この記事では1998年公開の「ユー・ガット・メール」について解説します。トム・ハンクスとメグ・ライアンの通算3作目のラブコメ共演。脚本・監督のノーラ・エフロンも含めた3人組という観点では、「めぐり逢えたら」に続く2作目のコラボレーション。二番煎じ?いやいや、こちらもとっても新鮮なストーリーで、何度でも観たくなる奥行きのある作品です。
この映画を観るか迷っている方は、後でご提案する ”ジャッジタイム” までお試し視聴する手もあります。これは映画序盤の、作品の世界観と展開が ”見えてくる” 最短のタイミングのことで、作品が気に入らなかった場合に視聴を離脱する目安タイムです。
もし、この映画が気に入らなかった場合でも、このジャッジタイムで観るのを止めちゃえば時間の損切りができます。タイパ向上のための保険みたいなものです。
この映画を初めて観る方のことも考えて、ネタバレなし で、作品の特徴、あらすじ(ジャッジタイムまでに限定)、見どころを書いて行きます。この映画の予習情報だとお考えください。
この映画を観るかどうか迷っている人、観る前に見どころ情報をチェックしておきたい人 のことも考え、ネタバレしないように配慮しています。
この作品の舞台となる今から約25年前は、男女のコミュニケーション手段が現代とはちょっと違ってました。その辺りの時代背景も振返りながら、この映画のどんなところが魅力的で、どんなところが人々の共感を得ているのか、皆さんと一緒に考えられたらなと思います。
ジャッジタイム (ネタバレなし)
この映画を観続けるか、見限るかを判断するジャッジタイムですが、
- 上映開始から30分20秒のポイントをご提案します。
ちょっと長めなような気もしますが、全体が119分ですので、全体の4分の1の段階で好き嫌いをご判断頂くということでいかがでしょうか?
概要 (ネタバレなし)
この作品の位置づけ
「ユー・ガット・メール」(原題:You’ve Got Mail) は、1998年に公開されたロマンティック・ラブ・コメディ。下の表にあるように、ラブコメの巨匠ノーラ・エフロンが監督、脚本(デリア・エフロンと共著)、製作(ローレン・シュラー・ドナーと共同)の三役をこなしている。ノーラ・エフロン色が強い作品だということがこの事実からも分かる。
監督 | 脚本 | 原作 | 製作 | 製作総指揮 | 音楽 |
ノーラ・エフロン | ノーラ・エフロン デリア・エフロン | ミクロス・ラズロ | ノーラ・エフロン ローレン・シュラー・ドナー | ジュリー・ダーク G・マック・ブラウン デリア・エフロン | ジョージ・フェントン |
ちなみに、脚本と製作総指揮に名を連ねているデリア・エフロンは、ノーラ・エフロンのすぐ下の妹。エフロン姉妹は、更にその下に、ヘイリー、エイミーという妹もいて全部で四姉妹。両親のヘンリー、フィービーも含めて家族6人全員が脚本家/小説家という驚異の物書き一家だ。
筆者は個人的に、「恋人たちの予感」(1989年:脚本)、「めぐり逢えたら」(1993年:監督・脚本)、「ユー・ガット・メール」(1998年:監督・脚本) が、ノーラ・エフロンの三大ラブコメだと思っている。それは、単に男女の恋愛を面白おかしく描くだけでなく、それぞれにちゃんとテーマが設定されていて、そこに奥深さを感じるからだ。
具体的には、以下のテーマが軸に据えられていると思っている。
- 「恋人たちの予感」(脚本を担当)→ 男女の間に友情は成立するか?
- 「めぐり逢えたら」(監督・脚本を担当)→ 運命の出会いって存在するのか?
- 「ユー・ガット・メール」(1998年)→ 時代の流れにどう対応して行くべきか?
