話題の記事続編なのに1作目の質を超えた映画5選

【ネタバレなし】ジョーカーの元ネタ「キング・オブ・コメディ」(母親・あらすじ情報も)

この記事でご紹介する「キング・オブ・コメディ」は、1982年公開の映画。マーティン・スコセッシとロバート・デ・ニーロの黄金コンビによる第5作目。ロバート・デ・ニーロが、自尊心と誇大妄想を肥大化させていく売れないコメディアンを体現し、マーティン・スコセッシがこれを執拗なまでに映像化して行く。

この映画を観るか迷っている方は、後でご提案する ”ジャッジタイム” までお試し視聴する手もあります。これは映画序盤の、作品の世界観と展開が ”見えてくる” 最短のタイミングのことで、作品が気に入らなかった場合に視聴を離脱する目安タイムです。

もし、この映画が気に入らなかった場合でも、このジャッジタイムで観るのを止めちゃえば時間の損切りができます。タイパ向上のための保険みたいなものです。

この映画を初めて観る方のことも考えて、ネタバレなし で、作品の特徴あらすじ(ジャッジタイムまでに限定)、見どころを書いて行きます。この映画の予習情報だとお考えください。

この映画を観るかどうか迷っている人観る前に見どころ情報をチェックしておきたい人ことも考え、ネタバレしないように配慮しています。

興行的には大失敗作なのに、何故かロバート・デ・ニーロの最高の演技と絶賛する愛好家が多いこの作品。傑作なのか、駄作なのか、ご自身の目で確かめてみませんか?そのための予習情報をお話しします。

目次

ジャッジタイム (ネタバレなし)

この映画を観続けるか、見限るかを判断するジャッジタイムですが、

  • 上映開始から23分30秒の時点をご提案します
23分30秒

ここまでご覧になると、この映画の主人公のキャラクターとその狂気が垣間見えると思います。もう無理!と見限るか、腹を括ってもっと観てやろうと思うかを判断されるのに、この辺りが丁度良い頃合いだと思います。

概要 (ネタバレなし)

この作品の位置づけ

「キング・オブ・コメディ」(原題:The King of Comedy) は、1982年に制作された映画(本国アメリカ公開は1983年)。ロバート・デ・ニーロ扮する主人公が、コメディの王様になることを夢見るあまり、誇大妄想を増大させ、次第に常軌を逸した言動に走って行く様を描く。よって、ジャンルを特定することが中々難しい映画だ。一つだけ言えることは、タイトルに”コメディ”と付いているが、この映画は普通に考えればコメディではない。

監督はマーティン・スコセッシ。すなわち本作は、スコセッシ – デ・ニーロの黄金コンビ作品ということになる。2人が手を組むのは、下の図にあるように本作が5作目。

公開年作品名あらすじ
1973ミーン・ストリート3流ギャングの主人公だけは問題児ジョニーボーイを庇っているが…
1976タクシードライバー不眠症に悩まされる主人公がタクシードライバーとなり、社会を嫌悪していく
1977ニューヨーク・ニューヨーク主人公のサックス奏者と恋人の関係は彼の短気な性格のせいで変化していく
1980レイジング・ブルボクシング王者のキャリアと引退後の人生を描いたドラマ
1982キング・オブ・コメディコメディの王様になることを夢見る男が次第に常軌を逸して行く様を描く
1990グッドフェローズニューヨークを舞台に実在のマフィアの半生を描いたクライムドラマ
1991ケープフィアー弁護士家族と彼らを付け狙う男を描いたサイコスリラー
1995カジノカジノの支配人とその仲間のマフィアを描いたクライムドラマ
2019アイリッシュマン実話をもとに労働組合とマフィアの関係を描いたクライムドラマ
マーティン・スコセッシとロバート・デ・ニーロの共同作品

制作の背景に触れると、スコセッシ – デ・ニーロの黄金コンビは、前作「レイジング・ブル」(1980年) で、実在したプロボクサー、ジェイク・ラモッタの半生を題材に、その強大な自尊心が故の人生の浮き沈みを、ドキュメンタリー・テイストも織り交ぜながら見事に描き切り、ロバート・デ・ニーロにアカデミー主演男優賞をもたらしていた。

ではそれに引き続く本作は、映画の題材をボクサーからコメディアンに移し替えて、再び自尊心が強いキャラクターを深く掘り下げようとしたのかと言うと、そう単純な話でもないようだ。

