話題の記事続編なのに1作目の質を超えた映画5選

【ネタバレなし】サリエリ目線で描く傑作映画「アマデウス」(あらすじ)

この記事でご紹介する「アマデウス」は、1984年に公開されたドラマ映画。ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの35年という短い生涯を、モーツァルトのズバ抜けた才能に執拗なまでに嫉妬したアントニオ・サリエリの目線で描く。

この映画を観るか迷っている方は、後でご提案する ”ジャッジタイム” までお試し視聴する手もあります。これは映画序盤の、作品の世界観と展開が ”見えてくる” 最短のタイミングのことで、作品が気に入らなかった場合に視聴を離脱する目安タイムです。

もし、この映画が気に入らなかった場合でも、このジャッジタイムで観るのを止めちゃえば時間の損切りができます。タイパ向上のための保険みたいなものです。

この映画を初めて観る方のことも考えて、ネタバレなし で、作品の特徴あらすじ(ジャッジタイムまでに限定)、見どころを書いて行きます。この映画の予習情報だとお考えください。

この映画を観るかどうか迷っている人観る前に見どころ情報をチェックしておきたい人ことも考え、ネタバレしないように配慮しています。

元々ピーター・シェーファー原作のブロードウェイ上演の舞台劇であったものを、ピーター・シェーファー本人が映画用脚本に描き直した作品。これを、「カッコーの巣の上で」(1975年) で既にアカデミー監督賞を受賞していたミロス・フォアマンが映画化。

全編に渡って映し出される、18世紀を再現した絢爛豪華な映像の裏に、狂気にも似た嫉妬心がうごめくこの意欲作の世界をちょっと覗いてみませんか?

目次

ジャッジタイム (ネタバレなし)

この映画を観続けるか、見限るかを判断するジャッジタイムですが、

  • 上映開始から37分30秒のタイミングをご提案します。
37分30秒

ここまでご覧になると、この映画「アマデウス」は、モーツァルトのミドルネーム ”アマデウス” を冠しているものの、これはアマデウスを羨望の眼差しで眺めるアントニオ・サリエリの物語なのだということが掴めて来ると思います。

また、この作品の、映像、美術、音楽、演技といった要素によって、どんな世界観が描かれて行くのかも感じることが出来ると思うので、ジャッジタイムとして最適かと思いますが、いかがでしょうか。

概要 (ネタバレなし)

この作品の位置づけ

「アマデウス」(原題:「Amadeus」) は、1984年に公開されたドラマ映画。18世紀後半のオーストリアの首都ウィーンを舞台に、不世出の天才作曲家 ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの35年の生涯を、彼のズバ抜けた才能に執拗なまでに嫉妬したイタリア人作曲家アントニオ・サリエリの目線で描く。

映画は、モーツァルトの死後30年以上が経過した19世紀のウィーンで始まる。そこでは、ヨボヨボの老人となったサリエリ(F・マーリー・エイブラハム)が、”モーツァルトを殺したのは自分だ” と告解し、その独白の流れの中で、優れた作曲家になりたいと切望した自身の幼少期、宮廷でどういう地位に上り詰めたか、そしてモーツァルトとの出会いがいかに衝撃的であったかを、順に回想して行く構成を取っている。

映画「タイタニック」(1997年) が、ヨボヨボの老婦人になったローズが、若かりし頃の自分を振り返りながら、沈没したタイタニック号で何が起きたかを回想して行くのと良く似た構成である。サリエリ老人が、自身の若い頃を振り返りながら、ウィーンやオーストリアの宮廷内で当時どんなことが起きたかを回想していく格好だ。

「アマデウス」は、本作の脚本を務めているピーター・シェーファー原作のストーリーであり、元々は舞台劇の脚本であった。そしてそれは、ブロードウェイで高い評価を得るヒット作であった。

この名作を、「カッコーの巣の上で」(1975年) で既にアカデミー監督賞を受賞していた名監督、ミロス・フォアマンが映像化。ピーター・シェーファー自身が映画版の脚本も務め、舞台では表現できない映画ならではの描写も付け足されている。

時代背景

劇中に登場する皇帝は、ジェフリー・ジョーンズが演じるヨーゼフ2世(在位:1765年 – 1790年)である。ヨーゼフ2世は、ハプスブルグ帝国(オーストリア)の君主である。ザルツブルグ出身のモーツァルトの生涯が、1756年 – 1791年なので、モーツァルトにとっての祖国の皇帝は、まさにこのヨーゼフ2世ということになる。

