この記事では映画「ジョーカー」について解説します。ホアキン・フェニックスが、主役のジョーカー役でアカデミー主演男優賞を受賞した傑作です。これは、同一キャラクターを別の俳優が演じてそれぞれアカデミー賞を受賞した、史上2例目の快挙になりました。
この映画を観るか迷っている方は、後でご提案する ”ジャッジタイム” までお試し視聴する手もあります。これは映画序盤の、作品の世界観と展開が ”見えてくる” 最短のタイミングのことで、作品が気に入らなかった場合に視聴を離脱する目安タイムです。
もし、この映画が気に入らなかった場合でも、このジャッジタイムで観るのを止めちゃえば時間の損切りができます。タイパ向上のための保険みたいなものです。
この映画を初めて観る方のことも考えて、ネタバレなし で、作品の特徴、あらすじ(ジャッジタイムまでに限定)、見どころを書いて行きます。この映画の予習情報だとお考えください。
この映画を観るかどうか迷っている人、観る前に見どころ情報をチェックしておきたい人 のことも考え、ネタバレしないように配慮しています。
それ以前とは全く異なる”ジョーカー”の演技、演出、そして作品がもつ独特の雰囲気。この作品の世界に足を踏み入れてみてください!
ジャッジタイム (ネタバレなし)
この映画を観続けるか、見限って離脱するかを判断するジャッジタイムは、
- 上映開始から15分30秒のポイントをご提案します。
ここまでご覧になると、主人公の置かれた境遇が見え、この映画トーン、作風がある程度掴めると思います。ご興味が湧けば是非観続けて頂きたいですし、ご自身には合わないなと思ったら、この段階で離脱しておくことをお勧めします。本作品は癖が強いので。
概要 (ネタバレなし)
この作品の位置づけ
「ジョーカー」(原題:Joker) は、2019年公開の映画。ホアキン・フェニックスが、登場してから70年以上の歴史を持つ犯罪王 ”ジョーカー” というキャラクターを演じている。本作は、一般にサイコスリラーと分類されるが、その単純なカテゴリーには収まり切らない、あまりにも独特なシナリオと作風である。
というのも、この作品以前に映画で”ジョーカー”というキャラクターが登場したのは3回。「バットマン」(1989年)、「ダークナイト」(2008年)、「スーサイド・スクワッド」(2016年) の三作品である。そこでは ”ジョーカー”は全てカリスマ的犯罪王という立ち位置だった。ところが、本作「ジョーカー」における”ジョーカー”の中身は、アーサー・フレックという名の、気が弱く、要領の悪い売れないコメディアンだ。
「バットマン」コミックに出てきたオリジナルの”ジョーカー”は、その1940年代から続く長い歴史の中で、白い肌、緑の頭髪、そして口裂け女のようなふざけた唇といったお馴染みの身体的特徴を確立させた。しかし、それらはメーキャップではなく素の容姿という設定(=化学工場の特殊な薬品の中に転落して、あの容姿になってしまった)となっている。つまり生来のサイコパスという内面を、獲得したあの容姿が体現しているという訳だ。
しかし、本作でホアキン・フェニックスが演じるアーサー・フレック/ジョーカーについては、雇われピエロを演じる際の単なるメーキャップが、様々な要因を経て、犯罪アイコンとしての”ジョーカー”のメイクに変貌を遂げて行く。じゃあ何で気が弱く冴えないコメディアンが、邪悪な”ジョーカー”になっちゃったの?という疑問が湧くと思うが、その紆余曲折こそが本作品の主題、シナリオなのでここでは述べない。
いずれにせよ、他の3作品とは大きく趣が異なり、単なる犯罪映画でもサイコスリラー映画でもないことが、少しでも伝わると嬉しい。
トッド・フィリップス監督
本作製作の初期段階では、この作品はマーティン・スコセッシ監督、レオナルド・ディカプリオ主演の構想もあったという。しかし、実際に監督に指名されたのはトッド・フィリップス。彼は、ハチャメチャ・コメディの大傑作、ハングオーバー三部作を監督・製作した映画人で、本作「Joker」以前はコメディの名手という印象だった。
ところが本作で三役、すなわち製作(ブラッドリー・クーパー、エマ・ティリンガー・コスコフと共同)、脚本(スコット・シルヴァーと共著)、監督を引き受けると、スコット・シルヴァーと1年掛けて、本作の構想・脚本を練り上げた。特に構想についてはインタビューでこのように語っている。
