話題の記事続編なのに1作目の質を超えた映画5選

【ネタバレなし】つまらないのは何故?映画「許されざる者」(あらすじ、意味、実話?)

この記事でご紹介する「許されざる者」は、1992年公開の西部劇映画。クリント・イーストウッドが製作・監督・主演を務めている。同年度のアカデミー賞で9部門にノミネートされ、作品賞、監督賞、助演男優賞、編集賞を受賞した。2004年にはアメリカ国立フィルム登録簿にも登録される名作中の名作とされている。

この映画を観るか迷っている方は、後でご提案する ”ジャッジタイム” までお試し視聴する手もあります。これは映画序盤の、作品の世界観と展開が ”見えてくる” 最短のタイミングのことで、作品が気に入らなかった場合に視聴を離脱する目安タイムです。

もし、この映画が気に入らなかった場合でも、このジャッジタイムで観るのを止めちゃえば時間の損切りができます。タイパ向上のための保険みたいなものです。

この映画を初めて観る方のことも考えて、ネタバレなし で、作品の特徴あらすじ(ジャッジタイムまでに限定)、見どころを書いて行きます。この映画の予習情報だとお考えください。

この映画を観るかどうか迷っている人観る前に見どころ情報をチェックしておきたい人ことも考え、ネタバレしないように配慮しています。

長年西部劇のシンボル的存在であったクリント・イーストウッドが、最後の西部劇と宣言して製作した本作品。上述の通り、芸術的にも高い評価を勝ち取り、かつ興行的にも高い収益を得た本作ですが、日本人の感性からするとイマヒトツつまらないし、その良さがピンと来ないモヤモヤがあるように思います。

この記事では、作品の解説をしつつ、その要因をなるべく解き明かしてみることで、制作者サイドの意図に沿った鑑賞のお手伝いに挑んでみたいと思います(あくまで私見に基づきますが…)。

目次

ジャッジタイム (ネタバレなし)

この映画を観続けるか、見限るかを判断するジャッジタイムですが、

  • 上映開始から28分30秒のタイミングをご提案します。
28分30秒

ここまでご覧になると、この作品のテーストが掴めると思います。そして、どこでどんな事件が端緒となって、主要な登場人物たちが、その事件に関わって行くことになるのかを掴むことが出来ると思います。

好き嫌いを判断するのに最短のタイミングだと思います。

概要 (ネタバレなし)

この作品の位置づけ

「許されざる者」(原題:Unforgiven) は、1992年に公開された西部劇。長年ハリウッド製、イタリア製ウェスタンに出演して来たクリント・イーストウッドが、最後の西部劇と位置付けて製作・監督・主演を務めた作品。

本作品は、イーストウッドが、ドル箱三部作でタッグを組んだセルジオ・レオーネ監督、「マンハッタン無宿」(1969年) 以来、「真昼の死闘」(1970年)、「ダーティ・ハリー」(1971年)、「アルカトラズからの脱出」(1979年) でタッグを組んだドン・シーゲル監督に捧げられている。

本作「許されざる者」の脚本は、デヴィッド・ウェブ・ピープルズによって執筆されたもので、彼は「ブレード・ランナー」(1982年) の脚本を仕上げたことでも知られる。特に、劇中で使われた ”レプリカント”という造語を考え出したというエピソードは有名。

デヴィッド・ピープルズが書き上げた「許されざる者」の脚本は、もともと「The William Munny Killings」というタイトルで、日本語訳するならば ”ウィリアム・マニー(←本作の主人公)による数々の殺人” というニュアンスである。イーストウッドはこの脚本をいたく気に入り、映画化権をデヴィッド・ピープルズから買い取った。これが1980年代中頃と言われる。

ところが、クリント・イーストウッドは、作中のウィリアム・マニーが60代の初老の人物として描かれていたため、自身の年齢がこれに追い付くのを待ってこの作品の制作に入った。撮影時、1930年5月31日生まれのクリント・イーストウッドは61歳。

作品の主題と日本人的感覚

この作品は、映画化に伴い「Unforgiven = 許されざる者」に改題される。

聖書の文化を下敷きとする英語には、”罪を犯す” という概念に2つのニュアンスがあり、一つは道義的に”罪”を犯すSin (犯す者はSinner)。もう一つは法律的に”犯罪”を犯すCrime (犯す者はCriminal) である。恋人(未婚)がいるのに浮気をするのは Sin ではあるがCrime ではない。やむを得ない理由で暴力を振るうのは Sin ではないがCrime であるといった具合だ(あくまで例え話です、あしからず)。

