話題の記事続編なのに1作目の質を超えた映画5選

【ネタバレなし】実話に基づく映画「ソーシャル・ネットワーク」(あらすじも)

この記事でご紹介する「ソーシャル・ネットワーク」は、2010年のドラマ映画。Facebook という、現在のIT業界四大帝国 GAFA の一翼を担う巨大企業が、どのように起業、発展、急成長して行ったかを軸に、関係者の野心、友情、成功、裏切りを描いていく挑戦的な作品。

この映画を観るか迷っている方は、後でご提案する ”ジャッジタイム” までお試し視聴する手もあります。これは映画序盤の、作品の世界観と展開が ”見えてくる” 最短のタイミングのことで、作品が気に入らなかった場合に視聴を離脱する目安タイムです。

もし、この映画が気に入らなかった場合でも、このジャッジタイムで観るのを止めちゃえば時間の損切りができます。タイパ向上のための保険みたいなものです。

この映画を初めて観る方のことも考えて、ネタバレなし で、作品の特徴あらすじ(ジャッジタイムまでに限定)、見どころを書いて行きます。この映画の予習情報だとお考えください。

この映画を観るかどうか迷っている人観る前に見どころ情報をチェックしておきたい人ことも考え、ネタバレしないように配慮しています。

この映画と、ベン・メズリックが記した原作本「The Accidental Billionaires: The Founding of Facebook, a Tale of Sex, Money, Genius, and Betrayal」との違いにも触れながら、このドラマ映画の圧倒的な個性を言語化できたらと思います。

この作品をより味わい深く鑑賞するために、一緒に予習情報を仕入れておきませんか?

目次

ジャッジタイム (ネタバレなし)

この映画を観続けるか、見限るかを判断するジャッジタイムですが、

  • 上映開始から29分00秒のタイミングをご提案します。
29分00秒

ここまでご覧になると、この映画のテイスト、そして、この映画独特のテンポ感が掴めてくると思います。そして、Facebook の初期立ち上げに、どんな人間関係と感情が絡んでいたかが分かります。

好き嫌いを判断するのに必要十分な情報が得られるタイミングだと思います。

概要 (ネタバレなし)

この作品の位置づけ

「ソーシャル・ネットワーク」(原題:The Social Network) は、2010年のドラマ映画。全世界で毎月30億人がアクセスしている巨大SNS Facebook の誕生の舞台裏を描く。CEO に就任する創業者の一人、マーク・ザッカーバーグが、在学中のハーバード大学において、進出したシリコンバレーにおいて、どんな人間と出会い、どんな心境の変化が生まれ、そしてどんな人間を切り捨てて行くのか・・・?

ベン・メズリックが2009年に出版した「The Accidental Billionaires: The Founding of Facebook, a Tale of Sex, Money, Genius, and Betrayal」(邦題:facebook 世界最大のSNSでビル・ゲイツに迫る男) を、アーロン・ソーキンが更なる取材を重ねて映画脚本化。そして、デヴィッド・フィンチャーが、独特のリズム、映像美で大胆に映画化。

後に四大IT企業 GAFA の一翼を担うことになる facebook において、創業からのほんの数年の間に巻き起きる、若者たちの人間模様を、フィンチャー、ソーキンの研ぎ澄まされたセンスで描き出して行くドラマ作品。

脚本アーロン・ソーキン(左)と監督デヴィッド・フィンチャー(右)

芸術的評価

この作品は、アカデミー賞8部門にノミネートされ、編集賞、作曲賞、脚色賞の3部門で受賞。特に、原作本を人間ドラマへと広げたアーロン・ソーキンの脚本がオスカーを受賞したのは素晴らしいことだと思う。

アカデミー賞3部門を受賞
あわわっち

素人目にも正当な評価だと思います!

商業的成功

この作品は、上映時間120分という極めて標準的な長さの作品。製作費は4千万ドルで、全世界で2億2千5百万ドルの売上を上げた大ヒットとなった。実に5.6倍以上の収益である。

5.6倍の大きなリターン

多くの人が使っている巨大SNSの創業の舞台裏は、やはり多くの人が気になったということか?