私たちは、ジョーカーを単なる悪役として描くつもりはありませんでした。代わりに、彼がそうなるまでの心理的な変遷を描き、彼の過去や背景を掘り下げることで、観客に彼の行動を理解させることを意図していました。この映画は、ジョーカーがどのようにして「ジョーカー」となったのかを描く人物研究であり、彼の起源についても新しい解釈を提示することを意図しています。
2019年 Deadline のインタビュー記事
そして、脚本執筆段階から、ホアキン・フェニックスを想定してシナリオを書いていたことも明言しています。
私たちは常に、この映画に誰をキャスティングするかについて話していました。私たちは、ジョーカーにぴったりの俳優を探していました。そして、私たちはホアキン・フェニックスが最高の選択肢だと思っていました。彼がジョーカーにどのようなアプローチをするかは分かりませんでしたが、彼がその役割を演じることに興味を示していることを知っていました
2019年 Deadline のインタビュー記事
私たちは、この映画をホアキン・フェニックスと共に作り上げたかったのです。彼は、彼自身の方法で役に向き合い、彼自身の世界を作り出す俳優であり、私たちは彼の演技に非常に感銘を受けていました。彼は、物事を深く考え、役割に没頭する俳優であり、私たちが探していたものを持っていると感じたのです
2019年10月 Variety.com より
トッド・フィリップスが思い描いた”ジョーカー”のシナリオをスッキリと理解するために、以下に対比例を出してみよう。
クリストファー・ノーランは、ヒース・レジャー扮する”ジョーカー”を通じて、市井の人々が次々と”ジョーカー”の繰り出す罠に振り回され、内心に潜むエゴを徐々に露出させてしまう叙事詩を描いたのに対し、トッド・フィリップスは、ホアキン・フェニックス扮する”ジョーカー”を通じて、市井の社会的弱者であったアーサー自身が、心理的に追い詰められて”ジョーカー”へと変貌して行く叙情詩を描きたかったという寸法だ。
繰り返しになるが、本作品が単なるサイコスリラーではないことを少しずつでもイメージして頂けると嬉しい。
興行的成功
上映時間は122分と標準的です。でも、結構長く感じるかも知れません。それは退屈だからという意味ではなく、ずーっと何かを突き付けられているような息苦しさがあるからです。
製作費5千5百万ドルで、世界興行収入10億7千4百万ドル。R-15+指定なのに(=視聴者が絞られたのにも関わらず)この大ヒットは異例中の異例だ。これはR指定映画の歴代興行成績の1位であり、R指定映画で初めて10億ドル越えた快挙である。
あらすじ (15分30秒の時点まで)
舞台は1980年代。アーサー・フレック(ホアキン・フェニックス)は、大都市ゴッサム・シティのピエロ派遣業に登録している無名のコメディアンだ。今日も派遣先へと向かう準備で、事務所の鏡の前でピエロのメーキャップをしている。
ゴッサム・シティは財政難にあえいでおり公共サービスが停滞、清掃業者組合が対抗措置として3週間近くストを続けているため、街にあふれるゴミが日に日に増えて行くありさまだ。
ある日アーサーはあてがわれたピエロの仕事で、ある店のセールを宣伝する看板を持って歩道で道化役を演じる。ところが、通りがかった若者数名にその看板を奪われ逃走される。取り返そうと路地裏まで必死に追ったアーサーは、逆に若者たちの待ち伏せに合い、袋叩きに遭ってしまう。
市の公共サービスの一環でカウンセリングを受けるアーサー。彼は幼少期に負った脳の損傷のせいで、ストレスを覚えると笑いが止まらなくなるという疾患を抱えている。カウンセラーの前で、笑いたくもないのにひとしきり笑い続けた後に、「狂っているのは僕か?それとも世間か?」とこぼす。
担当のカウンセラーはアーサーに寄り添うでもなく、時代が悪いとだけ述べる。ただ、アーサーに課した日記の記入が続いているかだけを気にしている。アーサーが日記兼ネタ帳にしているノートを見せると、それに一瞥を加えるだけだ。アーサーは、薬の処方を増やすことを望むが、既に7種類を服用していることを理由に、カウンセラーはこれを却下する。