この映画が挑戦しているのは、 Crime の線引きではなく、Sin か否かの線引きである。法律ではなく、良識に照らし合わせて、誰がSin を犯した Unforgiven (許されざる者) なのかを問うことが作品の主題となっている。よって、議論の出発点として、そもそもその判断、選り分けが非常に難しい題材を扱っている。

更に、「善人ポジションなんだけど、幾らなんでも、そこまでやることは道義的にやり過ぎじゃない?」という偽善者と、「元悪人で、法律的には依然問題があるけど、道義的にはもう許されたと言えるかも知れない?」という更生者を重ね合わせ描いて行き、結局誰が一番の悪人(Sinner)なのか?を観る者に問うてくる。

ところが、何が Sin (=道義的に罪を犯している)なのかという根底的な価値基準が、聖書に裏打ちされたアメリカ人と、儒教思想に裏打ちされた日本人では、判断がズレる場合が少なくないので、この映画で言わんとしていることが、肌感覚としてピンと来ない(場面が多々ある)。

この辺りが、この映画が日本ではしばしば ”つまらない” と評される最大の要因と考えられる(詳細は後述)。

商業的成功

この映画の上映時間は、131分とちょっと長めの構成・編集になっている。製作費は1千4百万ドルと言われており、米国で1億ドル、全世界で1億5千9百万ドルの興行収入を上げた。実に11.4倍のリターンである。

11.4倍のリターン

決してエンタメ作とは言えない内容で、1億5千万ドルも売り上げたこともさることながら、クリント・イーストウッド、モーガン・フリーマン、ジーン・ハックマンを起用して1千4百万ドルの製作費で作品を完成させていることが驚異的である。

これには様々な成功要因があったのだろうが、特筆すべきは撮影期間が48日間(1991年8月26日から1991年11月12日)と、驚くほど短い点である。効率良く撮影し、無駄な経費が掛からないようにした証左である。

芸術的評価

この映画は、「アメリカ国立フィルム登録簿」(National Film Registry) に登録されている。これは、連邦政府国立フィルム保存委員会(The United States National Film Reservation Board)が毎年25作品を選定するもので、本作品が、アメリカの文化的、歴史的、芸術的に、後世に多大な影響を与えたことが公的機関からも認められた証である。

既述のように、同年度の第65回アカデミー賞で9部門でノミネートされ、作品賞(クリント・イーストウッド)、監督賞(クリント・イーストウッド)、助演男優賞(ジーン・ハックマン)、編集賞(ジョエル・コックス)の4部門に輝いている(ノミネートに留まったのは主演男優賞、脚本賞、撮影賞、美術賞、音楽賞)。

特にジョエル・コックスは、クリント・イーストウッド映画の編集と言えばこの人(30本以上の映画で編集を担当)なので、製作、監督、主演の意図を見事に編集に反映させた成果と言えるのではないだろうか。

あらすじ (28分30秒の時点まで)

かつて冷徹に列車強盗や人殺しを働いていたウィリアム・マニー(クリント・イーストウッド)は、若きクローディアと結婚し、足を洗い、平穏な暮らしを送っていた。しかし1878年の夏、クローディアは突如天然痘で死んでしまう。まだ29歳であった。

今や農場経営者としての生活を送っていたマニー(クリント・イーストウッド)は、まだ幼い息子と娘を抱えて、家畜の豚の世話に四苦八苦している。

1880年、ワイオミング州のビッグ・ウィスキー。スキニー(アンソニー・ジェームズ)が経営する酒場兼娼館で、流れ者のカウボーイ2人組の一人クイック・マイクが、自身の相手をした娼婦デライラの行為中の態度に腹を立て、ナイフを取り出して暴れ出し、相棒のデービー・ボーイの制止も振り切り、デライラの顔を何か所も切り付けた。

主人スキニーに取り押さえられたカウボーイ2人に対して、駆け付けた保安官のリトル・ビル(ジーン・ハックマン)は、主犯のクイック・マイクからは馬5頭、相棒のデービー・ボーイからは馬2頭を、娼館の主人スキニーに譲渡させることで、この一件を裁判に掛けることもなく解決済みとしてしまう。

