この記事では、2010年公開の「アウトレイジ」について解説します。後にシリーズ化されて三部作となった本作。”アウトレイジ”の意味、暴力が描かれる意義、そして時代背景を掘り下げることで、この作品の意図に迫りたいと思います。
この映画を観るか迷っている方は、後でご提案する ”ジャッジタイム” までお試し視聴する手もあります。これは映画序盤の、作品の世界観と展開が ”見えてくる” 最短のタイミングのことで、作品が気に入らなかった場合に視聴を離脱する目安タイムです。
もし、この映画が気に入らなかった場合でも、このジャッジタイムで観るのを止めちゃえば時間の損切りができます。タイパ向上のための保険みたいなものです。
この映画を初めて観る方のことも考えて、ネタバレなし で、作品の特徴、あらすじ(ジャッジタイムまでに限定)、見どころを書いて行きます。この映画の予習情報だとお考えください。
この映画を観るかどうか迷っている人、観る前に見どころ情報をチェックしておきたい人 のことも考え、ネタバレしないように配慮しています。
北野武監督が描きたかった世界、そして、これだけの豪華キャストが必要な理由。作品の必然性に迫りながら、この作品の楽しみ方、あるいは視聴を迷っている方の事前判断材料をご提供できればと思います。一緒に”アウトレイジ”な世界に一歩踏み込んでみましょう!
ジャッジタイム (ネタバレなし)
この映画を観続けるか、見限るかを判断するジャッジタイムですが、
- 上映開始から17分15秒の時点をご提案します。
この時点で、この映画の世界観が見えます。そして、徐々にストーリーが動き出す気配を感じられます。こういうの「好きだな」と思えるか、「いや、こういうの無理」と判断するのに、このタイミングが最適だと考えます。
概要 (ネタバレなし)
この作品の位置づけ
「アウトレイジ」(英題:Outrage) は、2010年公開のヤクザ映画。北野武の15本目の作品。この映画はヒットによりシリーズ化され、最終的に三部作となる。北野作品は、北野武自身が脚本、監督、製作総指揮を務めるのが常であり、アウトレイジ・シリーズも同様である(下の表参照)。
邦題 | 英題 | 公開年 | 監督 | 脚本 | 製作 | 編集 | 製作総指揮 |
アウトレイジ | Outrage | 2010 | 北野武 | 北野武 | 森昌行 吉田多喜男 | 北野武 太田義則 | 北野武 |
アウトレイジ・ビヨンド | Outrage Beyond | 2012 | 北野武 | 北野武 | 森昌行 吉田多喜男 | 北野武 太田義則 | 北野武 |
アウトレイジ 最終章 | Outrage Coda | 2017 | 北野武 | 北野武 | 森昌行 吉田多喜男 | 北野武 太田義則 | – |
”outrage” とは、単純に訳すると”怒り”という意味だ。ただし、”rage” だけでも”怒り”を意味する(「レイジング・ブル (Raging Bull) 」は、”怒れる雄牛” という意味)単語なのに、そこに接頭語 “Out” が付くわけだから、いよいよマジで怒っているという意味になる。抑えきれない怒り、暴力性というニュアンスをタイトルに込めているの感じましょう。
