この記事でご紹介する「トゥルーマン・ショー」は、1998年公開のドラマ映画。ある青年の生まれてから現在に至るまでの全人生が、本人の承諾なく、ずっと世界中に生中継されているというお話。
21世紀の現在でも「バチェラー」のような、ある環境下に人を放り込んで何が起きるかをリアルタイムで追うシミュレーテッド・リアリティ(Simulated Reality)という番組ジャンルがありますが、それをある人物の生涯全部に当てはめている様を描いた作品。
この映画を観るか迷っている方は、後でご提案する ”ジャッジタイム” までお試し視聴する手もあります。これは映画序盤の、作品の世界観と展開が ”見えてくる” 最短のタイミングのことで、作品が気に入らなかった場合に視聴を離脱する目安タイムです。
もし、この映画が気に入らなかった場合でも、このジャッジタイムで観るのを止めちゃえば時間の損切りができます。タイパ向上のための保険みたいなものです。
この映画を初めて観る方のことも考えて、ネタバレなし で、作品の特徴、あらすじ(ジャッジタイムまでに限定)、見どころを書いて行きます。この映画の予習情報だとお考えください。
この映画を観るかどうか迷っている人、観る前に見どころ情報をチェックしておきたい人 のことも考え、ネタバレしないように配慮しています。
インターネットやSNS が普及する前夜とは言え、当時もリアリティ番組が次々と生まれ、誰かの私生活を”消費” の対象にし始めた時代。そんな世間の野次馬根性に一石を投じた作品。
ただし、映画の主張を観客に一方的に押しつける作風にはなっておらず、楽しく鑑賞できるエンタメ作品に仕上がっています。
How’s it going to end? この記事で、ちょっとだけこの ”トゥルーマン・ショー” の世界に足を踏み入れてみませんか?
ジャッジタイム (ネタバレなし)
この映画を観続けるか、見限るかを判断するジャッジタイムですが、
- 上映開始から17分30秒のタイミングをご提案します。
ここまでご覧になると、この映画の世界観がある程度つかめると思います。そして、主人公の置かれた環境、その周囲を固める関係者の体制、そして主人公が少しずつだけど生活に違和感を感じ始める様子が描かれます。
この先も観たいか判断できる最も早いタイミングとしてご提案します。
概要 (ネタバレなし)
この作品の位置づけ
「トゥルーマン・ショー」(原題:The Truman Show) は、1998年公開のドラマ映画。のどかな島で生まれ育ったある青年が、人生を自己の意思に基づいて生きて来たと錯覚させられているが、実は彼のこれまでの生涯は、全てTV局が描いたシナリオに沿ったもので、彼のその私生活はリアルタイム番組として世界中に生中継されているというお話。
主人公の青年トゥルーマンを演じるのはジム・キャリー。1994年公開の「マスク」で大ブレイクを果たしたジム・キャリーが、前年の「ライアー・ライアー」(1997年) と合わせ、本作「トゥルーマン・ショー」(1998年) の大ヒットで、客を呼べる人気俳優としての地位を不動のものにした。
原案
”原案”として公式にはクレジットはされていないが、この映画には元ネタとなる物語が存在する。それは、フィリップ・K・ディックの「時は乱れて」(原題:Time Out of Joint) という1959年に出版された小説だ。
この物語は、新聞の難問懸賞クイズを2年間解きまくってきた青年が、実は解答を通してその天才的頭脳を、冷戦時代のアメリカ国家に利用されていたというお話。しかも、青年は1950年代を生きていると認識していたが、本当の外界世界はもっと未来に進んでいて、青年は捏造された過去世界に封じ込められていたという設定。
「トゥルーマン・ショー」では、主人公を利用している主体者は国家ではなくTV局。目的も、天才的な頭脳の盗用ではなく、リアルな私生活の切り売りへと置き換わっているが、成人した青年が、本人の承諾なしに、模造された世界に閉じ込められているプロットは同じである。
なお、フィリップ・K・ディックの奇想天外なストーリーの数々は、その独創性により度々映画化の対象になっている。下の表参照のこと。
映画作品 | 公開年 | 原作本 | 監督 | 主演 |
ブレードランナー | 1982 | アンドロイドは電気羊の夢を見るか? | リドリー・スコット | ハリソン・フォード |