ここで言うオーストリアとは、現代のオーストリアとは異なり、ハプスブルグ家の系譜を持つ ”帝国” であるので、領土はより広く、かつヨーロッパ各地に分散していた。その君主がヨーゼフ2世であることを押さえておく必要がある。

そして、このヨーゼフ2世は在位中、母マリア・テレジアとの共同統治時代を含めて、(上手く行ったかどうかの議論は別にして、)教会と貴族の権力を制限し、帝国の中央集権化を推し進めた皇帝である。

また、その一方で、イタリア偏重の芸術の世界において、ドイツ語とドイツ文化を重んじるドイツ民族主義を打ち出し、貴族に独占されていた娯楽を民衆に解放した。これは民衆のドイツ語教育にも大いに役立ち、教育水準を高めることに寄与した。こうした一連の政策により、ヨーゼフ2世は「民衆王」「人民皇帝」と崇められていた。

こうした時代背景を理解しておくと、劇中で描かれるヨーゼフ2世の威光、教会との確執、イタリア人作曲家の宮廷内での地位、そしてドイツ語によるオペラの創作という、一連の描写がよりスッキリと理解できると思う。

芸術的評価

この映画は、「アメリカ国立フィルム登録簿」(National Film Registry) に登録されている。これは、連邦政府国立フィルム保存委員会(The United States National Film Reservation Board)が毎年25作品を選定するもので、本作品が、アメリカの文化的、歴史的、芸術的に、後世に多大な影響を与えたことが公的機関からも認められた証である。

また、57回アカデミー賞では、

  1. 作品賞
  2. 監督賞(ミロス・フォアマン:2度目)
  3. 主演男優賞(F・マーリー・エイブラハム)
  4. 脚色賞(ピーター・シェーファー)
  5. 美術賞
  6. 衣裳デザイン賞
  7. メイクアップ賞
  8. 録音賞

の8部門を受賞している(その他、主演男優賞、撮影賞、編集賞にもノミネート)。

特筆すべきは、主演男優賞にサリエリを演じた F・マーリー・エイブラハムと、モーツァルトを演じた トム・ハルスの両名がノミネートされている点だ(結果、F・マーリー・エイブラハムが受賞)。どちらも主役級の演技であると評価された証左だ。

あわわっち

アカデミー会員の票が割れて、どちらも受賞を逃すようなことが無くて良かったと思います!

商業的成功

この映画の上映時間だが、「アマデウス」は160分、ディレクターズ・カット版は180分となっている。2023年8月現在、日本国内でのサブスク・サービスでの視聴は不可能で、レンタルDVD/Blu-Ray で流通しているのはディレクターズ・カット版のような気がする(筆者調べ)。

実に5倍のリターン!

製作費は、1千8百万ドルで、北米での興行収入が5千2百万ドル、世界興行収入が9千万ドル近くと言われている。実に5倍のリターンである。この芸術色が強い作品が、同時に商業的な成功も収めたことは実に喜ばしいことだと思う。

あらすじ (37分30秒の時点まで)

1823年11月のウィーン。雪が積もるこの街の夜に、大邸宅の老主人が自殺を図り、精神病院へと運び込まれる。老人の正体はアントニオ・サリエリ(F・マーリー・エイブラハム)。老人は、「モーツァルトを殺したのは自分だ」と叫び、その罪悪感に苛まれている。

体力が回復し、精神状態も落ち着くと、サリエリが収容されている部屋に、一人の若い神父が訪れてくる。このフォーグラー神父は、教会から派遣されてサリエリを慰問しに来たのだ。神父は老人の話を聞いてやることで、彼の精神的な負荷を軽減しようと試みるが、老人の独白による回想は、想像していたものと大きく異なる内容であった。

イタリア人であるアントニオ・サリエリ(F・マーリー・エイブラハム)は、少年時代より優れた作曲家になることを切望していた。父は事業に成功し、サリエリ少年は比較的裕福な家庭で育つことになるが、父の音楽や芸術に対する理解は皆無であったために、サリエリ少年は自身が望む音楽の専門的教育を受けることは叶わなかった。

それでも諦めきれないアントニオは、生涯にわたって純潔を貫くことを神に誓い、その代わりに誰よりも優れた音楽的才能を自身に授けることを、日々神に祈り続けた。するとある日、父が急死する。これによりサリエリ少年が音楽の道に進む障壁は無くなった。