スキニーは、馬7頭という娼婦1人分の商品価値以上の財が手に入ることに満足した。

しかし、デライラを含む娼婦たちは、カウボーイの2人が物品接収以外の罪に問われなかったことに納得が行かず、アリス(フランシス・フィッシャー)が中心となって、その娼館の娼婦全員の有り金をかき集めて、2人のカウボーイの首に懸ける賞金とした。しかし懸賞額は、手元の資金よりも大分高額の1,000ドルとして見切り発車してしまう。

ある日、子供たち2人と豚の世話をするウィリアム・マニーのもとに、旧友ピートの甥だと名乗るスコフィールド・キッドという若者が現れる。キッドは売り出し中のガンファイターだと言い、不遜な態度でマニーを相棒に指名した上で、一緒にワイオミングまで行って件のカウボーイ2人を殺して1,000ドルを獲得しようと持ち掛ける。

賞金首の話は、娼婦が目をくりぬかれ、乳房まで切り取られたといった誇大な噂にまで発展し、周辺の州にまで届いていたのだ。

一旦はキッドの誘いを断ったマニーであったが、加齢による体力の衰え、まだ幼い子供たち、決して上手く行っているとは言えない農場の経営状況に鑑み、まとまった金を手に入れるべくワイオミングに向かうことを決意し、幼い子供2人を家に残したまま、キッドを追うことにする。

ただし道中、同じく足を洗い、ネイティブ・アメリカンの女性を妻に娶った旧友のネッド(モーガン・フリーマン)の家に立ち寄り、仲間に加わるように誘う。やはり初めはこの話に難色を示したネッドであったが、カウボーイたちが、娼婦を惨たらしく切り刻んだという話を聞き、殺されて当然だと同意し、かつ、まとまった金を妻に残したいと考え、マニーと共に旅立つ。

果たして、マニー(クリント・イーストウッド)とネッド(モーガン・フリーマン)の2人はキッドに追いつくことが出来るのだろうか?そして、3人は懸賞金の懸かったカウボーイの2人を仕留めることが出来るのだろうか?そして、金を手にして無事家族の元に帰れるのだろうか?

見どころ (ネタバレなし)

ネタバレなしで、本作品についての考察を3つ加えてみたいと思います。主旨は、本作品をより味わい深く鑑賞するための予習情報にすることですので、参考にしていただけると嬉しいです。

初老のクリント・イーストウッド

この映画では、クリント・イーストウッドが年齢を重ねるのを待っただけあって、初老のウィリアム・マニー像を、初老のクリント・イーストウッドが演じ上げています。

年の離れた若き妻に病気で先立たれ、幼い子供たちを抱え、彼らが自立できるようになるまで、どうやって生活の見通しを立てて行けばよいのか?という漠然とした不安感のようなものが、イーストウッドの全身から示唆されています。

これは、それまで一貫してタフガイを演じて来たクリント・イーストウッドには見られなかった演出で、本作以降もタフガイを演じてはいるものの、60歳を迎えて新たな境地を開拓しようとしている静かな気概のようなものがヒシヒシとと伝わってきます。

後述する罪の線引きの曖昧さと相まって、勧善懲悪ではない、ヒーロー不在の本作のテーストを、この主演のクリント・イーストウッドが定義付けて行く様を、是非、お見逃しなく!

提示される Sin の例

ネタバレを避けるために、上記であらすじを書いた28分30秒の時点までにとどめますが、Sin の例を幾つか挙げ連ねてみます。

これにより、いかにこの映画が事細かに、「何が道義的に罪なのか?」を問うてきていることを実感いただきたいと思います。これらをザっと念頭に置いた上で本編をご覧になると、より味わい深く本作を鑑賞できるのではないかと思います。

  • 娼婦の顔を数か所ナイフで傷付けた男は、間違いなくSinner であり Criminal であるが、その罪を償うために命まで差し出す必要があるのか?
  • 事を荒立てたくない一心で、ナイフ男を、馬5頭の接収と引き換えに釈放した保安官の罪の重さは?
  • 馬7頭を得ることに満足し、娼婦たちの側に付かなかった娼館の主人の罪の重さは?
  • 自分達は被害者では無いのに、加害者に1,000ドルもの懸賞金を懸けた ”他の” 娼婦たちに罪は無いのか?
  • 噂をうのみにして、この騒動に気安く首を突っ込もうとしているスコフィールド・キッドの罪は?
  • 今は平穏に暮らしているとはいえ、かつて人を大勢殺したマニーやネッドの罪は許されたのか?
  • 家族のためとはいえ、再び人を殺して大金を得ようとしているマニーやネッドに罪はないのか?