トータル・リコール | 1990 | 追憶売ります | ポール・バーホーベン | アーノルド・シュワルツェネッガー |
トゥルーマン・ショー | 1998 | 時は乱れて (※アイデアの転用程度) | ピーター・ウィアー | ジム・キャリー |
マイノリティー・リポート | 2002 | マイノリティー・リポート | スティーブン・スピルバーグ | トム・クルーズ |
ペイチェック 消された記憶 | 2003 | 報酬 | ジョン・ウー | ベン・アフレック |
スキャナー・ダークリー | 2006 | 暗闇のスキャナー | リチャード・リンクレイター | キアヌ・リーヴス、ウィノナ・ライダー |
NEXT -ネクスト- | 2007 | ゴールデン・マン | リー・タマホリ | ニコラス・ケイジ |
アジャストメント | 2011 | 調整班 | ジョージ・ノルフィ― | マット・デイモン |
トータル・リコール | 2012 | 追憶売ります | レン・ワイズマン | コリン・ファレル |
脚本と監督
本作の脚本を書いたのは、アンドリュー・ニコルである。このアンドリュー・ニコルが、上述の「時は乱れて」からアイデアを転用しつつ、本作のオリジナル脚本を書き上げた。
当初は本作の監督を、そのアンドリュー・ニコルが務めるという話もあったが、実績を買われてピーター・ウィアーが起用された。ピーター・ウィアーは、「刑事ジョン・ブック 目撃者」(1985年) 、「いまを生きる」(1989年) 、「グリーン・カード」(1990年) など、緊張感と人間ドラマをバランス良く演出する名監督であり、本作でもその手腕が遺憾なく発揮されている。
時代背景と考察
まず時代背景の違いをおさらいしよう。
カメラ付きスマートフォンとSNSが高度に普及した現代(2020年代)から見ると、この映画が制作された1990年代後半は遥かに牧歌的な時代であった。
しかし、それ以前の時代から見れば、1990年代も相当異質な時代が到来したと認識されていた。
というのも、1990年代中盤に衛星放送が普及し、居住地域がCATV(ケーブルテレビ)のサービスエリアに入っていなくても、衛星を介して24時間多チャンネル放送を楽しめる時代がやってきたからだ。
こうして、例えば24時間ゴルフ番組を放送し続けるチャンネルが登場する等、各チャンネル・各番組の専門化が進んだ。同時に番組を制作する側は、一気に増えた放送枠を埋めるために、より多くのコンテンツを制作・供給する必要が出てきた。
こうした時代の要請と親和性が高かったのがシミュレーテッド・リアリティ(Simulated Reality)番組である。シミュレーテッド・リアリティ番組とは、何がしかの集団を、家屋や車両や無人島など特定環境に一定期間放り込んで、そこで自然発生する人間模様を、随所に設置したカメラで24時間追い続け、極力編集を施さずにそのまま放送する番組のことである。
こうした産地直送的な”リアリティ”番組のスタイルは、演出がかった芝居や、過剰な映像加工に飽きていた多くの視聴者から新鮮だと歓迎され、新たな番組ジャンルとして確立して行く。
しかし同時に、こうしたプライベート空間の”垂れ流し”は、出演者個人のプライバシーの範囲、他人の私生活を消費することの倫理性、どこまでが自然体でどこからが演出なのかのヤラセの問題等、番組制作上の正誤の境界線を曖昧にして行くことになった。
本作「トゥルーマン・ショー」は、主人公の青年のこれまでの半生全てが、本人の承諾なく世界中に公開され消費対象になっているという、究極の状況を劇中で提示することで、個人のプライバシーを食い物にするリアリティ番組の異常性を提示している。
こうした文脈により、「トゥルーマン・ショー」は、1990年代を象徴する作品と言える。
更に言うと、次の10年に発生するスマートフォンとSNSの爆発的な普及により、全人類がカメラマン兼記者に変貌して、他人のオフショットを日常的に晒し合う21世紀を予見する先駆者的映画である。これは後述するRotten Tomatoes(ロッテン・トマト)の論評とも完全に合致する。
評価