父の急逝は、自身の祈りが神に通じたことによるもの、やはり神様は自分を見ていて下さった、これで信仰心をより強めたという、サリエリ老人の屈折した回顧に、フォーグラー神父は聖職者として唖然とする。

時は経ち、サリエリはイタリア人作曲家として名声を得て、ハプスブルグ帝国(オーストリア)の君主ヨーゼフ2世の下で、宮廷作曲家の地位を得る。

そんなある日、既にオーストリア国内外で、ピアニストとして高い評判を博していた若きピアニスト、アマデウス・モーツァルト(トム・ハルス)が、ヨーゼフ2世に謁見することとなった。

ヨーゼフ2世のピアノ教師も務めるサリエリは、モーツァルトを迎え入れるに当たって「歓迎のマーチ」を作曲していた。その報を聞いたヨーゼフ2世は、自身でその『マーチ』を演奏してモーツァルトを迎え入れることを望み、何度もつかえながらもその初見の曲を練習する。

そうこうしている内に、皇帝が『マーチ』を演奏する部屋にモーツァルトが入室してくる。モーツァルトが、皇帝やサリエリ、側近たちと挨拶を交わし会話を始めると、若きモーツァルトの洗練されていない立ち振る舞いや、時折見せる甲高い下品な笑い声に、その場に居合わせた大人たちは眉をひそめ始める。

ところが、オペラは権威あるイタリア語で作詞すべきか、母国語であるドイツ語で作詞すべきかという話題になると、モーツァルトは、自分にドイツ語で新しいオペラを作詞作曲させて欲しいと皇帝に願い出る。何故ならドイツ人の精神は”愛”であり、それはドイツ語でこそ表現されるものだからだと説く。

また、話題が、サリエリがこの日の為に作曲した「歓迎のマーチ」に及ぶと、モーツァルトは既にその曲は暗記したと、楽譜も見ずに『マーチ』をスラスラと演奏してみせる。演奏するのみならず、「こうすれば、この曲もマシになる」と演奏しながら即興で編曲を加え始める。

こうしてアントニオ・サリエリ(F・マーリー・エイブラハム)は、自身を圧倒的に凌駕するアマデウス・モーツァルトの才能を目の当たりにし、その唯一無二の存在に畏敬の念を抱くのと同時に、なぜ神は自身にではなく、こんな下品で無教養な青年にこれほどの才能を授けたのかと、嫉妬心で徐々に心のバランスを崩して行く・・・

見どころ (ネタバレなし)

この独創的な作品の見どころを3つの観点に絞って書いてみたいと思います。どれもネタバレなしで書いておきますので、予習材料としてお役立てください。

対照的な主演2人の交錯するキャラクター

既に述べたように、この映画には2人の主演が居ます。少なくともアカデミー会員はそう認識していました。F・マーリー・エイブラハム扮するアントニオ・サリエリと、トム・ハルス扮するヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの2人です。

この2人が対照的なキャラクターとして、運命が交錯して行くように絶妙に仕立てられているところが、この映画の最大の見どころだと思います。

アントニオ・サリエリは、音楽の才能が欲しくて欲しくて堪らなくて、それが得られるのなら、生涯女性を知らずに死んでも構わないと、多感な少年時代に神に誓うほど。そして、その最大の障壁であった、音楽道に理解を示さない父の急死を、神の思し召しだと内心喜んでしまう。音楽や神への忠誠心は純粋なんだけれども、どこかズレていて屈折している心の持ち主です。

ところが、こうした熱望により得られた才能は、一流であっても残念ながら頭抜けたモノではなく、モーツァルトの才能を唯一無二だと嗅ぎ分ける審美眼はあっても、自身はその足元にも及ばないレベル。こうした音楽的才能に対する憧憬や渇望が、いつしか常軌を逸脱した嫉妬に変わって行く様子が、生々しく、でもどこか滑稽に描かれて行きます。

一方のヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトは、生まれながらにして頭抜けた才能を与えられていて、かつ、父レオポルトの手によって、幼少期から徹底した英才教育を受け、ヨーロッパ中を旅して周ったことで磨きが掛かり、他の追随を許さないレベルに到達します。

交響曲もオペラも、一度(ひとたび)創造作業に入ると身体の中から音符が溢れ出てくる。その旋律とアンサンブルは、情感と慈愛に満ちていて、まるでそこに存在していることが必然であったかのように、譜面に書かれた時には完成している。