あらすじ (29分00秒の時点まで)

2003年秋、ハーバード大学の学生マーク・ザッカーバーグ(ジェシー・アイゼンバーグ)は、交際中のボストン大学の学生エリカ・オルブライト(ルーニー・マーラ)と、パブでビールを飲みながら何気ない会話を交わす、はずだった。

しかし、マークの独善的で人を見下した物言いに、次第に怒り、呆れるエリカ。彼女はその場でマークと別れることを宣言する。そして、「あなたはオタクだからモテないと思ってるでしょ?違うわ。性格がサイテーだからモテないのよ」という捨て台詞を残し去って行く。

ハーバード大学キャンパス内にある寮の自室に戻ったマークは、腹いせにエリカの悪口をブログに書きなぐるだけでは飽き足らず、ハーバード大の女性学生の容姿を、一対一で比較するサイト ”Facemash” を、たった4時間で立ち上げる。容姿比較に必要な女学生の写真は、わざわざ学内の全寮のサイトをハッキングしてかき集めるほどの念の入れよう。

この悪趣味なサイトは男子学生を中心に瞬く間に人気を集め、サイト開設から2時間で22,000アクセス。更に2時間後の午前4時には、スーパーボールの日以上のトラフィックを生み、ついにはハーバード大のサーバーがダウンする。

大学の査問委員会で査問を受けることになったマーク。女学生には謝罪済みだし、ハッキングについてはシステムの脆弱性を浮き彫りにしたから逆に評価されるべきと、全く反省の色を示さない。結果、半年の観察処分が下される。

彼の才能に目を付けたのが、ボート部のエースを張る双子のエリート、キャメロンとタイラーのウィンクルヴォス兄弟(アーミー・ハマー)。彼らは、マークが憧れる”ファイナル・クラブ”と呼ばれるエリート・クラブの建物にマークを招待した上で、”ハーバード・コネクション” というSNSを構築してくれと依頼する。

”ハーバード・コネクション” は、既存のマイスペースと似た仕様で、顔写真と紹介文を紹介するだけのSNSだが、ドメイン名が “harvard.edu” であるため、ハーバードの男子学生と付き合いたがっている女子学生に人気になるはずだというのが、ウィンクルヴォス達の目論見であった。

マークは、あっさりとこの依頼を受諾する。

しかし、マークは後日、親友のエドゥアルド・サベリン(アンドリュー・ガーフィールド)に、ハーバード・コネクションとは別に、The Facebook というSNSを立ち上げることを提案する。基本コンセプトは、排他的なコミュニティをネットで再現し、当人の承諾なしではメンバー間のコネクションを作れないSNSにして特別感を出すこと。

2人は役割分担も決める。大量のプログラミングはマークが受け持ち、エドゥアルドはシステムを動作させるサーバーのレンタル代 1,000ドルを出資して、ビジネス面を取り仕切るCFO に就任する。取り分については、マーク対エドゥアルドで 70:30 とすることで合意する。

ハーバード・コネクションの依頼を受けておきながら、コンセプトをパクったThe Facebook のプロジェクトを開始するマーク。果たして、これらは彼をどんなトラブルへと押しやって行くのだろうか?

見どころ (ネタバレなし)

この作品の実に個性的な点を3つの観点に絞って書いてみたいと思います。基本線は、この映画をとにかく観てみて!なんですが、観た時により味わいが深くなる様なナビゲーター役を務められてると嬉しいです。

キャラクターを浮き彫りにする台詞

アーロン・ソーキンの脚本が、ジェシー・アイゼンバーグが扮する主人公マーク・ザッカーバーグの人間性を、その台詞を通して鋭く描き出して行きます。これが、本作品の最大の見どころだと思います。

この映画の描写対象は、十中八九マーク・ザッカーバーグです。そして、それは他の第三者の視座で描かれる訳でなく、ストーリーは徹頭徹尾マーク・ザッカーバーグの目線で進んで行きます。

つまり、この映画はマークによるマークの物語として展開されて行く訳です。となると、そのマークの人間性を描写する手立ては、マーク自身の台詞か行動に絞られていく訳ですが、特にその台詞により、マークの屈折した人間性を巧みに炙り出す演出手法が取られています。

例えば、映画はマーク(ジェシー・アイゼンバーグ)と、そのガールフレンドのエリカ(ルーニー・マーラ)の会話で幕を開けますが、マークがファイナル・クラブと呼ばれるエリート学生限定のクラブへの入会を望む動機が、「選ばれた人しか入れないクラブだから」と述べます。

分かりますか?この本末転倒な感じ。選ばれし者であることを証明して、その結果入会が付いてくるのではなく、入会できれば選ばれし者だという発想。ブランド服を着れば金持ちになれる、みたいな幻想。

