・バトラーのみ。
とにかく、壁を登ろうとしても、ツルツルの壁面のどこにも指が引っ掛からず、全く登って行けないようなもどかしさを覚えた166分でした。
既視感が否めず、かつ劣化版に見える
原作の「デューン砂の惑星」は1965年に出版された小説で、広大な宇宙を舞台にした壮大なサイエンス・フィクションでありながら、通底するテーマは神話的であり、恋する者、愛する者の物語であって、新たな地平を開拓したストーリーだと思います。
実際のところ、スター・ウォーズを筆頭に後の数々のSF作品に、この「デューン砂の惑星」の設定は流用され、素晴らしい映画作品が世に送り出されて行ったのは紛れもない事実で、それらは(悪意を込めて言えば)”デューンもどき”な訳です。
しかしいかんせん、それらの作品の方が先に映像化されているため、2024年現在にこの「デューン 砂の惑星 PART2」を観ても、どのシーンもどこかで観たことある既視感が否めません。
このカット、この設定、どっかで観たなぁの連続になっちゃうんですよね。
出てくる絵面も、どれもこれも砂漠を背景にした、平凡な構図ばかりでストーリー性を感じられず・・・
おもけにCGも、いかにもコンピュータで描かれた作り物に見えてリアリティに乏しく、既に慣れ親しんだ映画の劣化版のような・・・(個人の感想です)。
上述の叙情詩、叙事詩問題も手伝って、目に飛び込んでくる情報を、どういう感情で受け止めて良いのか分からないまま時は過ぎて行く(いや、退屈過ぎて中々時が過ぎて行ってくれない・・・)。
殺陣(たて)がショボい
トドメは殺陣(たて)がショボいことですね。
空爆で敵を攻撃するのは卑怯だ。正々堂々剣で戦え!的な哲学があるのは、スター・ウォーズ等と共通(=スター・ウォーズが真似してるんですが・・・)です。
では、その剣闘シーンはどうかと言うと、殺陣(たて)がショボいです。殺陣の振り付けに真新しさがないのみならず、カットも編集もパッとせず、スリルの乏しい肉弾戦に終始します。
ここに重きを置いていないのかも知れません(では、どこに重きを置いているのだ???)
あのスリル、あの物悲しさ、あのスペクタクルがココには在りません。
何に着目したら良いのかが解らないまま、やたらと衣装だけ派手で、画も凡庸、アクションにも真新しさがない、どうしたら良いんだ!!!と言う感じ。
まとめ
いかがでしたか?
あくまでも賛否両論の否定派の一つぐらいに受け止めて頂けるとありがたいです。ただ、この作品ちょっと怪しいぞ!っていぶかしんでいる方には、事前警告情報としてお役に立てると幸いです。
この作品に対する☆評価ですが、
総合的おススメ度 | 1.5 | 観なくて良いです。長いし。 |
個人的推し | 1.0 | 観ない方が良いです。長いし。 |
企画 | 3.5 | 企画に罪はない |
監督 | 1.5 | 筆者では理解が追い付きません |
脚本 | 1.5 | 抑揚・描写が・・・ |
演技 | 2.5 | 豪華出演陣の無駄遣い |
効果 | 2.5 | 音の響きだけが凄い |
このような☆の評価にさせて貰いました。
観るか迷っているという方は観なくて良いと思います。166分が本当に長く感じられました。
企画に罪は無いと思うのですが、脚本も演出も中途半端過ぎて、筆者の脳ミソでは作品の意図について理解が追い付きませんでした。出演陣の演技力のポテンシャルはもっと高い筈で、揃いも揃って無駄遣いではないでしょうか・・・