といった感じで、娼婦傷害事件を軸に、我々には罪の有無と、その重さがジワジワと投げかけられてきます。これがこの映画の狙いなんだと思います。事態はもっと大きく複雑になって行きますので、目を凝らしてご覧になってみてください。

つまらない(?)背景・要因

1992年の本作公開当時、日本に住んでいた日本人にはピンと来なかった点が2点ある(あった)と思っていて、これらがこの映画をつまらないと感じさせる最大の要因だと思います。

1つ目は、ロサンゼルス市警元本部長のダリル・ゲイツの存在です。1978年から1992年までその地位にいたダリル・ゲイツは、他の地域に先駆けてロサンゼルス市警察にSWATを配備する等、警察力向上に尽力した一方で、行き過ぎた実力行使が、特にマイノリティー住民との間で摩擦を生みました。

ダリル・ゲイツ体制は、特に1991年のロドニー・キング暴行事件の遠因とされ、この事件がロサンゼルス暴動に連鎖して行ったという社会的背景が、ロサンゼルスを中心に本作公開時のアメリカにはあり、劇中でジーン・ハックマンが演じるリトル・ビル保安官を観る土壌が、日米では全く違ったと言えます。

2つ目は、”更生した人はヒーローだ” という発想です。アメリカには、例えば麻薬中毒から更生してまっとうな社会生活を送っている人はヒーローだと見なす傾向があるように思います。日本だと、初めから麻薬になど手を出さずにコツコツと生きて来た人の方がよっぽど立派じゃない?と考える傾向の方が強い様に思います。

本作では、強盗団から足を洗ったマニー(クリント・イーストウッド)とネッド(モーガン・フリーマン)が登場します。彼らがアメリカ人のマインド的にヒーローに該当するのかは分かりませんが、日本人が見る目とは明らかに温度感が異なる筈です。

そんな彼らが、家族に金を残すため、娼婦を傷つけた者を成敗するためとはいえ、再び暴力に身を委ねようとしている段階で、既にヒーロー陥落の哀愁が”描かれようとしている”訳です。でも、我々日本人には、あまりそのギャップを実感を伴って感じることが出来ないと思います。

感じられない内に、ダリル・ゲイツロサンゼルス市警元本部長と重なって見える ”はず” のリトル・ビル保安官(ジーン・ハックマン)との対決の構図に向かっていく流れなので、登場人物の相関関係の鮮烈さがそれほど際立ちません。

この辺りの湯加減の違いが、日本人には本作を面白いと思えない(=つまらない)と感じさせる要因なんだと思います。

出演:クリント・イーストウッド, 出演:ジーン・ハックマン, 出演:モーガン・フリーマン, 出演:リチャード・ハリス, Writer:デビッド・ウェッブ・ピープルズ, 監督:クリント・イーストウッド, プロデュース:クリント・イーストウッド, プロデュース:デビッド・バルデス

まとめ

いかがでしたか?

本作品の位置づけ、魅力を書いた上で、つまらないと感じるかも知れない背景・要因まで述べました。ここまでひっくるめて念頭に置いてご覧になると、いよいよ本作品を、制作者側の意図に沿って楽しめるかも知れません(ということを狙って書いてます)。

この作品に対する☆評価ですが、

総合的おススメ度 3.5 そうは言っても特段面白くない
個人的推し 3.0 他に優先して観る作品は幾らでもある
企画 4.5 こんな企画を狙っちゃうんだと尊敬
監督 4.5 超低予算で仕上げた驚異の手腕!
脚本 3.5 結局ピンと来ない…
演技 4.5 全員素晴らしい演技
効果 4.0 寄りと引きのカメラワークのメリハリ
こんな感じの☆にさせて貰いました

このような☆の評価にさせて貰いました。

映画をエンターテイメントと捉えるならば、全く面白くない作品です。しかもピンと来ないし。

一方で、ここまで散々しつこく述べてきたように、罪(Sin)とは罪人(Sinner)とは何ぞや?というテーマに積極果敢に挑んだ作品としては、尊敬しかないです。

その数式のようには決して割り切れないテーマを、美しい映像と、登場人物たちの素晴らしい演技で芸術作品に昇華しているという観点では凄いです。

あわわっち

「許されざる者」と「シカゴ」が世間の評価の割にピンと来ない二大巨頭です…

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
目次