エリカはそれに対して「自分なりに努力すればそれで十分」と諭しますが、マークはこれにも「冗談だろ?」と小馬鹿にするような態度を取ります。

”ファイナル・クラブに入って女にモテたい”とかの短絡的な思考の方が、ある意味よっぽど健全な若者の姿だと思うんですよね。エリート・クラブへの入会で自己の歪んだ劣等感を昇華せんとする様を、こんな捻じれた台詞で端的に表現するなんて、アーロン・ソーキンの脚本はエグすぎます。これはエンタメとして好き嫌いが分かれるところだとは思いますが、こうした会話劇にご注目です!

独特のテンポを刻むデヴィッド・フィンチャーの演出

上述の「あらすじ」の範囲を観ただけでも、マーク・ザッカーバーグ(ジェシー・アイゼンバーグ)が訴訟沙汰へと追い込まれて行くことが示唆されているのにお気付きになると思います。そして、それはどうやら民事訴訟なので、被告のマークと原告が、双方弁護士を伴ってそれぞれの主張を繰り広げて行く様子も見えてきます。

民事訴訟なので、どうやら何度も何度も審問の場が、日を替え、場所を替えて持たれることも合わせて示唆されるのですが、それらは時系列に沿って順番に描かれて行くのではなく、複数回の審問が細切れにカットされ、補足説明もなく編集でダイレクトに繋なぎ合わされ、あたかも一回開催の審問のように画面に映し出されます。

この唐突な切り替わりと繋ぎ合わせが、この映画に独特のテンポを刻みます。

そもそも、全編に渡って暖色系に色調を調整された、ストーリー内容に場違いなぐらい美しい映像が、登場人物たちを包み込んでいくテイストも違和感があるのに、そこへ来て上述の不思議な編集が注ぎ込まれ、映画は独特の緊張感を醸し出します。

映像作家デヴィッド・フィンチャーらしい、個性的な手法で、私たちを映画に引き込んで行きます。これには思いっきり身を委ねちゃってください。

アカデミー編集賞の受賞も納得です!

陽キャと陰キャ

乱暴に言うと、この映画の主要登場人物は陽キャか陰キャのどちらかです。陽キャと隠キャを両極端に配し、原作本では薄かった大学カーストという舞台装置を整えることで、根底にある劣等感を視覚化しようとしているように思えます。

主人公のマーク・ザッカーバーグは間違いなく陰キャな訳ですが、その陰キャ陽キャに復讐を果たそうとしたり、陰キャ陰キャを切り捨てれば陽キャの仲間入りが出来ると勘違い(?)したりと、陰キャならではの悲しい性が描かれて行きます。

その陰キャド本丸の言動を、ジェシー・アイゼンバーグが、物の見事に体現してみせます。こんなリアリティが高く生々しい陰キャ像って今だかつてあったでしょうか?

共感でも同族嫌悪でも共感性羞恥でも何でも結構です。このキャラクターの手触りを鑑賞してみてください!

まとめ

いかがでしたか?

100年に一回ぐらいしか起きない大事件を、個性的な俳優陣が、個性的な脚本に沿って、個性的な映像美でパッケージした120分。観てみたいなと思って頂けると本望です。

この作品に対する☆評価ですが、

総合的おススメ度 3.5 観ていて愉快な話ではない…
個人的推し 4.0 掘り下げ方がとにかくエグイ!
企画 3.5 これを映画化するのは必然?!
監督 4.0 この物語でもフィンチャー感を入れてくる辺り!
脚本 4.0 会話が秀逸!(不愉快ですが・・・笑)
演技 4.0 大学カーストが辛い・・・
効果 3.5 上述の通り編集が秀逸!
こんな感じの☆にさせて貰いました

このような☆の評価にさせて貰いました。

内容的に決して愉快な作品ではないので、エンタメ作品とは言えないかも知れません。

ただ、事件の内幕を描くに当たって、ドキュメンタリー色を排して、芸術作に寄せて行くあたり、デヴィッド・フィンチャーの個性爆発です!それも静かに・・・

アーロン・ソーキンによるマーク・ザッカーバーグの台詞が、とにかく神経を逆なでしてくるので、それを楽しめるかが、この映画の好き嫌いを分けるかも知れません。

あわわっち

本当に本人はこんな人なのかな?人だったのかな?

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