というのも、本作の原案は、脚本を担当したポール・D・ジマーマンによるもの。ジマーマンはもともと「ニューズウィーク」誌のコラムニストだったが、その後同じく「ニューズウィーク」誌に映画批評を書くようになり、その時期に本作のあらすじを書いた。着想は、有名人の出待ちをしてサインを集めるサイン・コレクターが、異常な過熱ぶりを見せる様子に戦慄を覚えたところからヒントを得た。

その”あらすじ”の映画化権を買い取ったのはロバート・デ・ニーロ。マーティン・スコセッシではないところがポイントだ。ジマーマンは、映画化をスコセッシに先に売り込んだが、スコセッシには”有名人とそこに群がるマニアックなファン”の心理が今一つピンと来なかったようで、これを盟友デ・ニーロに相談。デ・ニーロは、一目でこの内容に惚れ込み、逆にスコセッシを説得する格好で映画化が決まったという経緯がある。

2人が映画化を決意した後、1980年12月8日にジョン・レノンが狂信的ファンであるマーク・チャプマンにNYの自宅マンション前で銃殺されるという悲劇も起きており、この映画が制作された時期が、有名人と偏執的なファンとの関係性、距離感が議論の対象になっていた時期とも重なっている。

商業成績と評価

本作品の上映時間は109分と、2時間を切る長さだ。しかし、観ている側としては(詳細は後述するが)”見ていて居たたまれない”気持ちになる時間帯が長く、実際より長く感じると思う。製作費の1千9百万ドルに対して、北米市場で2千5百万ドル、全世界でも3千4百万ドルと言われ、1.79倍程度の回収率しか上げていない。ハッキリ言って大コケである。

わずか1.79倍の回収率

ただし、この映画は幾つかの観点で非常に評価が高い。

1つ目は、いわゆるデ・ニーロ・アプローチにより、ロバート・デ・ニーロが主人公の”ルパート・パプキン”を完璧に演じている姿に、純粋にカルト的な人気がある点だ。

2つ目は、「タクシー・ドライバー」(1976年) で演じた”トラヴィス・ビックル” と同様、本作の”ルパート・パプキン”も制御不能な誇大妄想に突き動かされて行く。”トラヴィス・ビックル”は、その内面の闇が分かりやすく暴力という形で噴出したが、”ルパート・パプキン”は?という点が、却って闇が深くて興味深いという観点から評価が高い。

3つ目は、(これも詳細は後述するが、)この「キング・オブ・コメディ」は「タクシー・ドライバー」と同様、ホアキン・フェニックスにアカデミー主演男優賞をもたらした「ジョーカー」(2019年) の元ネタになっている点だ。「ジョーカー」が注目を集めたことにより、この「キング・オブ・コメディ」が再評価される格好になっている。

あらすじ (23分30秒の時点まで)

ルパート・パプキン(ロバート・デ・ニーロ)は34歳の独身男。恋人もいない。彼は、コメディの王様になることを夢見ており、自身の才能にも絶対の自信を持っている。後は世に出るキッカケさえ得られれば成功をつかめると、虎視眈々とそのチャンスを狙っている。

彼が敬愛してやまないのは、大人気冠テレビ番組、ジェリー・ラングフォード・ショーのホストを務めるジェリー・ラングフォード(ジェリー・ルイス)その人だ。パプキン(ロバート・デ・ニーロ)は、何とかこの大人気コメディアン、ジェリー(ジェリー・ルイス)に取り入ろうとする。

今日も番組終了後の楽屋口には、ジェリーを一目見よう、もしくはジェリーのサインを貰おうとするファンが殺到している。熱狂した群衆に圧し潰されそうになるジェリーの身を、パプキンは身を挺して守る。こうして、ジェリーが迎えの車に逃げ込む猶予を作るのと同時に、パプキン自身もちゃっかりとその車に乗り込んでしまう。

群衆から離れることを優先して車の発進を指示したジェリー。車中では、隣に座ったパプキンが、強引に、そして延々と自身の売り込みをする。その対応に辟易とするジェリーは、自身の秘書キャシー・ロングと会話するようにパプキンに告げ、何とかその場の会話を畳もうとする。

車がジェリーの自宅前に着いた後も、車外でしつこくジェリーと会話を続けようとするパプキン。ようやくパプキンから解放され安堵するジェリーとは対照的に、パプキンはジェリーとのコンタクトが出来たことに意気軒高となる。

その後、パプキンはこんな妄想をする。しばし番組を離れて休暇を取りたがっているジェリーから、6週間ジェリー・ラングフォード・ショーのホストの代役を依頼されるという物だ。自宅の自室でこの妄想会話のシミュレーションに没頭していると、隣室の母親から”夜中にうるさい”と注意される始末だ。

