話題の記事続編なのに1作目の質を超えた映画5選

【ネタバレなし】フィンチャー初監督作「エイリアン3」(あらすじ・ストーリーも)

この記事でご紹介する「エイリアン3」は、1992年公開のエイリアン・シリーズ3作目。1作目、2作目に引き続いて、シガニー・ウィーバーが主演のエレン・リプリー役を演じていて、ストーリーの世界線は前2作の延長線上にある。ただし、2作目で描かれた死闘は何だったんだ?とツッコミたくなるぐらい、リプリー以外の状況はリセットされている物語。

この映画を観るか迷っている方は、後でご提案する ”ジャッジタイム” までお試し視聴する手もあります。これは映画序盤の、作品の世界観と展開が ”見えてくる” 最短のタイミングのことで、作品が気に入らなかった場合に視聴を離脱する目安タイムです。

もし、この映画が気に入らなかった場合でも、このジャッジタイムで観るのを止めちゃえば時間の損切りができます。タイパ向上のための保険みたいなものです。

この映画を初めて観る方のことも考えて、ネタバレなし で、作品の特徴あらすじ(ジャッジタイムまでに限定)、見どころを書いて行きます。この映画の予習情報だとお考えください。

この映画を観るかどうか迷っている人観る前に見どころ情報をチェックしておきたい人ことも考え、ネタバレしないように配慮しています。

製作段階で、ストーリー設定が二転三転したとも伝えられるこの作品を、長編初監督となった若き日のデヴィッド・フィンチャーがどう料理したのか?(料理できたのか・・・?)劇場公開時は一応の完結を見せていたこの三作目の世界。

観るべきか、観なくても良いかを判断するための情報をご提供することを主眼に書いてみたいと思います。

目次

ジャッジタイム (ネタバレなし)

この映画を観続けるか、見限るかを判断するジャッジタイムですが、

  • 上映開始から21分30秒のタイミングをご提案します。
21分30秒

ここまでご覧になると、この映画のテイストが見えてきます。そして、本作の物語がどう転がり始めるのかも見えてきますので、この辺りのタイミングが好き嫌いを判断する最も効率の良いポイントだと思います。

概要 (ネタバレなし)

この作品の位置づけ

 「エイリアン3」(原題: Alien 3) は1992年のSFアクション・ホラー映画。エイリアン・シリーズの3作目であり、本作でも人間と無敵の生命体 ”エイリアン” との死闘が描かれる。主演のエレン・リプリー中尉役は、前2作に引き続きシガニー・ウィーバーが演じている。

ただしエイリアン・シリーズは、監督起用が特徴的であることを押さえておきたい。1979年公開の「エイリアン」はリドリー・スコット、1986年公開の「エイリアン2」はジェームズ・キャメロン、そして本作「エイリアン3」はデヴィッド・フィンチャーと、メガホンを取る監督は毎回入れ替わっている。

邦題原題公開年主演監督製作
エイリアンAlien1979年シガニー・ウィーバーリドリー・スコットゴードン・キャロル
デヴィッド・ガイラー
ウォルター・ヒル
エイリアン2Aliens1986年シガニー・ウィーバージェームズ・キャメロンゲイル・アン・ハード
エイリアン3Alien 31992年シガニー・ウィーバーデヴィッド・フィンチャーゴードン・キャロル
デヴィッド・ガイラー
ウォルター・ヒル
エイリアン・シリーズ(三作目まで)のスタッフ

そして特筆すべきは、三監督とも、このエイリアン・シリーズを撮った次回作か次々回作が、(商業的な成功とは別に)芸術作品として世界的な評価を得て、監督としての評価がバカ上がりした点だ。

リドリー・スコットは次回作「ブレード・ランナー」(1982年公開、エイリアン の3年後)で。

ジェームズ・キャメロンは次々回作「ターミネーター2」(1991年公開、エイリアン2 の5年後)で。

そして、デヴィッド・フィンチャーは次回作「セブン」(1995年公開、エイリアン3 の3年後)で、世界的な評価を高めて行く。

あくまでも結果論だが、エイリアン・シリーズは三作目までに限って言えば、名監督への登竜門となっている(た)。

あわわっち

あくまで結果論ですけどね!