自宅への帰路、公共バスに乗るアーサー。前の座席に座る黒人の幼い男の子と目が合ったので、おどけた表情を作りこの子を笑わすが、その子母親にはあからさまに非難されてしまう。ストレスを覚えて、また大声をあげて笑ってしまうアーサー。予め準備してあった「脳疾患で笑い声が出ます」というカードを手渡すも、同情を得るまでには至らず。
自宅の古いアパートに戻ると、待ちわびていた年老いた母親ペニー(フランセス・コンロイ)が真っ先に気にするのは、郵便が届いていたかだ。ペニーは30年前に勤めていたトーマス・ウェイン邸(後のバットマン、ブルース・ウェインの父親の家)に、自分たちの経済的困窮を訴える手紙を何度も送っていた。そこからの届くはずもない返事を待ちわびているのだ。
次期ゴッサム・シティ市長候補トーマス・ウェインは、比類なき立派な人格者で、いつか自分達や街を救ってくれると信じて疑わない母親のペニー。アーサーは、少し認知症気味である、そんな母親の世話を優しく焼いている。
TVではマレー・フランクリン・ショーが始まる。このショーは、マレー・フランクリン(ロバート・デ・ニーロ)がホストを務める生放送のコメディーショーだ。アーサーは、マレー・フランクリンを愛し、この番組に没頭する余り、ショーの飛び入りゲストとしてマレー・フランクリンと一緒にステージに立ち、母親の世話を焼く日常をマレーから絶賛される妄想を見る。
こんなアーサー・フレックにどんな出来事が待ち受けているのか・・・
見どころ (ネタバレなし)
象徴的、かつ具体的な事象
15分30秒までの「あらすじ」でも述べたが、主人公のアーサー・フレックは、脳の損傷によりストレス下で意思に反して大声で笑ってしまうという精神障害を持つ、しかも一定時間以上。これにより彼は周囲の人間を非常に不快にさせる存在として描かれている。そもそもカウンセラーと目を合わせて会話が出来ない、人に要領よく物事を説明できない、非常に内向的な人物として描かれる。
端的に言ってしまうと、彼はコミュ障であり、障害を抱える社会的弱者である。
そんな彼が社会からの暴力、無関心、排除という悪意に次々と出遭う。若者からの通り魔的な暴行。心に寄り添ってくれないカウンセラー、そしてバスに同席した幼児の母親。「狂っているのは僕か?それとも世間か?」という象徴的な台詞も飛び出す。
ここでポイントとなるのは、アーサーに悪意を投げつけてくるのは漠然とした社会全体ではなく、顔の見える、手に振れる距離にいる各個人である点だ。
冒頭から、こういう象徴的、かつ具体的な事象を丁寧に積み上げることによって、アーサー・フレックという心優しい青年の打ちひしがれていく心理が描かれて行く。もしご覧になるのが辛ければ離脱する、そうでなければドップリ浸かる。そんな作品だと思います。
観るのが辛いんだけど、目が離せないというのが初見の感想でした・・・
ホアキン・フェニックスの演技
トッド・フィリップスに見染められて本作の主演を張ったホアキン・フェニックス。20キロの減量をして撮影に臨んだという。彼は伏し目がちな目付き、それでしたり顔の表情、さらには癖のある口調、そして全身の動きで、まさに体当たりでアーサー・フレック像を構築していると思います。
やべー奴って感じで勝手に喋るシーンもあり、ボンヤリとした目付きで哀愁を漂わせるシーンもあり、肩を落としてトボトボと家路を急ぐシーンもあり、あるいは単にやせ細った背中だけで貧困を体現するシーンもあり。全身で発する多彩な表現を楽しめます。
特に顔が白塗りになっているシーンは、その分だけ表情が読み取りにくいので、全身の動きが心理表現を余るほどに補っていて、本当に目が釘付けになります(気持ち悪いけど)。
ホアキン・フェニックスは本作の”アーサー・フレック/ジョーカー”役でアカデミー主演男優賞を受賞しました。”ジョーカー”役は「ダークナイト」でヒース・レジャーもアカデミー主演男優賞を受賞しています。
同一キャラクターを複数の俳優が演じてオスカーに輝くのは、ビトー・コルレオーネを「ゴッドファーザーPartⅠ」「ゴッドファーザーPartⅡ」で、それぞれマーロン・ブランドとロバート・デ・ニーロが演じてアカデミー賞を受賞して以来なんじゃないでしょうか?
