この記事では、ゴッドファーザー三部作の3作目「ゴッドファーザー 最終章:マイケル・コルレオーネの最期」について解説します。ただしこちらは、製作から30周年を記念して(1990年→2020年)再編集されたバージョンについてです。こちらが、オリジナルのPARTⅢとどう違うのか?そもそもこの三作目にはどんな魅力があるのか?を書いて行きます。
この映画を観るか迷っている方は、後でご提案する ”ジャッジタイム” までお試し視聴する手もあります。これは映画序盤の、作品の世界観と展開が ”見えてくる” 最短のタイミングのことで、作品が気に入らなかった場合に視聴を離脱する目安タイムです。
もし、この映画が気に入らなかった場合でも、このジャッジタイムで観るのを止めちゃえば時間の損切りができます。タイパ向上のための保険みたいなものです。
この映画を初めて観る方のことも考えて、ネタバレなし で、作品の特徴、見どころを書いて行きます。この映画の予習情報だとお考えください。
この映画を観るかどうか迷っている人、観る前に見どころ情報をチェックしておきたい人 のことも考え、ネタバレしないように配慮しています。
ジャッジタイム (ネタバレなし)
本作における、そのまま見続けるのか、見るのを止めるのかのジャッジタイムですが、
- 上映開始から37分00秒をご提案します
ここまで行けば、本作の世界観とトーンが一巡するので「ああこの映画やっぱり好きだわー」か「やっぱりちょっと違うかも・・・」の判断が付くかと思います。まずはこのポイントまでお付き合いいただければと思います。
概要 (ネタバレなし)
オリジナル版とCoda版
ゴッドファーザー・シリーズの3作目。ただしこの作品は、1990年に Part Ⅲ (上映時間162分) として公開され、その30周年の2020年に映像や音声の修復に加え、再構成(=シーンのカットや登場順序の入れ替え)が施されてCoda (最終章・上映時間158分) として再公開された。Coda の原題は「The Godfather Coda: The Death of Michael Corleone」という。
現在2023年時点では、オリジナル版よりCoda版 の方がより多くのストリーミング・サービスで視聴できるようなので、本投稿では Coda 版のストーリー構成を念頭に置いてネタチラを書きたいと思う。それに、もう少し細かい話は後で書くけど、Coda 版の方が見易くて分かり易いしね。
これ以降、前2作との対比を記述する際には、便宜的にPart Ⅲと書かれた箇所が目に付くと思うが、それもあくまでもCoda 版のPart Ⅲを指しているのだと思って読んで貰えるとありがたいです。非Coda版は、明示的にオリジナル版と書いて区別しますので。
オリジナル版よりCoda版がおススメだよ
シリーズ全体の世界線
まずは、本シリーズの世界線をおさらいしておこう。
- Part Ⅰは、1945年~の世界(1972年公開、アル・パチーノ 当時32歳・25歳役)
- Part Ⅱが、1958年~の世界(1974年公開、アル・パチーノ 当時34歳・38歳役)
- Part Ⅲが、1979年~の世界(1990年公開、アル・パチーノ 当時50歳・59歳役)※ オリジナル版
- Coda版が、1979年~の世界(2020年公開)
となる。つまり、オリジナル版は前作と比較して、実世界で16年後、劇中世界で20年後を描いた格好になる。Part Ⅰ,Ⅱが明らかに持続的なテンション、継続的な陣容で制作されたのに対して、本Part Ⅲは、前2作から相当な期間が開いた上で、それ以上の時を経た世界を描いた作品である。
よって Part Ⅲ(オリジナル版・Coda版)では当初から、前2作とは大きく異なるテーマを扱おうと試みたのは明白で、その意図がアル・パチーノ扮するマイケル・コルレオーネの老けメイクによく現れている。
というのも上述の通り、アル・パチーノは当時実年齢50歳で59歳設定のマイケル役を演じた訳だが、劇中では59歳よりも遥かに老けて見えるメイクが入念に施されている。マイケルがドンとしてコルレオーネ・ファミリーを率いて30余年、様変わりした世界で今度は一体何が起きるのか?を際立たせたい描写なんだと思う。
一味違うPart Ⅲは、何がテーマなんだろうね?
主題(テーマ)
と言う訳で、本作のテーマ(主題)にネタバレなしで触れておきたいのだが、このシリーズに通底する「家族」というテーマは、相変わらずド本丸として鎮座しているように思う。
ただし、以下のような目線を通して、前2作とは切り口が異なるので、以下3つを頭の片隅に置きながら本作を視聴すると、初見からスッキリとストーリーが頭に入るのではないかと思う。
- 話は次世代に
本作で描かれる家族との関係性はいかなるものか?は、ズバリ!親離れをしようとしてる息子や娘との関係。そして、既に自立している甥(たち)との関係だ。前作までは親兄弟や妻という、同世代以上のキャラとの関係性に焦点が当たっていたことに鑑みると、話題が次世代に移ったと言える。 - ライフワークは実現されるのか?
家族のために、生涯を掛けてコルレオーネ・ファミリーを合法的な組織に脱皮させようとしてきたマイケル。体力、気力はどこまで持つのか? - 真の敵はいずこに?
前2作では外患内憂、すなわち外部の敵と闘いながら、内なる敵(悪性腫瘍に変化した体内細胞?)にも対処せざるをえなかったマイケルとコルレオーネ・ファミリー。合法的組織に脱皮しつつあるコルレオーネ・ファミリーの真の敵は誰か?
2つの版の違い、どっちがおススメ?