本作については、詳しくは後の「見どころ」で述べたいと思うが、どの作品でも描きたいテーマを軸に据えた上で、それを魅力的なキャラクターと具体的なエピソードを通して描き切っちゃう、そのノーラ・エフロンのストーリテリング力にいつも感服してしまう。
ノーラさま、ありがたやぁ~
ノーラ・エフロンのキャリアにおける位置づけ
本作品がノーラ・エフロンのキャリアにおいて、どんな位置付けなのか、彼女のフィルモグラフィーを眺めながら簡単に振返ってみよう。まずは、下の表を見て頂きたい。
邦題 | 原題 | 公開年 | 監督 | 脚本 | 製作 |
シルクウッド | Silkwood | 1983 | 〇 | ||
心みだれて | Heartburn | 1986 | 〇 | ||
恋人たちの予感 | When Harry Met Sally… | 1989 | 〇 | ||
マイ・ブルー・ヘブン | My Blue Heaven | 1990 | 〇 | ||
ディス・イズ・マイ・ライフ | This Is My Life | 1992 | 〇 | 〇 | |
めぐり逢えたら | Sleepless in Seattle | 1993 | 〇 | 〇 | |
ミックス・ナッツ/イブに逢えたら | Mixed Nuts | 1994 | 〇 | 〇 | |
マイケル | Michael | 1996 | 〇 | 〇 | |
ユー・ガット・メール | You’ve Got Mail | 1998 | 〇 | 〇 | |
ラッキー・ナンバー | Lucky Number | 2000 | 〇 | 〇 | |
電話で抱きしめて | Hanging Up | 2000 | 〇 | 〇 | |
奥さまは魔女 | Bewitched | 2005 | 〇 | 〇 | |
ジュリー&ジュリア | Julie & Julia | 2009 | 〇 | 〇 |
ノーラ・エフロンは、
- 第一期では「シルクウッド」(1983年) ~「マイ・ブルー・ヘブン」(1990年) で映画脚本家専任
- 第二期では「ディス・イズ・マイ・ライフ」(1992年) ~「ユー・ガット・メール」(1998年) で脚本・監督兼任
- 第三期では「ラッキー・ナンバー」(2000年) ~「電話で抱きしめて」(2000年) で製作に挑戦
- 第四期では「奥様は魔女」~「ジュリー&ジュリア」で脚本・監督に回帰
というキャリアを送っている。本作「ユー・ガット・メール」は、第二期の最終盤にあたる。映画脚本家として9本目、監督として5本目。公開当時57歳。過去の経験値がこの作品に存分に生かされたであろうことは容易に想像が付く。
英語ミニ講座: ユー・ガット・メールの意味
邦題 ”ユー・ガット・メール” の原題の英語って何なの?っていうのが、結構話題になりますね。
その答えは “You’ve got mail.” そして、これは現代でいうアプリの”通知”であり、新着メールがあることを告げている。
このフレーズには短縮された ‘ve が隠されている。この短縮形を開いて元に戻すと、”You have got mail.” になる。これは英文法で言うところの現在完了形となるので「あなたは既にメールを受け取っています」というニュアンスが含まれますよね?
では、何故、現在完了形にしないといけないのか?
