この記事でご紹介する「ピアノ・レッスン」は、1993年に公開された官能的な恋愛映画です。声を一切発しない女性と1台のピアノを軸にして、2人の男性が絡んでくるこの物語は、カンヌ国際映画祭でパルム・ドールを、アカデミー賞で脚本賞、主演女優賞、助演女優賞を受賞。
この映画を観るか迷っている方は、後でご提案する ”ジャッジタイム” までお試し視聴する手もあります。これは映画序盤の、作品の世界観と展開が ”見えてくる” 最短のタイミングのことで、作品が気に入らなかった場合に視聴を離脱する目安タイムです。
もし、この映画が気に入らなかった場合でも、このジャッジタイムで観るのを止めちゃえば時間の損切りができます。タイパ向上のための保険みたいなものです。
この映画を初めて観る方のことも考えて、ネタバレなし で、作品の特徴、あらすじ(ジャッジタイムまでに限定)、見どころを書いて行きます。この映画の予習情報だとお考えください。
この映画を観るかどうか迷っている人、観る前に見どころ情報をチェックしておきたい人 のことも考え、ネタバレしないように配慮しています。
美しい映像に叙情的な音楽が重ね合わされたこの芸術作品をご覧になる前に、少しだけ予習情報を仕入れておき、より味わい深く鑑賞するお手伝いをさせてください。一緒にピアノ・レッスンの旋律に耳を傾けてみましょう。
ジャッジタイム (ネタバレなし)
この映画を観続ける、見限るかを判断するジャッジタイムですが、
- 上映開始から39分30秒のタイミングをご提案します。
ジャッジタイムまで、かなり長めの設定ですが、冒頭から静かにストーリーが展開して行く物語なので、この辺りまでご覧いただかないと、話が ”見えない” と思うんですよね。
概要 (ネタバレなし)
この作品の位置づけ
「ピアノ・レッスン」(原題: The Piano) は、1993年に公開された官能的な恋愛ドラマ。フランス、ニュージーランド、オーストラリアの合作作品で、監督・脚本を務めたジェーン・カンピオンを始め、スタッフ、出演者に、舞台となったニュージーランドにゆかりのある人間が多いのが特徴。
作品そのものは、同年1993年の第46回カンヌ国際映画祭で最高賞にあたるパルム・ドールを受賞した(女優賞も受賞)。一方翌年の第66回アカデミー賞で、脚本賞(ジェーン・カンピオン)、主演女優賞(ホリー・ハンター)、助演女優賞(アンナ・バキン)を受賞した。
アンナ・バキンはX-Men のイメージが強いけど、受賞時11歳。史上2番目の若さの受賞!
ホリー・ハンターはこの年、「ザ・ファーム 法律事務所」の演技で助演女優賞にもノミネートされてたのよね
ジェーン・カンピオンによるパルム・ドールの受賞は、女性監督として、そしてニュージーランド出身の監督として初の快挙であった。なお、1997年にヴェネツィア国際映画祭で北野武監督が「HANA-BI」で金獅子賞を受賞した際の、審査員長を務めていたのは、このジェーン・カンピオンであった。
タイトルの意味
この映画の邦題は「ピアノ・レッスン」だが、原題は「The Piano」だ。ストーリー内容を予告するという意味では、”ピアノレッスン” の方が分かりやすいが、この作品のテーマという意味では ”The Piano” の方が適切だと思う。
というのも、この作品は、ホリー・ハンター扮する、言葉を発することは出来ないが、芯が強く、感受性豊かで、情熱を内に秘めたエイダという主人公が、自身が所有する1台の古いピアノを、まるで自分の分身のように扱うことが物語の下敷きになっている。その彼女と1台のピアノを巡るストーリーなので、「The Piano」な訳だ。
商業的な成功
上映時間は121分で極めて標準的。製作費は700万ドルで、世界興行収入は1億4000万ドルを売り上げたと言われている。実に20倍のリターンである。製作費が破格の安さということもあるが、芸術的な評価と商業的な成功の両方を勝ち取った作品と言える。