一方で自宅に帰ったジェリーは、広々として豪華だが、同居人が誰も居ない侘しい部屋で一人夜食を取る。そんな時に、電話が鳴ったかと思ったら、それは特に狂信的な女性ファンであるマーシャ(サンドラ・バーンハード)からの電話であった。マーシャは自宅の電話番号まで調べ上げて、ジェリーに電話をして来たのだ。

ある晩、街中のバーを訪ねるパプキン。お目当てはこのバーの女バーテンダー、リタ(ダイアン・アボット)だ。2人は高校の同級生で、チアリーダーを務め、美人コンテストにも出るような人気者だったリタに、パプキンはずっと憧れを抱いていたのだ。自信満々に夕食に誘うパプキンの言葉に応じて、2人はレストランへと出かける。

ところが、リタは席上パプキンとしばらく会話をするうちに、彼の態度にゲンナリしてしまう。なぜならパプキンは、何の実績もないのに早晩自分は売れっ子コメディアンとしてブレークするという謎の自信に満ちていたからだ。

夕食後自宅までタクシーで送って貰った際にも、パプキンが近づいてきたのは体目的ではないようで、紳士的な態度を崩さぬまま、”愛するがゆえにリタの人生を変えてあげたい”と打ち明けられる。近いうちに、ジェリーの別荘に一緒に泊りに行こうとも誘われる。

翌朝パプキンの自宅では、ジェリー・ラングフォード・ショーのスタジオセットを模したソファに悠然と腰かけるパプキンが、等身大のジェリー・ラングフォードとライザ・ミネリのパネルを左右に従えて、トーク・ショーの妄想を始める。そして、隣室の母親からの”バスの時間に遅れるよ!”という声をキッカケに出掛ける準備を始める。

ルパート・パプキンはバスでどこに出掛けるのだろうか?ジェリー・ラングフォードと友人関係になったと勘違いしている状況はどうなっていくのだろうか?

見どころ (ネタバレなし)

この映画の見どころを、主人公”ルパート・パプキン”にまつわる5つの観点に絞って、一緒に考えたいと思います!

”ルパート・パプキン”というキャラクター

まずは何と言っても、ロバート・デ・ニーロの”ルパート・パプキン”への入り込みが最大の見どころだと思います。ぶっちゃけ、スタンドアップ・コメディを含めたネタを披露する場よりも、コメディアン、”ルパート・パプキン”の日常の描写の方が多いので、そんな姿にご注目です!

2回目以降の視聴の方へのおススメは、”ルパート・パプキン”が喋り倒すシーンにおいて、敢えて音声をミュートにして、一時停止を断続的に繰り返すことです。こうすると、パプキンを連続した”動画”ではなく、非連続な”静止画”の紙芝居として鑑賞することが出来ます。こうして一枚一枚の”絵”としてロバート・デ・ニーロを切り取ることにより、彼がいかに肩を左右に動かし、顔の両側面を切り替えながら、自信たっぷりな表情を浮かべ、目線を動かしているかがご確認いただけると思います。

喋り倒す台詞が観る側に直接的に伝わって来るのは当たり前。それに加えて、このパプキンという生き物の副次的な”生態”が、画面を通して観る者に迫って来るのをご賞味ください。

”共感性羞恥” の連続

皆さんは「共感性羞恥」という言葉をお聞きになったことがおありだろうか?

ネットで調べると、

「共感性羞恥」とは、他人が恥をかいていたり笑われたりしている様子を見ると、まるで自分が同じ目にあっているように恥ずかしさや居たたまれなさを感じるという心の状態のこと

https://www.cosmopolitan.com より

なんて説明がヒットします。

そうなんです。この映画が不愉快極まりないと評価される理由。そして恐らくヒットしなかった最大の要因は、視聴者は徹頭徹尾”ルパート・パプキン”というキャラクターに「共感性羞恥」を感じ続けるところにあるんだと思います。”居たたまれない気持ち”というのが言い得て妙で、そんな心理に長時間押し込められるのは嫌ですよね。

そんな感情の特異点を、その演技から生み出す”ルパート・パプキン”の完成度の高さが、この映画の最大の武器であり、最大の弱点なんだと思います。劇中、ルパート・パプキンの妄想が肥大化し、その大き過ぎる自尊心と相まって、彼は暴走を…

「もう、勘弁してくれ!」って思うと思います。そこを楽しめるかどうか???