この辺りの目線を通して「家族」というものを描きあげようとした時に、重要度の低いシーンは削り、よりストレートに上述の目線、特に2と3を分かり易くなるよう一部のシーンの順番を並び替えたのがCoda版だと思う。
筆者はオリジナル版を4,5回、Coda版を2回観たが、もう一度観るとしたらCoda版を選ぶ。Coda版の方がスッキリしていて、4分間という時間差分以上にテンポ良くストーリーが進行するように思う。
合法化を推し進めるファミリー内部で、話題の中心は子供世代に。
では真の敵は誰なのか?
Coda版は、この目線がテンポ良く描かれ、主題がクリアになったよ
我々の世代には、この世代交代が一番興味深いよね
見どころ (ネタバレなし)
俳優陣
上述の通り、話題が次世代に移ったことにより、何人かの新たな俳優陣が登場する。
まずはヴィンセント役のアンディ・ガルシアにご注目いただきたい。マイケルの亡き兄ソニー(サンティーノ)の私生児(つまりマイケルの甥)として登場する。
劇中で「(父の)ソニーは、イタリア人街のプリンスだった」という台詞が彼の口から出てくるが、あんたこそイタリアン・プリンスだよ!と言いたくなる、端正な顔立ちと全身から醸し出される色気(本人はキューバ系らしいが)。
シナリオにガルシアを当て込んだのか、ガルシアを意識して台本を書いたのかはさておき、「アンタッチャブル」「ブラック・レイン」と順調にキャリア積んできたこのガルシアの存在感が、コルレオーネ・ファミリーの血筋の正当性を体現し、目線が次世代へと移って行く本作に説得力を与えているのは間違いないと思う。
原作では、父ソニーと愛人ルーシー(ヴィンセントの母)の関係性に多くのページが割かれて描かれるので、それが頭に入っていると本作を初めて観た時に「コイツ突然どこから出て来た?」感は軽減されるんだけどな。
ウィノナ・ライダーに病気を理由に出演を断られたために、重要な役どころであるマイケルの娘メアリー役には、フランシス・フォード・コッポラの娘、ソフィア・コッポラが抜擢された。
ソフィア・コッポラを「ロスト・イン・トランスレーション」を代表作とする映画監督だとしか認知していない世代にとっては意外な事実かも知れない。オリジナル版が公開された際、本作への評価はかなり悪かった。興行収入も前2作よりも悪かった(物価は通常自然と上がって行く事実を加味すると、本作の”外した”感は相当強まる)。
評価が悪いのは複合要因に起因するにも関わらず、ソフィア・コッポラに対するブスだの、下手クソだとの批判が集中して、スケープゴートにされた感があった。筆者的には、ソフィアのイタリア系らしい愛嬌のある顔立ち、少女から大人に脱皮しようとしている美しさや危うさ(当時19歳)、そして何よりも初々しい演技が、この役どころにピッタリだったと思うけど、その辺りを意識して観て貰えると、この映画の奥行を楽しめるんじゃなかろうか。
マイケルの息子アンソニー役はフランク・ダンブロシオという役者さんが演じている。ダンブロシオ氏の演技は可も無く不可も無くという感じで特に何も感慨を持たないのだが、この役はイタリア系の父マイケル(アル・パチーノ)とアイルランド系の母ケイ・アダムス(ダイアン・キートン)の間に生まれたという設定である。
実はこの役、当初はジョン・トラボルタにオファーが行っていたらしい。トラボルタもイタリア系の父とアイルランド系の母から生まれた子なので、血筋的にもバッチリ、皆まで言わないが、歌って踊れてということで、成人したアンソニー役はハマり役だったに違いない。この映画のもう一つの奥行。
アンディ・ガルシア、ウィノナ・ライダー、ジョン・トラボルタ夢の共演!なんていうのも観てみたった・・・
外部世界の変化
既述の通り、時代背景は1979年である。つまり、混乱の70年代から、あらゆる物事がビジネスライクに決定される80年代に正に切り替わろうとしている年代である。それを10年経った1980年代の終わりから客体視した作品である。
その時代、その時代の荒波を生き抜いてきたコルレオーネ・ファミリーが、この80年代特有のダイナミズムを、今度はどうやって生き抜こうとするのか?それがどう描かれているのか?をより強く意識して観て貰えると、時代設定の意図するところが飲み込めると思う。財団設立や多額の寄付、株式取得による企業経営権のダッシュとかとかとかとか。
その他の情報
筆者の本作に対するおススメ度合いは、 3.5/5.0 です。
減点対象は、
- 再構成されたテンポが上がったとは言え158分が長く感じられる
- マイケルの加齢・内なる苦悩・家族との関係性・外部の敵との闘いと、Coda版の再構成によりテーマの交通整理がなされたとは言え、依然として描かれる要素の渋滞状態は否めない
- そして、暴力シーンはどうしても付き物なのだけど、そこを敬遠される方はいらっしゃるかなと
それでこの☆にしました。
ちなみに・・・
そもそもこの3作目を制作すべきだったのか?という議論は、前2作と比較して評価が落ちる以上どうしてもついて回る(アカデミー賞は一部門も受賞ならず)。もともと完璧主義者で映像制作に金がかかるコッポラ監督が、当時ワイン造り等の映画以外の事業にも手を染めていて、自身の負債を埋めるために一発逆転を狙ってこの3作目を制作した見る向きもあったぐらいなので、何か語るに落ちるみたいな側面はありますよね・・・個人的は決して嫌いな作品ではないですけど。
Part Ⅲ(オリジナル版もCoda版も)も十分面白いし、世代的には唯一リアルタイムで観られた作品なので思い入れもあるよ!
でも、前2作が傑作過ぎて・・・
思い入れ縛りの無い我々の世代にも、Part Ⅲは十分面白いけどね。