あらすじ (39分30秒の時点まで)
舞台は1852年のスコットランド。比較的裕福な家庭に生まれたエイダ(ホリー・ハンター)は、何故か幼少のある時から一切の言葉を発しなくなり、大人になった今も手話か筆談で生活している。そんな彼女がのびのびと自分を表現できるのは、ピアノを演奏している時だけ。
エイダはフローラ(アンナ・パキン)という娘を抱える未婚のシングル・マザーでもあり、彼女が心を開くのは、一人娘のフローラと、自分の分身のように大切にしている1台の古いピアノだけだ。
エイダの父親は、エイダの嫁ぎ先を見つけてきたが、それは未開の地ニュージーランドを開拓している入植者スチュアート(サム・ニール)だった。
エイダ(ホリー・ハンター)とフローラ(アンナ・パキン)は長い航海の末、労働夫たちの手により、大量の荷物、そして分身のピアノと共に、荒天の中ニュージーランドの海岸に上陸する。しかし、悪天候によりその日に迎えが来なかったため、仕方なく2人で一晩海岸で野宿をする。
翌日、夫となるスチュアート(サム・ニール)が、現地のマオリ族との交渉役を務めるべインズ(ハーヴェイ・カイテル)を伴い、ようやく海岸に現れるものの、エイダの懇願もむなしく、帰路の悪路と人足の数の都合により、エイダのピアノだけ海岸に置き去りにされてしまう。スチュアートには、エイダがピアノにこだわる理由が理解できなかったのだ。
写真撮影だけの結婚の儀式を済ませると、スチュワートはマオリ族の土地を買い付けに数日間出掛けてしまう。現地での生活に馴染めないエイダ(ホリー・ハンター)は、フローラを伴いべインズ(ハーヴェイ・カイテル)の家を訪ね、ピアノが置き去りにされた海岸に案内してくれるように頼み込む。
字が読めないべインズには筆談が通じないため、フローラを介した交渉は難航したが、母娘の粘りに根負けしたべインズは2人を海岸へと案内する。
久しぶりにピアノを弾けたことを心から喜ぶエイダは、日が暮れ始めるまで時が経つのも忘れ、ピアノを奏で続ける。嬉しそうな母の周囲でハシャぐフローラ。そんな様子を静かに眺め、ピアノのメロディーに耳を傾けるべインズ。
ある日べインズとスチュアートが森の開墾作業をしていると、べインズ(ハーヴェイ・カイテル)が、ピアノを弾けるようになりたいのでエイダのピアノを譲って欲しいと申し出る。代わりに自身が所有する80エーカーの土地を差し出すという。スチュアートはこの話に飛びつき、独断でエイダのピアノ譲渡に合意し、彼女をピアノ教師に派遣するとまで言い出す。
エイダ(ホリー・ハンター)は、スチュアートが、いつまで経ってもピアノを取りに行かないばかりか、あろうことか自分のピアノを無断で転売し、かつピアノを現地人に教えろと言い出したことに激しく抗議するが、スチュアートは「犠牲に耐えるのが家族だ」という自身の価値観を押し付け、この会話を打ち切る。
後日、エイダとフローラが仕方が無しにべインズの下を訪れると、いつの間にかピアノは正確に調律されており、エイダの演奏により再び美しい音を奏でる。ピアノはべインズが調律師を呼び寄せ整備しておいてくれたのだ。エイダはべインズにピアノを教えようとするが、べインズはエイダの演奏に耳を傾け、眺めていたいだけだと、レッスンを固辞する。
毎回限られた時間とは言え、思う存分ピアノが弾ける喜びに、エイダはべインズの家に通い続けるが、ある日べインズは演奏中のエイダに近付き首筋にキスをする。突然のことに驚くエイダを、何とか落ち着かせたべインズは、来る度に鍵盤の所有権を1本ずつ譲るので、その代わりやりたいことをやらせてくれと願い出る。
ピアノを取り返したいエイダは、この申し出に対し、白鍵盤は含めず黒鍵盤だけで取引を完結させる条件で合意する。
果たして、2人だけのピアノ・レッスンは、どのような経緯を辿ることになるのか…?