その秘密は、動詞の “get” のややこしさ。”got X”は、 ”Xを手に入れた”という動作のニュアンスと、”Xを所有している”という状態のニュアンスの両方を持つ、だが、”got X” と表現しただけでは、これらの区別は付きにくい。そこで ”所有してますよ” というニュアンスを明示的に表現したい時は、I have got X. (= 過去既に入手という動作を済ませ、その結果今現在は所有状態にあります) と表現するのが常套手段だ。これを会話では “I’ve got X (アイヴ・ガッタ・エックス)” と、短縮形かつ、 ヴ はあまり強調せずにサラっと発音する。
それが、You’ve Got Mail. 「(既に)メールを受け取ってます」の意味だ。
また、Mail には 不定冠詞の “a” もしくは、定冠詞の “the” は要らないのか?という疑問も良く取りざたされる。これも結論から言うと不要。なぜならこれは、一通の手紙を指しているのではなく、郵便物を論理的な対象として捉えているから。テレビを観ると表現したい時に、I watch TV. と表現するが、I watch a/the TV. とは表現しないのと同じ。
なお、これが eMail になると、an eMail (一通の電子メール)と表現するのが主流になるから、これまたややこしい…
そんなこんなで、ユー・ガット・メールは、You’ve got Mail. なのだ。
商業的成功
本作品は上映時間119分と典型的な映画の長さ。そして、製作費6千5百万ドルに対して世界興行収入は2億5千1百万ドル。3.9倍と、実に4倍近いリターンだ。柳の下のドジョウとまでは言わないが、同じメンツでラブコメを作って、キッチリ利益を回収しているところに、この時期のノーラ・エフロン、トム・ハンクス、メグ・ライアンの底力を見たような気がする。
劇場公開された時、喜び勇んで観に行きました!
あらすじ (30分20秒の時点まで)
ニューヨークのアッパー・ウェスト・サイドで「街角の本屋さん (The Shop around the Corner)」という児童書専門の本屋を経営する30代独身女性のキャスリーン(メグ・ライアン)。彼女にはフランク(グレッグ・キニア)という同棲相手がおり、関係も良好である。
ところが、最近のお気に入りは、「ショップガール」というハンドルネームで、「NY152」というハンドルネームの見ず知らずの男性とメールのやりとりをすること。今日もフランクが出勤した後のちょっとした隙間時間に、ノートパソコンで「NY152」からの返信をチェックする。「NY152」とは会ったことも無いし、素性も不明だが、逆にこの他人である気楽さも手伝って、「NY152」には日常で感じたことや自分の思いを素直に吐露できる心地よさを感じている。
と言う訳で、これは色恋沙汰ではないのだが、そのやりとりが結構親密になってきたので、キャスリーンはフランクに若干の後ろめたさを感じている。
一方で”NY 152”という住所に住むジョー(トム・ハンクス)も、押しが強い同棲相手パトリシア(パーカー・ポージー)の目を盗んで「ショップガール」とのメールのやりとりを楽しんでいた。こちらも全く同じ心理で、これは浮気とかではないが、やりとりが楽しいこと、そして親密であることに後ろめたさを感じていた。
”NY 152”ことジョー・フォックス(トム・ハンクス)の正体は、大手書店チェーン「フォックス・ブックス」の三代目で、社長は父であるが、ジョーは新規出店等現場の指揮は全て任されているやり手の経営者だ。今日もアッパー・ウェスト・サイドの新規店舗出店の準備のために、大規模ビルの改装現場を視察している。
フォックス・ブックスの売りは、大規模店舗ならではの品揃え、大規模ゆえのディスカウント、そして本屋に併設されたカフェと、大資本に物を言わせ、”書店”という顧客体験に革命をもたらしていることである。こんなディスラプタ―が、キャスリーンの経営する、小規模でサービスが行き届き、人の温かみが感じられる「街角の本屋さん」の目と鼻の先で出店準備をしているから大問題だ。
フォックス家の男3代の会話の中で、ジョーの祖父であるフォックス・ブックスの会長と、キャスリーンの母シシリアとは、その昔文通と一度デートをした関係であることが判明し、今回の新規出店がキャスリーンが母親から受け継いだ「街角の本屋さん」の経営に大打撃を与えるであろうことは、フォックス家の親子3代も認識するが、気にも留めない。
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ある週末、ジョーは親戚の女の子(続柄的にはジョーの叔母)と男の子(続柄的には弟)を1日預かることになる。2人の要望に従って出掛けたニューヨークのアッパー・ウェスト・サイドのお祭りを、ジョーも大いに楽しみ、その後、目についた本屋の読み聞かせ会に3人で飛び入り参加する。
ところがそこは、キャスリーンの経営する「街角の本屋さん」であり、児童書を読み聞かせるのはキャスリーン本人だった。ジョーはキャスリーンが「ショップガール」だとは気づかないが、今後自身の会社が蹂躙するであろう店であること、そしてオーナーがキャスリーンであることを認識する。ただし、その居心地の良い本屋や、店やキャスリーンの子供に対する姿勢に好感を抱く。ジョーは、自分たちがフォックス家の人間であることは周到に隠したままに店を後にする。
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一方のキャスリーンは、ジョーが「NY152」と気付かないどころか、フォックス家の人間だとも気付かない。ただただ、読み聞かせ会を楽しんだジョーと2人の子供に好感を抱いただけだった。
そんな中、いよいよ「フォックス・ブックス」の新規店舗が「街角の本屋さん」の目と鼻の先で華々しく開店し、オープン・セールの全品35%オフという売り込みも手伝って、初日から開店を待ちわびた来店客で店は大盛況となる。
果たして、ジョー(NY152)とキャスリーン(ショップガール)の関係はどうなるのか…?二人は互いの素性を知ることになるのか?ハンドルネームの正体も知ることになるのか…?