”リタ”という視座

23分30秒の時点までの”あらすじ”にも書きましたが、劇中に”リタ”という女バーテンダーが出てきます。このリタは、主人公パプキンの高校時代からの憧れの女性という重要な役どころなんですが、このリタを演じているのは、当時ロバート・デ・ニーロと婚姻関係にあったダイアン・アボットという女優さんです。

ただし、撮影時2人は既に別居状態にあったそうで、非常に気まずい関係だったことは想像に難くないのですが、スコセッシとデ・ニーロは敢えてアボットを名指しでオーディションに呼び、その審査を経てこの役に起用したとのこと。

リタが登場する場面では、この映画視聴をする我々は、”リタ”の視座を通して”ルパート・パプキン”の生態を眺めることになります。これがどうにもこうにも、「共感性羞恥」を加速させます。おそらく黄金コンビの2人は、このブーストに夫婦の緊張感を触媒として投入したかったのではないでしょうか?

仕事の為に私生活まで投入する。使える物は何でも使う。これもデニーロ・アプローチの一環なんでしょうか?

後世への作品、「ジョーカー」への影響

この作品は、後世の作品に多大な影響を与えたと言われています。それは皆さんもこの映画をご覧になれば納得が行くと思います。とにかく、(不愉快な気持ちというマイナス側のベクトルですが)観ていて感情を揺さぶられますので。

特に昨今では、トッド・フィリップス監督の映画「ジョーカー」(2019年) に多大な影響を与えたと言われています。「ジョーカー」は、トッド・フィリップス本人が明示的に公言していることもあり、一般的に「タクシー・ドライバー」(1976年) の影響を受けたことが広く知られています。というのも、都会で孤独に暮らす男が、孤立感を強めるのと同時に、社会に散在する悪意への憎悪を徐々に募らせ、遂にはそれを暴力という形で発露させるというシナリオは、完全に重なります。

他方、本作「キング・オブ・コメディ」(1982年) も、「ジョーカー」(2019年) に多大な影響を与えたと考えられていて、自分のコメディの才能に何故か絶対的な自信を持つ孤独なコメディアンが、その独善的な思い込みを強め、エゴを肥大化させる内に、なりふり構わない暴挙に出るというストーリーラインが、やはり同一視されています。

トッド・フィリップス監督は、「キング・オブ・コメディ」で言うところの大御所コメディアン”ジェリー・ルイス”のポジションに、「ジョーカー」では敢えてロバート・デ・ニーロを配役することで、「キング・オブ・コメディ」からの系譜を視聴者に印象付けようとしている節もあります(誰の目にも明らか!)。

スコセッシ家を動員

ちょっと小ネタ的な話になりますが、劇中で声だけ登場するルパート・パプキンの母親の声は、マーティン・スコセッシの実母キャサリン・スコセッシの声です。

ルパート・パプキンの妄想の中で、レストランで食事をするパプキンにサインをおねだりする若い女性ドロレス役を演じているのは、マーティン・スコセッシの娘キャシー・スコセッシです。

母親のキャサリン・スコセッシは、ロバート・デ・ニーロが前作「レイジング・ブル」(1980年) でアカデミー主演男優賞を獲得したとか、その辺の事情を良く知らなかったようで、相手がデ・ニーロだろうと臆せず”口うるさい母親役”を演じ切ったようで、デ・ニーロもこの様には現場で笑い転げていたのだとか。

さて、いかがでしたでしょうか?本作「キング・オブ・コメディ」の見どころを、主人公”ルパート・パプキン”を軸に5つの観点で考えてみました。これからこの映画を観る方が、より味わい深く鑑賞するお手伝いが出来ると嬉しいです。

出演:ロバート・デ・ニーロ, 出演:ジェリー・ルイス, 出演:サンドラ・バーンハード, 出演:ダイアン・アボット, 監督:マーティン・スコセッシ

まとめ

この作品に対する☆評価ですが、

総合的おススメ度 2.5 とにかく居心地が悪いです
個人的推し 3.0 1回は観ても良いかも。でも、後回しでOK
企画 4.5 企画としては面白いですよね
監督 2.5 結局監督が悪いんじゃないですかね?
脚本 3.0 正直判らないです…
演技 4.5 ロバート・デ・ニーロの演技が凄すぎて…
効果 4.0 衣裳が美しいのですよ
こんな感じの☆にさせて貰いました

こんなに判断の難しい作品は少ないんじゃないでしょうか?

エロやグロが無いのに、こんなにも観ていて気持ちが悪い作品って他にありますかね?映画を娯楽と捉えるなら、それは不適合だし、新たな感情の提示という意味では、革新的な作品と言えるだろうし。

どこかのタイミングで1回はご覧になって頂きたいですが、優先順位は後回しでOKなんじゃないでしょうか?

企画としては興味深いけど、もう少し楽しく仕上げて欲しいです、個人的には…

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