見どころ (ネタバレなし)
この映画は、上の「あらすじ (39分30秒の時点まで)」で書いたように、ちょっと不思議なストーリーです。ただし、映像も、音楽も、描写も抜群に美しいです。
見どころを以下の3点に絞って書いてみたいと思います。
映像の美しさ
この映画の撮影監督を務めたのは、イングランド系ニュージーランド人のスチュアート・ドライバーグです。彼はこの「ピアノ・レッスン」を40歳時に努めた後キャリアが開け、コメディー、ラブコメ、アクションと幅広くハリウッド映画で活躍して行きますが、とにかく本作「ピアノ・レッスン」では、彼が撮影した映像が美しいです。
上述のジャッジタイム(=この映画を観続けるか見限るかを判断するタイミング)までの間を観ただけでも、撮影を通してストーリーの演出をサポートしていることをご確認頂けると思います。
まずは、色調を丹念に調整しているのが分かります。エイダ(ホリー・ハンター)とフローラ(アンナ・パキン)が、スコットランドからニュージーランドへと渡った直後までは、白黒映画かと見紛うまでに画面は彩度を落とした絵で構成されます。二人の衣裳もモノトーンに揃えられているので、新天地に来た母子の不安な気持ちが画面一杯に拡がって行きます。
現地の生活に、娘のフローラ(アンナ・パキン)が先に順応するに従い、彼女だけ多少カラフルな服を着始め、画面の絵もそれに合わせて彩度が調整されます。そして、エイダ(ホリー・ハンター)がピアノを思う存分弾くシーンで、一気に画面が鮮やかになり、観ている私たちを映画に引き込んでいきます。
こうした視覚的な演出を通して、荒天の海や、開拓途中の山林を、美しいというよりは、残酷で圧倒的なものとして描いて行き、遠く故郷を離れたエイダの孤独を強調して行きます。是非その目でご確認ください。
この作品のテーマと演技
この作品で描かれるのは、1台のピアノと、それに関わる1人の女と2人の男ですね。誰にでも自分の命の次に、いや下手すると命と同じぐらい大切な物があると思います。
主人公のエイダ(ホリー・ハンター)にとっては、それが1台のピアノな訳です。何故なら、幼少の頃から言葉を発することが出来ず、会話は手話か筆談に頼るしかない彼女にとって、唯一雄弁に自分を表現できる方法がピアノの演奏であり、そのための道具が使い慣れた1台のピアノだからです。
夫になるスチュアート(サム・ニール)は、未開のニュージーランドを開拓し、妻エイダが新生活に慣れるのを辛抱強く待つ立派な男ですが、残念ながらエイダとピアノの関係を理解しようともしません。代わりに彼女の心の声に耳を傾けたのは、字も読めず筆談もかなわないべインズ(ハーヴェイ・カイテル)でした。
顔にマオリ族の入れ墨を入れ、彼らとも同等に接するべインズこそが、エイダのピアノの旋律に魅せられ、素の彼女に真正面から働きかけて行くようになります。
悪く言えば三角関係、横恋慕ですが、こうした心の機微を、静かに、でも力強く、グロテスクにならないように品を保って演じているホリー・ハンター、ハーヴェイ・カイテル、そしてサム・ニールの演技が、この映画を安っぽいメロドラマに陥らせず、官能的で美しい作品へと昇華させてくれます。是非ご覧ください!
情景が拡がるBGM
マイケル・ナイマンが担当したオリジナル・サウンドトラックは、全世界で300万枚を売り上げる異例の大ヒット。それもそのはず、この映画のBGMナンバーは、映画のテーマとなるピアノのソロ演奏はもちろんのこと、スコットランド民謡風の楽曲が入植者のルーツを示唆したり、オーケストラ・ナンバーが耳を通して映画の情景を拡げたり、この作品の世界観を数段高めてくれます。
主題歌の「楽しみを希う心 / The Heart Asks Pleasure First」は、親しみやすいメロディーでありながら、目を閉じて幸せを願うような物悲しさがあって、この映画に一本シッカリとした軸を通してくれています。主題歌とアルバム全体のリンクを載せておきます。
「映像の美しさ」「作品のテーマと演技」「情景が拡がるBGM」の3点に絞って「見どころ」を書いてみました。皆さんが尾の映画のテーマに迫るお手伝いが出来ると嬉しいです。
まとめ
いかがでしたか?
ともするとメロドラマに身をやつしそうな作品なんですが、才能あふれる出演者、スタッフのお陰で素晴らしい芸術作品に仕上がっているこの映画。それは、カンヌ国際映画祭もアカデミー賞も証明してくれていると思います。
是非、鑑賞前の予習情報としてお手伝いできていると嬉しいです。
この作品に対する☆評価ですが、
総合的おススメ度 | 4.5 | 一度はご覧になっても損は無いと思います |
個人的推し | 4.0 | 気楽に観ることは出来ないです… |
企画 | 4.5 | 声を発しない主人公が雄弁に語るというコンセプト |
監督 | 4.0 | 女性による女性の男女のためのストーリー |
脚本 | 3.5 | 唯一無二な世界観!これに尽きる |
演技 | 4.5 | 主要キャスト4人の演技がホントに圧巻です! |
効果 | 4.5 | 映像と音楽が本当に美しい! |
総じて、大変不思議な映画ですね。
女性監督が、女性を主人公に据えて描いている。でも、それは女性のためのストーリーと言う訳ではなく、男女の情愛を描いている。主人公は声を発しないし、演技も抑えられているのに、その痛み、焦燥感、情熱はひしひしと伝わって来る。美しい大自然が舞台なのに、それはむしろ残酷で醜いものとして描かれる。
全ては逆張りで配置されているにも関わらず、トータルでは美しい映画として記憶されていく。不思議だ…
今回この記事を書くために再視聴しましたが、全く印象が変わりました…