見どころ (ネタバレなし)
では、このラブコメの傑作の見どころを掘り下げて行きたいと思います。基本的にネタバレなしで書いて行きますのでご安心を(ジャッジタイム(30分20秒)の時点までの内容には言及することがあります)。
この作品の見どころは、大きく分けて以下の5点に集約できるのではないかと思います。
正体不明な相手とのやりとり
何と言っても、正体不明な相手とやりとりをしているという点が、この映画をスリリングで面白くしてくれる点です。素性も知らないどころか、まだ面識もない段階から、2人は生活圏が重なり街角ですれ違っている様が画面で描写されて行きます。
そんなバカな?ファンタジーが過ぎる!と思われるかもしれませんが、大都会で生活する人間なら、気付いていないだけで可能性は十分にあり得る!そんな気分を、素直に楽しんじゃうのが良いと思います!
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この発想って、2000年代に入って一気に普及したSNSでは、”チェックイン機能”として可視化されましたよね?FacebookやInstagram等で、自分が居る場所/居た場所をマークする。友達や有名人とニアミスしていたことを喜んだり、惜しがったり。
”NY152”ことジョーと、”ショップガール”ことキャスリーンの、2人の状況を俯瞰できるのは我々観客だけ。そんな特権階級をこの映画では楽しんじゃいましょう!
時代の流れその1「大規模出店+ユーザー体験の変革」
この物語のプロットは、ライバル関係にある書店の経営者同士が、知らず知らずのうちに惹かれ合ってたって話ですよね。でも一方は大資本、他方は小資本。そして、小資本側が持つささやかな長所も、大資本にどこまで対抗できるか?って流れな訳です。
視聴時に是非着目頂きたいのは、「地域の小規模書店の使命」について、メグ・ライアン扮するキャスリーンのセリフを通してシッカリ言語化されます。”本を売るだけでなく子供たちの成長を助ける(幼少時の読書体験が人格形成に好影響を与える)”と。
両親も脚本家、妹3人も含めて姉妹4人がプロの物書きに育ったようなエフロン家で育ったノーラ・エフロンが、本屋や書店に思い入れが無い訳が無いと思うんですよね。そんな背景を胸に、このストーリーをご覧になると、違った感情が浮かんでくるかも知れません。
ところがノーラ・エフロンは、こうした小資本側のきめ細やかなサービスや、人の温かみばかりに、同情的に肩入れする訳ではないです。劇中の「フォックス・ブックス」は、安かろう悪かろうのマス・ディスカウント一辺倒な店ではなく、豊富な品揃えとカフェ併設という、まったく新しい「本屋体験」を顧客に提示していて、大規模店の長所も平等に描いているのが、ノーラ・エフロンのバランス感覚です!