カメラワーク
プロの方がご覧になれば、色々色々挙げ連ねることが出来るポイントがあるのでしょうが、素人目に印象的だったのは、アーサーを”寄り”で映すシーンと、”引き”で移すシーンとのメリハリがハッキリしている点でしょうか。
後述のシネマティックな映像との相乗効果もありますが、”寄り”でアーサーの心理に迫るのはもちろんのこと、”引き”の映像で「都会にポツンと一人きり」という孤独感を滲みださせるカメラワークが印象的です。
歳不相応な地味なカーディガンを来て、トボトボと肩を落として歩くシーンは、無力感に苛まれますね・・・
シネマティックな映像
今やスマホやiPhoneにも搭載されているシネマティックな映像がとても印象的です。市街地で、バスの中で、アーサーの自宅周辺で。アーサーを構図の中で前後の中央に捉え、敢えてその手前や奥に別の対象物を置き、ピントをアーサーにだけ合わせ、前後はピントがボケた映像を映し出す。
街の人込みの中でも、バスの乗客の中でも、焦点が合うのはアーサー自分自身だけという。他人が周囲に居ても気持ちは孤独という彼の心理状況を象徴的に映し出す絵柄です。加えて映像全般に色褪せたトーンが採用されていて、そのレトロな趣が、より一層物悲しさを引き立てています。是非、ご堪能頂きたいです。
妙に”映える”映像なんですよね。
貧困という社会的テーマ
アーサーが持つ個人的な疾患から少し目を逸らしても、アーサーが依然として社会的な弱者であることが嫌でも目につきます。低賃金で働き、年老いた母親を必死に世話をする。ゴッサム・シティという自治体自体が公共サービスを停止するほどの機能停止、思考停止状態に陥っている。アーサーに一体何が出来ると言うのか?
アーサーの個人的特殊事情の裏には、こうした普遍的なテーマが下敷きになっているので、観るこちら側も他人事ではなくアーサーに心情的に共感出来るんじゃないでしょうか?この後続くストーリーにおいても、彼に共感できるのかどうか?是非ご自身の目でお確かめください。
暴力+ストリーテリングは、犯罪に根拠を与えてしまうと賛否両論を呼びますね
映画「タクシー・ドライバー」の影響
トッド・フィリップスは、映画「タクシー・ドライバー」からの影響を明言してますね。
「『タクシードライバー』は、私たちにとって非常に重要な映画でした」
2019年9月30日 GQ誌 のインタビューにて
大都会で暮らす青年が、孤独を募らせていく内に、徐々に追いつめられて精神が崩壊して、遂には… というプロットは、まんま重なるモノがあります。見比べてみると面白いと思います!
「タクシー・ドライバー」の見どころをネタバレなしでご覧になりたい方は、こちらの記事もどうぞ!(サーバー・キャッシュの関係で”404 ぺーじがみつかりませんでした”エラーが出力されているかも知れませんが、リンク先には正常に飛べます)
印象的な弦楽器の音
音楽を、ヒドゥル・グドナドッティルという人が担当していますが、BGM で流れる弦楽器の音が非常に印象的です。気付くとこの音が流れ、ズーンっと重ーい気持ちにさせられます。映画のやるせなさ、無力感を強調するのに大きな役割を担っています。
ヒドゥル・グドナドッティルは、本作でアカデミー作曲賞を受賞しています。納得です!
まとめ
この作品に対する☆評価ですが、
総合的おススメ度 | 3.5 | 残酷なシーンも含めて陰鬱なので、おススメはしません |
個人的推し | 4.5 | バットマン関係ないですね。独立した傑作映画です! |
企画 | 4.5 | 叙情詩にした企画が素晴らしい! |
監督 | 4.5 | 象徴的な絵柄に引き込まれっぱなしです。 |
脚本 | 4.5 | 丹念な人物描写で、アーサーから目が離せません |
演技 | 4.5 | フェニックスのみならずデ・ニーロの存在感! |
効果 | 4.5 | 色合いと音! |
R-15+に指定されている映画です。暴力シーンとかあります。そして何より全般的に陰鬱な映画です。よって、映画でスカッとしたい人、そういう気分の時にはお勧めしません!
ただ、多少この手の作品に免疫がある方には、一見の価値あり!と断言できます。製作陣の独創的なアプローチの勝利です。
続編も絶賛製作中です!