この記事でご紹介する「ミラーズ・クロッシング」は、コーエン兄弟制作・1990年公開のギャング映画。禁酒法時代(1920年~1933年)のある都市を舞台に、街を手中に収めようと抗争する2つのギャングの間に立たされ、寡黙に苦悩する男の姿をスタイリッシュに描いた作品。
映像作品としては、「ゴッドファーザー」や「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」を彷彿とさせるフィルム・ノワール系ギャング映画の哀愁を漂わせつつも、ストーリーや会話は、随所にコーエン兄弟らしい皮肉めいたブラック・ジョークが散りばめられている異色の作品。
この映画を観るか迷っている方は、後でご提案する ”ジャッジタイム” までお試し視聴する手もあります。これは映画序盤の、作品の世界観と展開が ”見えてくる” 最短のタイミングのことで、作品が気に入らなかった場合に視聴を離脱する目安タイムです。
もし、この映画が気に入らなかった場合でも、このジャッジタイムで観るのを止めちゃえば時間の損切りができます。タイパ向上のための保険みたいなものです。
この映画を初めて観る方のことも考えて、ネタバレなし で、作品の特徴、あらすじ(ジャッジタイムまでに限定)、見どころを書いて行きます。この映画の予習情報だとお考えください。
この映画を観るかどうか迷っている人、観る前に見どころ情報をチェックしておきたい人 のことも考え、ネタバレしないように配慮しています。
この投稿をInstagramで見る
興行的には決してヒット作とは言えない結果を残しつつも、主演のガブリエル・バーンを中心に独特の雰囲気に包まれていて、20世紀のギャング映画史の中でも低くないポジションを占める本作を、より味わい深く楽しむために、視聴前にこの記事でちょっと予習してみませんか?
ジャッジタイム (ネタバレなし)
この映画を観続けるか、見限るかを判断するジャッジタイムですが、
- 上映開始から17分30秒のタイミングをご提案します。
ここまでご覧になると、この映画の世界観、そして登場人物達の立ち位置、そして何よりこれから始まる騒動の端緒が見えてきます。
好き嫌いを判断される、最短・最小の要件は満たしていると思うので、この辺りでご判断されるのはいかがでしょうか?
概要 (ネタバレなし)
この作品の位置づけ
「ミラーズ・クロッシング」(原題:Miller’s Crossing) は、1990年公開のギャング映画。コーエン兄弟が世に送り出した3作目の映画である(「ブラッド・シンプル」(1984年) 、「赤ちゃん泥棒」(1987年) に続く)。下の表にあるように、本作では兄のジョエル・コーエンが監督・脚本に、弟のイーサン・コーエンが脚本・製作にクレジットされている。
監督 | 脚本 | 製作 | |
ジョエル・コーエン (兄) | 〇 | 〇 | |
イーサン・コーエン (弟) | 〇 | 〇 |
ただし、コーエン兄弟の制作現場においては、この役割分担はあくまでも便宜的なクレジットに過ぎず、実際はどの作業も兄弟が分け隔てなく共同で行っているので、2人が製作・脚本・監督を務めたと捉えた方が良いと思われる(後年は、製作・脚本・監督全てを兄弟連名でクレジットするようになった)。
本作品の作風は、禁酒法時代(1920年~1933年施行)の架空の街(=アメリカ東部の中規模都市という設定と思われる)を舞台に、街の主導権を争うアイルランド系ギャングとイタリア系ギャングの抗争を下敷きにしている。セット、衣裳、小道具、照明、撮影は全てフィルム・ノワールと呼ばれるクラシックなギャング映画、もしくはハードボイルドな雰囲気を醸し出している。
では本作は、コテコテなギャング映画なのか?というと決してそういう訳ではなく、2つのギャング組織の間(はざま)に立たされてしまう主人公のトム・レーガン(ガブリエル・バーン)を軸に、友情、恋愛、忠誠、腐敗、裏切りといった人間模様を、コーエン兄弟がブラック・ジョークを交えながら描いている。
コーエン兄弟の作風との関係
そもそもコーエン兄弟の作風ってどういうものか?