物事を白か黒かで捉えるのではなく、新しい解をどうやって見つけるべきなのか?これを描くことにチャレンジしているように見えます。その辺りも気にかけて観て頂けると、より味わい深い作品に映るかも知れません。
こんな風に感じたのは、劇中にスターバックス・コーヒーが何度も登場したからです。本作では、スターバックスが好意的に描かれているんですよね。スターバックスだって、店舗展開によって既存のこじんまりとしたカフェを蹂躙して来たと思うんですが、大規模チェーン展開=悪 という紋切型の構図ではない訳です。
なお、少しだけ後世に思いを馳せると、こうして既存小規模店を蹂躙した本屋やCDショップの大型店も、21世紀に入るとAmazon.com に駆逐されて行ったことを考えると、何か因果応報を感じちゃいます…
1990年代末の20世紀の最後に頭の時計を切り替えて視聴して頂く必要があります
時代の流れその2「インターネットの普及」
この映画って、実は1940年代に制作された「桃色の店」って作品のリメイクなんですって。そして、そのオリジナルの設定では”文通”がフィーチャーされていたとのこと。
本作はそれがeMail に置換えて描かれています。ただし劇中で、主人公ジョー(トム・ハンクス)の祖父が、同じく主人公キャスリーン(メグ・ライアン)の母と、過去に文通していたことがあるという昔話に言及することで、巧みに”文通”を物語に織り込みます。
ジョーの祖父は言います。”シシリア(←キャスリーンの母)は達筆だった”と。達筆ってアナログならでは良さであり、達筆も含めた筆跡ってデジタルでは切り捨てられた属性ですね。でもここでもノーラ・エフロンは、文通は良かった、アナログは良かったなんて安っぽい感傷に浸ったりはしません。
その証拠に、キャスリーンの同棲相手フランク(グレッグ・キニア)がタイプライターに固執する様を、ちょっと小馬鹿にして描きます。この辺りにも、ノーラ・エフロンの優れたバランス感覚が表れているような気がします。
インターネットは、見ず知らずの者同士を繋ぐ働きがある。そこには素敵な出会いもあるし、傷つけ合う可能性もある。そうやって時代の新しい流れをストーリーで面白おかしく描いて行っている様に、ノーラ・エフロン(公開当時57歳)の先進性を感じます。
なお、この映画が制作された1990年代後半の、一般家庭のインターネット接続はモデム通信前提で描かれていますね。ISDN や 光ファイバーによるインターネット常時接続が広く普及する直前の時期ですね。キャスリーン(メグ・ライアン)の「接続するまで辛抱強く待たないといけない」という台詞や、接続して初めて確認できる ”You’ve Got Mail” の通知に、ジョーとキャスリーンが小躍りする描写が、当時の時代背景を感じさせます。
男女を平等にユーモラスに描きながら人間の内面に迫る
ノーラ・エフロン作品らしく、女性と男性を等しく描いている。その上で、性別に関係なく”人間”の内面に迫って行く切り口が、観ていて色んな事を考えさせられますし、とても興味深いです。
本作では、”男はみんな「ゴッドファーザー」が好き”、”女はみんな「高慢と偏見」が好き”なんていう描写が出てきます。多様性を重んじる現代だったら”主語がデカすぎる”と批判を受けるかも知れません。
その代わり、本作でも、例えばキャスリーン(メグ・ライアン)が、「女だから」なんて自分を卑下するようなシーンは一切出てこないのが、ノーラ・エフロン作品らしくて小気味よいです。
母から「街角の本屋さん」を譲り受け、3人の従業員を雇って店を切り盛りするキャスリーンは、女系女子の立派な経営者です。祖父と父との3人で、「フォックス・ブックス」を各所に店舗展開するジョーも、男系男子の経営者です。
資本の多寡こそあれど、どちらも本屋の立派なオーナーであり、書籍販売事業を通して社会に貢献しようとしているという意味においては、2人は全く平等な描かれ方がされます。そこに男だからとか女だからとかの性別のしがらみはなく、全くのジェンダー・フリーな世界な訳です。
そうやって、性差の天秤を釣り合わせた上で、何の疑問も無く親の仕事を継いだことの是非や、継いだ仕事の社会的な意義を内省するあたりに、ノーラ・エフロンらしい物事の本質的な捉え方が垣間見えるような気がします。
「あらすじ」に書いた30分20秒までに出て来たシーンですが、素敵な台詞があったのでご紹介します。小気味よいテンポのお喋りが多く、口語表現が多いノーラ・エフロン作品ですが、本作はメールが登場することで、要所要所で詩的な表現が出てきます。キャスリーンが、母から受け継いだ本屋を営むことへの自問自答ですが、響きがとっても美しいです。
Sometimes I wonder about my life. I lead a small life. Well, valuable,but small. And sometimes I wonder, do I do it because I like it, or because I haven’t been brave? So much of what I see reminds me of something I read in a book, when shouldn’t it be the other way around? I don’t really want an answer. I just want to send this cosmic question out into the void. So goodnight, dear void.