本作品でも、カメラワークに北野作品らしさが出ている。ハンディカメラで対象物を動的に追っていくよりも、定点からのパンや、工夫されたアングル・構図、そしてそこに編集も付け加えることで、画面に動きを付けて行く傾向が見られる。脚本、監督、製作総指揮の三役に加えて、編集にも北野武自身が加わることで、監督としてのこの意向が色濃く反映されているのだろうか。
商業的評価
本作品は上映時間109分で、ちょっと短めである。興行収入は7.5億円で特大のヒット作とは言えないが、豪華キャストも手伝って公開後の反響はとても多いかった。結果続編が製作され、2作目「アウトレイジ・ビヨンド」では倍近い興行収入を上げたので、公開当時も非常に将来性のある評価を受けたと結論付けられるのではないか。
あらすじ (17分15秒の時点まで)
関東最大の広域暴力団山王会。今日はその本部で開かれた定期会合に、直参の幹部(2次団体の組長)が招集されていた。
会議終了後、出席者の一人、池元組組長池元(國村隼)は、総長の関内(北村総一郎)に呼び止められ、池元と兄弟分の村瀬との関係について直接釘を刺されてしまう。総長関内は、村瀬組が麻薬取引で資金力を高めていることを警戒していたのだ。一方の池元は、総長関内の杯という空手形を餌に、村瀬からこの資金の一部を恒常的に吸い上げており、総長直々の牽制で身動きが取れなくなってしまう。
困った池元は、傘下の大友組組長大友(ビートたけし)に、村瀬組と一騒動起こすように命じる。自身や池元組は村瀬組と直接コトを構えず、山王会総長の関内や、若頭の加藤(三浦友和)の意向に従うには、これが良策だと考えたからだ。
舞台は夜の繁華街へと変わる。一見サラリーマンにしか見えない岡崎(坂田聡)が、ポン引きに言われるがままクラブに行くと、一時間で60万円を請求されてしまう。そこは村瀬組がバックに付いているぼったくりバーだったのだ。仕方がなく岡崎は自社の事務所に電話し、今から店員と金を受け取りに行くから100万円を準備しておくようにと、怯えながら依頼する。
渋る岡崎を小突きながら、村瀬組組員の飯塚(塚本高史)がその”事務所”に行くと、何とそこは大友組の組事務所だった。これは全て大友組が仕掛けた罠だったのだ。現金100万円を目の前に置き、飯塚を威圧する若頭の水野(椎名桔平)。飯塚はこの金を固辞しようとするが、水野の迫力に気圧され、その100万円を手に事務所から逃げ去ってしまう。
関内総長の杯が欲しい村瀬(石橋蓮司)は、この事態を早期に収拾するため池元と合意の上で、飯塚(塚本高史)に指を詰めさせ、若頭の木村(中野英雄)を付き添わせて、大友組に詫びに行かせる。
ところが武闘派の大友組は、この詫びを受け入れるどころか、木村(中野英雄)を煽るだけ煽って、木村も事務用のカッターナイフで指を詰めるように強要する。木村も昔気質のヤクザなので、後に引けなくなって意地でも指を詰めようとするが、如何せんカッターナイフでは物理的に指は切断できず断念する。
この一連の様子を冷静に眺めていた大友組長(ビートたけし)は、突然そのカッターナイフを拾い上げると、木村の顔を切り付ける。顔から滴る血を手で押さえ、復讐を誓いながら、木村は飯塚と共に大友組を後にする。
山王会の総長(北村総一郎)、若頭(三浦友和)の意向、池元(國村隼)・村瀬(石橋蓮司)の思惑、そして、大友組長(ビートたけし)や木村(中野英雄)の怨恨。それぞれの階層で、それぞれの打算がある中、意地の張り合いと暴力は加速して行く。果たして最後に笑うのは誰だ…?