コーエン兄弟の作品は一般的に、ある日突然理不尽な苦境に立たされる主人公をコミカルに描いたり、自らが招いた窮地に悪戦苦闘する主人公を自業自得と皮肉ったりするような作風が多い。
そんな中、本作「ミラーズ・クロッシング」は、スタイリッシュな美しい映像の比重がかなり高い芸術作品に仕上がっている。そして、ニヒルで寡黙な主人公に扮するガブリエル・バーンが、渋く抑えた演技を見せてくれる。コーエン兄弟の作品の中でも異色の出来となっている。
タイトル「ミラーズ・クロッシング = Miller’s Crossing」 とは
タイトルの ”ミラーズ・クロッシング = Miller’s Crossing” とは、直訳すると”ミラーの十字路”という意味。これは劇中に登場する街郊外の林の一地点のことで、ギャングが消したい相手を秘密裏にこの場所に連れ出し、死体を遺棄する鉄板の場所として登場する。
こうした背景により、この場所はストーリー上も人間模様が ”交錯する” 象徴的な場所として扱われ、そのまま映画のタイトルにも採用されている。
この林でのロケーション撮影においては、撮影監督のバリー・ソネンフェルドが、曇り空を背景にした樹々の穏やかな発色(=緑色の彩度を抑えた発色)にこだわって撮影した。映像美が際立つこの映画の中でも、林のシーンは更に独特の雰囲気を持つシーケンスとなっている。
商業的成果と評価
この映画の上映時間は115分と標準的な上映時間になっている。しかし、全般的に淡々と進行していくシーンも多く、体感的には実際の上映時間より長く感じるかも知れない。製作費は1千4百万ドルで、世界興行収入は5百万ドル強しか売り上げることが出来なかった。すなわち、商業的成果としては制作費すら回収できない大赤字であったのが実態だ。
一方でここまで触れてきたように、1990年に登場した個性的な作風を持つ作品であることから、20世紀のギャング映画の系譜の中で決して存在感は低くない。
一言で言うと、美しいけどパンチに欠けると思われたんでしょうかね?
あらすじ (17分30秒の時点まで)
禁酒法時代(1920年~1933年)のアメリカ東部のとある街。この街を牛耳るアイルランド系ギャングのボス、レオ(アルバート・フィニー)のもとに、同じ街に同居するイタリア系ギャングのボス、キャスパー(ジョン・ポリト)が陳情に訪れる。
内容は、キャスパーが賭けボクシングの八百長を仕組んでも、レオ傘下のノミ屋のバーニー(ジョン・タトゥーロ)がこの情報をリークしてしまうために、オッズが崩れて八百長が成立しなくなってしまう、ひいてはバーニーを亡き者にしても良いか?という相談であった。
そのノミ屋のバーニーは、定期的に庇護料をレオ(アルバート・フィニー)に収めており、レオはこの事実を盾にキャスパーの陳情を却下する。加えて、増長するキャスパーの昨今の態度に対して、釘を刺すべく強い言葉で牽制をする。
陳情が聞き入れられないばかりか、面と向かって侮辱されたキャスパーは、捨て台詞を残してレオのもとから帰って行く。二人の話し合いは、バーニー1人の問題を超えて、遺恨を残し物別れに終わった格好だ。
レオ組織の参謀役であり、レオの親友でもあるトム(ガブリエル・バーン)は、レオから全幅の信頼を寄せられている。
トムは、レオとキャスパーの言い争いを一部始終隣で聞いた上で、レオに思い直すように進言する。なぜなら、この街におけるキャスパー組織の台頭ぶりは無視できない規模になってきていること、そして何より、レオがバーニー(ジョン・タトゥーロ)の肩を持つのは、レオがバーニーの姉ヴァーナ(マーシャ・ゲイ・ハーデン)に入れあげているからに他ならず、今回のレオの行動は道理が通らないからである。
更にトム(ガブリエル・バーン)は、ヴァーナがレオに接近するのは、恋愛感情からではなく、弟バーニーの身の安全を確保するための打算であることも、その慧眼で見抜いている。
一方そんな聡明なトムにも、ギャンブル中毒と言う弱点があった。トムはカードや競馬の負けが込んで、ノミ屋のラザールからの借金は膨らむ一方であった。
そんな中、ある晩、トムは何を思ったのか、ヴァーナの部屋を訪れる。ヴァーナもトムをそのまま部屋へと招き入れる。
別の晩の明け方4時に、トムの部屋をレオ(アルバート・フィニー)が突然訪れて来る。冷静を装いながらトムはレオを部屋へと招き入れ、ウイスキーを飲ませて話を聞いてやる。
レオはヴァーナに想いを寄せるあまり、部下のラグにヴァーナを尾行させていたが、そのラグとは連絡が途絶え、ヴァーナも行方不明になってしまったらしい。心配でたまらないレオは、次の打ち手を相談したくてこんな時間にも関わらずトムの部屋に押しかけて来たのだ。
ヴァーナは大人の女だから心配ないと諭して、レオ(アルバート・フィニー)を帰らせるトム(ガブリエル・バーン)。ところが、トムが自分のベッドに戻ると、まさにヴァーナがその隣に居たのだ。
この投稿をInstagramで見る
そして、翌日、ラグが道端で死体となって発見される・・・
果たして、トム – ヴァーナ – レオの三角関係はどうなっていくのか?トムがわざわざヴァーナに接近した目論見は何なのか?
そして、ラグを殺したのは誰か?キャスパーはこの殺害に関わっているのか?これからレオに対してどういう行動に出てくるのか・・・?