この作品は、Rotten Tomatoes で94%という非常に高い支持を受けている(Rotten Tomatoesでは60%以上が『新鮮』、60%未満が『腐っている』という評価)。その理由は、『この映画は面白く、感動的で、考えさせられる作品』と評され、特筆すべきは『セレブリティ文化と一般大衆による他人の私生活に対する興味に関して、先見の明がある(あった)』と認識されているからだ。
商業的成功
この映画の上映時間は103分と、標準より短めである。体感時間も含めて比較的サクッと視聴できてしまう作品ではないだろうか。製作費は6千万ドルで、世界興行収入は2億6千4百万ドルを売り上げた。実に4.4倍のリターンである。
絶対額としての売上も、相対額としての利益率も、大ヒットを記録した作品と言える。
あらすじ (17分30秒の時点まで)
トゥルーマン・バーバンク(ジム・キャリー)は、生まれてから10,909日目(満29歳)を迎える男性。シーヘブンという島に暮らす生命保険の営業マン。
一見すると、のどかな町で暮らす平凡なアメリカ人青年のように見えるが、実は彼の暮らす環境は、クリストフ(エド・ハリス)という敏腕TVプロデューサーの指揮の下、無数の俳優と緻密なセットによって構成されている模造社会である。そして、至る所に隠された5,000台のカメラとマイクにより、トゥルーマンの生活は24時間世界中に生中継されている。
しかし、その事実はトゥルーマン本人には巧妙に隠されている。そう、トゥルーマン・バーバンクは、本人の承諾なしに、”トゥルーマン・ショー”というリアリティ番組にトゥルーマン本人役で、生まれてこのかたずっと出演させられているのである。
トゥルーマンの生活は、随所にわざとらしい企業案件が挿入されたり、舞台装置の故障や不具合が発生したりと、不自然な点が散見されるが、妻や友人もおり、基本的にはトゥルーマンは朗らかな毎日を送ってきた。
しかしここへ来てトゥルーマンは、妻とこのシーヘブンを出てフィジーへ旅することを夢見始めている。それを阻む障害は、妻の反対と、夫(=トゥルーマンの父)に先立たれた母の存在である。
そんなある日、トゥルーマンがいつものように町を歩いていると、浮浪者の格好をした死んだはずの父親に遭遇する。「えっ?父さん?」と、その浮浪者に話しかけるトゥルーマン。しかし浮浪者は、その事態に即応した近くの男女により連れ去られ、トゥルーマンの追跡も、周囲の人間の巧妙な連携プレーによって妨害される。
トゥルーマンは早速母親に会いに行き、父との再会を報告するが、母親は他人の空似だと全く取り合ってくれない。自宅に戻ると、母から連絡を受けたという妻も、まるで相手にしてくれない。
トゥルーマンは、どことなく物足りない日常生活、家族との噛み合わない会話、そして周囲の不審な事象から、自分の人生の何かがおかしいと感じ始める…
見どころ (ネタバレなし)
この映画の見どころを3つの観点に絞って書いてみたいと思います。本作は、サクッとエンタメ作品として楽しんでも良いですし、深ぁーく色々考えても良い作品になっているように思います。
ちょっと掘り下げてみようかな?という方向けに、こんな観点を持つと、より味わい深くなるかも?という視点をご提案したいと思います。
全てネタバレなしで書いていきますので、安心してお読みください。
独特なカメラワーク
この「トゥルーマン・ショー」という映画を特徴づけ、かつ最大の見どころとなるのは、そのカメラワークだと思います。
この映画では、”トゥルーマン・ショー”という名のリアリティ番組が、劇中劇として同時進行して行くことが映画の冒頭で宣言されます。そして、ジム・キャリー扮するトゥルーマン・バーバンクという青年は、本人の自覚なしにその番組の主人公にさせられてしまっていることも、同時に我々観客の知るところとなります。
そこで興味深いのは、映画の主人公トゥルーマンの姿は、ことごとく”トゥルーマン・ショー”の隠しカメラを通して映し出されて行くことです。洗面所のマジックミラーの裏にあるカメラから、隣人のゴミ箱に設置された隠しカメラから、車のカーラジオに仕込まれたカメラから…
こうして私たちは、映画「トゥルーマン・ショー」を観始めたつもりが、いつの間にか同時に、シミュレーテッド・リアリティ番組”トゥルーマン・ショー”の視聴者にもさせられてしまいます。この共犯関係への巧みな誘導が、作品世界への没入感と緊張感を生む最大の功労者だと思います。