時々私は自分の人生に思いを馳せる。私が営むささやかな人生。うん、意義がある、でもささやか。時々こんな風にも思う、これは私が好きな生き方だから?それとも、他の生き方を選ぶ勇気が無かったから?私が理解できるのは本で学んだことだけ?他にやりようなんてあったかしら?本当は答えが欲しい訳じゃないの、ただこの遠大な問い掛けをがらんどうに投げかけたいだけ。だから、おやすみなさい、がらんどうさん。
Kathleen Kelly from “You’ve Got Mail”
映画書き下ろしの音楽
主題歌は、キャロル・キングがこの映画のために書き下ろした「Anyone at All」ですね。とっても素敵でした。
ジョージ・フェントンが担当したSoundtrack も書き下ろしですね。演出用の曲のラインナップなので、プレイリストとして聴き流すにはあまり相応しくないかも知れませんが、各シーンを描写するためには、完璧にあつらえられています。
例えば上述のキャスリーンのセリフのバックに流れるのは、こちらの”Goodnight Dear Void (おやすみ、がらんどうさん)”と言う曲です。とっても雰囲気があって素敵な曲なので、良かったら試聴してみてください。
ここまで、5つの観点で「見どころ」を掘り下げてみました。皆さんが、この作品をより味わい深く鑑賞されるお手伝いが出来ると嬉しいです。
まとめ
いかがでしたか?
ノーラ・エフロンの脚本・監督作品であり、「めぐり逢えたら」に引き続く、ノーラ・エフロン、トム・ハンクス、メグ・ライアンのラブコメ・トリオの秀作。予習教材として魅力をお伝えしてきたつもりです。
この作品に対する☆評価ですが、
総合的おススメ度 | 4.0 | 時代の波の中で生きたり、恋愛したり、実は深遠なテーマ |
個人的推し | 4.5 | 1回は観てみても絶対に損はないです! |
企画 | 4.5 | 大都会における身近だけど見知らぬ人とのやりとり |
監督 | 4.0 | 脚本からの一貫性を堅持 |
脚本 | 3.5 | もっとシャープな会話があっても良かったのかも |
演技 | 3.5 | “若くて”可愛いメグ・ライアンの見納め作品か? |
効果 | 4.5 | 当時のインターネット事情が正確に再現 |
このような評価にさせて貰いました。総論面白いです。総論ロマンティックです。よって、ロマンティック・ラブ・コメディとして申し分ないです。
一方で、公開当時36歳のメグ・ライアンが可愛すぎて、本当に可愛らしくて、これで良いのか?とちょっと思っちゃった記憶もあります。もっと大人の女性としてのシャープな会話、演出、そしてキャラクター設定があっても面白かったかもしれません。
いずれにせよ、素敵な作品なので、まだ観たこと無い方は一度ご覧になってみてください。
ただただ可愛いメグ・ライアンは、この作品で見納めだったのかも…