見どころ (ネタバレなし)
この映画の見どころを3つの観点に絞って書いてみたいと思います。この映画を是非観てみたいと思っていただく、あるいは観た時により味わい深い鑑賞のお手伝いとなれると嬉しいです。
どれもネタバレなしで述べますので、安心して読んでみてください。
ガブリエル・バーンとニヒルなハードボイルド
この映画の最大の見どころは、やはり主演のガブリエル・バーンの魅力じゃないでしょうか?これまで映画で何度も主役を張ってきたバーンですが、彼をイメージして脚本が書かれたのではないかと思うぐらい、トム・レーガンというキャラクターにガブリエル・バーンがハマっています。
この投稿をInstagramで見る
冷静沈着、頭脳明晰。それでいて寡黙で世の中を達観しているような態度。一体腹の底で何を考えているか分からない男。自身の親友であり自分のボスであるレオに対して、2人きりの時は申し出を拒否したり、進言したり、諭したりと対等な関係性を見せながらも、第三者が居る前ではボスの顔をつぶすことは絶対にしない忠義の男。
クラシックな映像美と合わせて、そんなニヒルなハードボイルドを是非お楽しみください!
コーエン兄弟らしい難解なテーマ
本作品には、コーエン兄弟の作品らしく難解なテーマが練り込まれています。これは厳密に言うと、提示されているテーマは明快なんだけど、これが難解な形で描かれるので、注意深くストーリーを追っていかないと混乱してしまうという話です。この辺りのひねった ”遊び” を楽しめるかが、この映画、ひいてはコーエン兄弟の作品を好きになれるかの分水嶺な気がします。
具体的には、この映画のテーマは超序盤の早い段階で示されちゃいます。上述の「あらすじ」でも触れた、映画冒頭でキャスパー(ジョン・ポリト)がレオ(アルバート・フィニー)のところに陳情に訪れるシーンで明示的に言及がなされています。
すなわち、Friendship (友情)、Character (人間性)、Ethics (倫理)、そして Courtesy (礼節) というキーワードが、キャスパーとレオの会話の中で飛び出します。要はここから、これらの観念をコーエン兄弟がどう料理するか?が見どころとなって行くわけです。
この説明だけではピンと来ないと思うので、一つだけ例を挙げます。八百長情報を事前リークするノミ屋のバーニー(ジョン・タトゥーロ)を糾弾するキャスパー(ジョン・ポリト)は、”人が仕組んだ八百長の成立を邪魔するなんて倫理観のカケラもない”という主旨の発言をします。
一瞬正しいことを言っているような錯覚を覚えますが、そもそも賭け事で八百長って仕組んじゃダメだろ?って話であって、Ethics(倫理)って本当は何なんだっけ?というテーマを、我々は考えさせられることになります。この辺りがこの物語の見どころとなってくるわけです。
コーエン兄弟、ひねりすぎ?w
やたらとウィスキーが美味そう
3つ目はただの感想みたいな話で恐縮なんですが、ウィスキーがやたらと美味そうに描かれてるんですよね。
禁酒法時代のアメリカ社会において、実際のところどのぐらいお酒が流通していたのか、実際のところどれだけの酒場が営業していたのかの肌感覚を筆者は持ち合わせませんが、少なくともこの作品においては、そんな法律お構いなしで酒場は営業され、自宅でもお酒を飲んでいます。
アイリッシュ・ウィスキーなんでしょうか?登場人物たちはやたらとウィスキーを飲みます。何も足さずにストレートで飲むか、クリスタルのような美しい氷を入れたオン・ザ・ロックで飲むか、ボトルからグラスに注いだウィスキーを、クイッと飲み干します。
それがやたらとスタイリッシュでカッコいいんですよね。もっと言うと、ガブリエル・バーンなんて二日酔いの時ですらカッコよく描かれます。シンプルに、こういうビジュアルが美しいのもこの映画の見どころだと思います。
とにかくビジュアルがスタイリッシュ!
まとめ
いかがでしたか?
友情、人間性、倫理、礼節 といった比較的普遍的なテーマを、敢えて複雑な人間模様に当て込み、そこにスタイリッシュな映像を装飾するという、一段階も二段階も高度なこの佳作を、ちょっとでも観てみたいと思って頂けると嬉しいです。
この作品に対する☆評価ですが、
総合的おススメ度 | 3.0 | マニアックな楽しみ方を求めるかも |
個人的推し | 3.0 | 体感的にちょっと長く感じる |
企画 | 3.5 | テーマの練り込み方が独創的 |
監督 | 3.0 | 少し長く感じて途中ダレちゃう |
脚本 | 3.5 | 少し凝り過ぎかなぁ・・・ |
演技 | 3.5 | ココ!ってゆー山場が無いような・・・ |
効果 | 4.0 | 色、照明は本当に美しい! |
このような☆の評価にさせて貰いました。
非常に凝った作品で興味深い試みが随所に沢山あるんだけど、少し凝り過ぎで、流石にちょっとダレちゃう感は否めないです。コーエン兄弟の独創性の萌芽は感じさせつつも、興行的失敗が示すように、総合的に楽しめる作品か?と言うと、若干メリハリが足りないような…
どこかのタイミングで一度は観て頂きたい作品であるのは確かです。