見どころ (ネタバレなし)
徹底した暴力の描写
本作品では、徹底して暴力が描写されている(R15+指定)。もともと”暴力”は、北野作品に通底する主要なテーマであるが、このシリーズではヤクザを題材にしているので、特に暴力が色濃い。ただしこの作品では、ストーリーを描写する”ツール”としての暴力と言うより、もはや暴力を描くことが目的になっているような節がある。
この点は、作品の好き嫌いがハッキリ分かれるところだと思うので、上述の”ジャッジタイム”も活用しながら、本作品を鑑賞するかしないかは各自でご判断ください。
北野作品は、同じく暴力を主要なテーマにしているクエンティン・タランティーノ作品と比較されることが多いが、そういう意味では、北野作品とタランティーノ作品とは根本的に主旨が異なると筆者は考えています。タランティーノ作品は、暴力はあくまでも人間を生き生きと描くための”ツール”であり、本当に描きたいのは暴力ではなくて人間やそのキャラクターだと思っています。その証拠に、タランティーノは死体をあまり映さないんですよね。北野作品は、殺害の描写よりも死体の描写優先ですね。
これについては、こちらの記事で深く掘り下げたので、ご興味があればご覧になってみてください。
悲劇と喜劇は紙一重
では、北野武は、暴力フレーバーが全編にマブサれたこの作品で何を描きたかったのだろうか?最終的な核心は、ご本人に訊いてみないことには判らないが、筆者が思うに”悲劇と喜劇は紙一重”であり、その悲劇(=喜劇)の最たる例として暴力、そして人の死を、次から次へと109分間に渡って描きたかったのではなかろうか。
”ビートたけし”は若い頃より、”悲劇”と”喜劇”が描いている題材は本質的には全く同じもので、それを当事者として間近で見ると悲劇になり、高いところから達観すると喜劇になるという主旨の発言を良くしていたように記憶している。
成長が止まった組織のゼロサムゲーム
物語では、関東の広域暴力団山王会のイザコザが描かれる。1991年に施行された暴対法(暴力団対策法)は、この映画が公開された2010年の段階で、1992年、2004年、2008年と改正され(2011年、2013年にも改正)、暴力団に対する取り締まりが一層厳しさを増していたという時代背景がある。
飲食店、ギャンブル、風俗店経営など旧来型の利権は、増えるどころから現状維持もままならず、減る一方というのが共通の認識だろう。そんな成長が止まった組織においては、部下からの求心力を得るための新しい餌は、既得権者から取り上げないと準備出来ない。しかしもちろん、取り上げられる方は当然必死に抵抗する。
そんな醜い”ゼロサムゲーム”を、どギツく描くために、徹底的に暴力を準備したのではないか?そして、砂糖に群がる蟻状態をまざまざと示すために、有名な俳優を数多く起用して、その大勢の人間がもがく村社会を描いたのではないだろうか?
確認できただけでも、これだけの出演者が名を連ねている。
役名 | 俳優 |
大友(大友組組長) | ビートたけし |
大友の女 | 板谷由夏 |
水野(大友組若頭) | 椎名桔平 |
水野の女 | 渡辺奈緒子 |
石原秀人(大友組組員) | 加瀬亮 |
安倍(大友組組員) | 森永健司 |
上田(大友組組員) | 三浦誠己 |
岡崎(大友組組員) | 坂田聡 |
江本(大友組組員) | 柄本時生 |
大友組組員 | 新田純一 |
大友組組員 | 渡来敏之 |
大友組組員 | 岩寺真志 |
大友組組員 | 小村裕次郎 |
大友組組員 | 大原研二 |
大友組組員 | 田崎敏路 |
片岡(悪徳マル暴刑事) | 小日向文世 |
山本(刑事) | 貴山侑哉 |
刑事 | 辻つとむ |
関内(山王会会長) | 北村総一朗 |
加藤稔(山王会若頭) | 三浦友和 |
加藤の部下 | 島津健太郎 |
山王会本部若衆 | 真田幹也 |
池元(池元組組長) | 國村隼 |
小沢(池元組若頭) | 杉本哲太 |
小沢の手下 | 外川貴博 |
小沢の手下 | 江藤純 |
村瀬(村瀬組組長) | 石橋蓮司 |
木村(村瀬組若頭) | 中野英雄 |
飯塚(村瀬組組員) | 塚本高史 |
佐山(村瀬組組員) | 芹沢礼多 |