ちょっとその辺りを意識してご覧になると、この映画の主題の輪郭もよりクリアになると思うので、気にしてみてください。
大衆文化への皮肉
この映画は、エド・ハリス扮する”トゥルーマン・ショー”のプロデューサー、クリストフの次の言葉で幕を明けます。
「俳優の作り物の演技はいい加減飽き飽きだ。派手な爆破シーンや氾濫するSFXも。このショーでは世界そのものは作り物だが、トゥルーマンは偽物じゃない。シナリオやキュー・カードはない。シェイクスピアには劣っても、それは本物の人生だ…」
クリストフは、リアリティ番組”トゥルーマン・ショー”の生みの親であり、全権プロデューサーなので、番組の舞台となるシーヘブン島の全知全能の神みたいな存在です。そんな彼がトゥルーマンは本物だと宣言するところから映画は始まるのです。
ところが、映画を観進めて行くとすぐにあることに気付きます。それは、確かに騙されているトゥルーマンの言動や反応は本物かも知れないけど、トゥルーマンの妻や親友ですら番組が準備した偽物で、プロデューサーの指示に従って動いていることです。
クリストフの言う”世界”とは、主人公の半径50㎝にまで迫る狭苦しい世界を指している訳です。おまけにトゥルーマンの妻は、ちょいちょいスポンサー企業案件と思しき商品の宣伝も自身の演技に挿入してきます。
リアリティ・ショーと言いつつ、資本主義経済社会の上に成り立つ大衆文化である以上、それはいつだって商業主義的欺瞞にまみれているんだ!という、痛烈な皮肉がこうした演出に込められているように思います。
現代社会において、我々がメディアを通して見せられている本物(=リアル)って、一体全体何なんでしょう?そんな問い掛けが、この映画の見どころであり醍醐味だと思います。
ジム・キャリーの演技
ジム・キャリーの演技がとにかく素晴らしいです!
どう素晴らしいか?と言うと、それは絶妙なバランス感覚です。重くなり過ぎず、軽くなり過ぎず。
ジム・キャリーは、「自分の周囲の世界はどうも作り物っぽいぞ?」という疑いを持つ主人公を演じます。そして親しい人間にその疑念を共有しますが相手にされません。思い過ごしだと説得されるだけです。
これって、タイムトラベルものの作品で、危機的な未来から平和な過去にタイムスリップした主人公が陥りがちな状況に似ていますよね。そんなSF作品では、人類の存亡が主人公のプレゼン力にかかっているので、孤軍奮闘する主人公は超シリアスにならざるを得ません。
一方で、この「トゥルーマン・ショー」でも主人公が孤独な戦いを強いられますが、その影響を喰らうのは、その主人公ただ一人です。本人にとっては人生を賭けた大問題ですが、他人からすれば消費する”リアリティ・ショー”に過ぎません。高々ハラハラドキドキの対象に過ぎない訳です。
その辺りの、重くなり過ぎず、軽くなり過ぎないという作品全体のトーン設定と、ジム・キャリーが醸し出すシリアスなんだけどちょっとコケティッシュというニュアンスが絶妙にマッチしていて、この映画をとても飲み込み易くしてくれます。誰にも真似できない才能なんでしょうね。
そんなオブラートのような役割を果たすジム・キャリーさんのお陰で、この作品が掲げる、個人の自由、人生の選択、社会との繋がりといった重い命題も、私たちは素直に受け止められる気がします。皆さんの目にはどう映るでしょうか?
まとめ
いかがでしたか?
この練りに練られた秀作の魅力を、予習情報としてポイントを絞ってお伝えできていると幸いです。
この作品に対する☆評価ですが、
総合的おススメ度 | 4.5 | 今観ても古さを感じない! |
個人的推し | 4.5 | コンパクトにまとまっている! |
企画 | 4.5 | 原案を現代版に流用したアイデア! |
監督 | 4.0 | バランス感覚 |
脚本 | 4.5 | 痛烈な皮肉 |
演技 | 4.0 | 団体芸、大規模シットコム |
効果 | 4.5 | 没入感の高い映像表現! |
このような☆の評価にさせて貰いました。
企画が斬新。そこが全ての出発点。そして、大規模シットコムとしての団体芸を、巧みなカメラワークで臨場感たっぷりに演出!それでいてコンパクトにまとまっている(103分!)。言うことない秀作でしょう!今観ても、その問題提起は全く古さを感じません。
是非一度はご覧になっていただきたい作品です。
脚本のアンドリュー・ニコルは予言者ですね!