しかし、その眩いばかりの才能の容れ物となった本人の人間性は、品も教養も無く、大人たちの中を上手く生きて行く処世術もなく、おまけに欲望のままに女性を欲する側面もある。ただただ無自覚に才能を持ち合わせて生まれて来てしまった者、それがこの映画のヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト。

創作活動に関しては求道者としてストイックであるけれども、その他が丸でダメなので、生活はどんどん没落していく。この様子を間近で観察し続けるサリエリが、何故こんな詰まらない若者に神は才能を与えたのだ?選ばれたのは私ではなかったのだ?と嘆く、この2人の運命の交錯が、この作品の一番の醍醐味であり、見どころです。

おまけ1:年老いたサリエリ老人の独白のシーンは、F・マーリー・エイブラハムの顔芸が最高にコケティッシュで、そのお陰で、サリエリ老人がどこか憎めないキャラクターに仕上がっています。この陰鬱な物語が暗くなり過ぎない救いです。

おまけ2:トム・ハルスは、ピアノの猛特訓を受けて、多くのシーンで本人がピアノを演奏したそうです。モーツァルトが自身の手足のようにピアノを操り、旋律を奏でる演出は、この演技の拠るところが大きいと思います。ご注目です!

圧倒的な再現性

アカデミー美術賞、衣裳デザイン賞、メイクアップ賞を受賞していることからも分かるように、画面の中で舞台を彩る装飾品の数々は目を見張ります。18世紀後半の宮廷や劇場、街の様子が完璧に再現されています(と、素人目には感じられます)。

この時代のウィーンやプラハの街並みやお屋敷の中にいるような臨場感が凄いです。

建物、室内装飾、衣裳、照明、立ち振る舞いに、演技。これらが完璧に機能することによって、私たちを18世紀のヨーロッパへといざなってくれます。これは観て頂くしかないので、お楽しみにしていてください。

素晴らしい楽曲

当たり前ですが、楽曲が素晴らしいです。

そりゃそうですよね、だって人類史上最高の作曲家モーツァルトの楽曲が次々と流れるんですもの。これがアカデミー録音賞に輝いた録音技術で収録されている訳ですから、良いに決まっています。鑑賞する時はなるべく大音響でご覧ください。

特に、日本ではこの映画のお陰で知名度を上げたんじゃないかと思しき交響曲25番(の第一楽章)が映画冒頭からブッ込まれてきます。

正式名称は、モーツァルト 交響曲25番 ト短調 ですね。ケッヘル目録で言うところの K. 183(173dB)です。

今回の機会に調べて知ったことですが、何でもこの曲はヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトが17歳の時に作曲したとのこと(恐ろしい才能!)。そして、モーツァルトの交響曲のレパートリーの中で、短調で作曲されているのは、この25番と40番(交響曲第40番 ト短調 K. 550)のみで、どちらもト短調なので、25番は40番に対して小ト短調と呼ぶこともしばしばだとか。

40番も、聴いたら絶対知っていると思います!

あわわっち

決してクラシックファンでない筆者も、モーツァルトの40番は大のお気に入り!

まとめ

いかがでしたか?

気付けば制作から40年も経っている本作品ですが、題材が元々時代劇だということもあり、ご覧になっても古臭さは全く感じないと思います。残念ながら今現在(2023年8月)サブスク視聴は叶いませんが、レンタルDVD 等を借りる機会があれば、是非一度はご覧になることをおススメする、優れた芸術作品です。

この作品に対する☆評価ですが、

総合的おススメ度 4.0 人類史上最高の音楽的才能の一つの解釈方法
個人的推し 4.5 観る者を異世界へと誘う。映画のお手本。
企画 4.5 この題材を映像化するなんて!
監督 4.5 こういう人がシレっと2回オスカー獲るのね
脚本 4.0 2人の対比がホントに良く描かれている
演技 4.0 主演2人の演技に脱帽です!
効果 4.5 内装・衣裳・メイク・照明・撮影!
こんな感じの☆にさせて貰いました

このような☆の評価にさせて貰いました。

ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトという人物がどういったキャラクターだったかは、筆者には知る由もありません。ただ、”才能” というものを純粋に描くという観点において、この脚本ほど象徴的に描き上げている舞台装置ってありますか?と思うんです。

無自覚に才能を持ち合わせた者と、それを欲したが、その才能の価値を理解するだけの能力しか与えられなかった者。

あわわっち

うーん、難しいテーマですね。

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