村瀬組組員 | 内野智 |
村瀬組組員 | 鈴木雄一郎 |
ぼったくりバーの店員(村瀬組組員) | 瀧川英次 |
ぼったくりバーの店員(村瀬組組員) | 井澤崇行 |
ぼったくりバーの店員(村瀬組組員) | 金原泰成 |
ぼったくりBARのママ | こばやしあきこ |
グバナン共和国在日大使館大使 | ハーシェル・ペッパース |
ジュン(美人局のホステス) | しいなえいひ |
ラーメン屋の客 | 太田浩介 |
ラーメン屋店長 | マキタスポーツ |
ラーメン屋店員 | ケンタエリザベス3世 |
歯科女医 | 中村純子 |
はみ出し者なのか、飼い慣らされた犬なのか
あらすじを書いた17分15秒の時点までの間に、広域暴力団山王会の幹部会合のシーンが出て来る。その帰路、それぞれに直参の組長を乗せた6台の黒塗りの高級車が、現実社会では考えられないぐらい近い車間距離で車列を成して、整然と走行する描写が出て来る。
ヤクザ(八九三)という言葉は、花札の負け札の組合せが語源で、社会からの落伍者を意味する言葉だと言われている。本来”はみ出し者”のはずのヤクザ者が、この作品の中では上から下まで、礼節、儀礼、秩序、従順に重きを置く描写が再三、再四出て来る。
この6台の車から距離を置いて、主人公大友組長を乗せた車がスクリーンを横切る時に、赤文字の”OUTRAGE”のタイトルがその車のボンネットと重なるように出現する。飼い慣らされた犬の群れからはみ出しちゃう主人公が”激しい怒り”を抱き、台風の目になって、狭い世界での既得利権争奪戦を展開して行く。
公開当時のキャッチコピーには、『全員悪人』『下剋上』『生き残りゲーム』という鮮烈なフレーズが準備されたが、我々はこれを、ただただ”喜劇”として楽しめば良いんじゃないのかな?
安全なところから観ている分には、ちょっと笑えてくるんですよね…(我ながら悪趣味)
芸術性
北野作品らしい演出が冴え渡っています。具体的には、
アクションは演者側が付けるよりも、アングルとカットと編集で撮影側が付ける。出演者が激しい動きをするシーンも当然ありますが、対象者のアクションにより”動き”を付けるより、工夫された各種アングルのカットを巧みな編集で繋いでいくことで、結果的に動きのあるシーケンスにする方が、北野監督はお好みのようですね。
画面がパンすることで、構図に演者の表情が映り込んで来る、それが物凄い緊張感を演出する。そんなシーンも散見されます。
それから、相変わらず無駄なシーンが一切ないですね。「ケーキを食べるプロセス」に重きを置かず、「ケーキを食べたという事実」を伝えたいだけなら、「ケーキを買うシーン」と「ケーキを食べ終えた皿」があれば良いという哲学の監督なので、不要なシーンは出て来ません。これが上映時間109分という短さに繋がっているように思います。
まとめ
いかがでしたか?
この記事では、北野作品、とりわけ「アウトレイジ」の暴力描写の特徴について掘り下げました。その上で、2000年代のヤクザ社会をとりまく社会情勢についても言及しながら、閉じられた村社会における利権争いの醜さ、滑稽さを、暴力を通して浮き彫りにした喜劇がこの「アウトレイジ」なんじゃないか?と結論付けました。
この作品に対する☆評価ですが、
総合的おススメ度 | 3.0 | 敢えて観なくても良いかも |
個人的推し | 3.5 | 暴力を観るならタランティーノ観る方が… |
企画 | 3.0 | この時代にヤクザと暴力? |
監督 | 4.0 | 純粋に芸術性が高い |
脚本 | 4.5 | 台詞のリズムが病みつきになる |
演技 | 3.5 | 出演者が多いのでバラつきがある |
効果 | 4.0 | 可も無く不可も無く |
個人的には嫌いじゃないけど、暴力を観るならタランティーノ作品を観る方が楽しいかな。「HANA-BI」のように”暴力”の外に主題があるなら楽しめるけど、”暴力”+”暴力”で来られた時に、ヤクザ社会を描写することが、2010年代以降に必要だった?となっちゃう。
「うるせんだバカヤロー」「やんのかコノヤロー」「やらねーつってんだろコノヤロー」のような、リズミカルな台詞の応酬は、結構病みつきになります。好きです。
皆さんは、どんな風に感じられますか?