脚本の変遷

「エイリアン3」の脚本は映画オリジナル脚本である。つまり、独立した原作本がある訳ではない。

よって、前作「エイリアン2」の公開後に、本作品を制作・公開することを目的にプロットを練って行ったという経緯がある。そして、以下のようにその内容が二転三転したことも合わせて記しておきたい。

草案となった主なアイデアは、「エイリアン2」での死闘後、

  • リプリーの地球帰還を起点に、誤って連れ帰ってしまったエイリアンとの闘いが始まるプロット
  • 流れ着いた農業が盛んなコロニーにエイリアンを連れ帰ってしまって、家畜を巻き込んだ死闘が始まるプロット
  • 流れ着いた刑務所衛星で、宗教の助けを得ながら信心深く暮らす社会にエイリアンを連れ帰ってしまうプロット

というもの。

二転三転した脚本

こうした紆余曲折を経て、それぞれから良いところを部分的に採用して何とか出来上がった最終稿が本作品の脚本になっている。脚本には、デヴィッド・ガイラー、ウォルター・ヒル、ラリー・ファーガソンの3名が名を連ねているが、3者でコラボをしたというより、何とか仕上げた最終稿への貢献度合いに応じて名前がクレジットされたというのが実態のようだ。

本作の世界線

前作「エイリアン2」では、調査に向かった惑星LV-426に、案の定(多数の)エイリアンが出現し、最後は追いすがるエイリアン・クイーンを振り切って何とか生き抜いたリプリー達。リプリーが命懸けで守ったニュート(という幼い少女)を含め、九死に一生を得た数名は、地球へ帰還する宇宙船スラコ号で、長い道のりの大半を冷凍睡眠で過ごすはずだった。(この辺りまでが「エイリアン2」)

(ここからが「エイリアン3」)ところが、エイリアン・クイーンがスラコ号にコッソリと生み落としていた卵があったようで、そこから発せられた強酸が原因で、スラコ号は大火災を起こして大破する。睡眠カプセルで眠ったままの乗組員は、スラコ号本体から切り離された一隻の脱出艇にカプセルごと組み入れられ、宇宙空間へと放出される。そして、その脱出艇は ”フューリ―” という名の近くの惑星に自由落下して行き、地上に激突する。

この激突の衝撃で、リプリー以外は(ニュートも含めて)全員死亡してしまう。リプリーは、この ”フューリ―” という惑星で新たな困難に直面する(というのが「エイリアン3」の世界線だ)。

前作で、みんなで(文字通り)死ぬほど苦労して生き延びたのは何だったのか?というところから話がスタートする。

あわわっち

前作のことを忘れないと、本作鑑賞のモチベーションを維持できなくなりますwww

商業的成果

この映画の上映時間は114分(ちなみに完全版は145分)と標準的な長さ。製作費は5千万ドルと、1990年代初頭としてはトップレベルの製作費を費やしたが、世界興行収入は約1億6千万ドルと、3倍強のリターンにとどまった。

3倍強のリターン

前作「エイリアン2」が7倍以上のリターンをもたらし、アカデミー賞も2部門(視覚効果賞、音響効果編集賞)を獲得したのと比較すると、本作は大人気シリーズの三作目としては見劣りしてしまう結果なのは事実だと思う。

あらすじ (21分30秒の時点まで)

前作「エイリアン2」で描かれた、惑星LV-426での死闘を命からがら生き延びた、リプリー(シガニー・ウィーバー)やニュート(リプリーに救出された少女)や他のクルー。そして、アンドロイドのビショップ。彼女たちは、地球に帰還する宇宙船スラコ号の中で冷凍睡眠を取っていた。

ところが、どうやらこのスラコ号に一匹のエイリアンの幼虫が紛れ込んでいたようで、その体内から出す強酸でスラコ号内部は損傷し、そのまま火災を起こしてしまう。依然カプセル内で冷凍睡眠中のリプリー達。スラコ号のコンピュータは、このままではスラコ号が大破すると判断し、リプリー達の睡眠カプセルを脱出艇に移動して、脱出艇を宇宙空間へと放出する。

火災の難は逃れた脱出艇であったが、そのまま近くの ”フューリ―” という惑星の重力に引っ張られ自由落下していく。そして、そのまま地表に衝突してしまう。惑星の住人たち数名と飼い犬一匹が、大雨の降りしきる中脱出艇に駆け付けると、唯一の生存者以外は全員即死、アンドロイドのビショップ(ランス・ヘンリクセン)も機能を停止していた。唯一の生存者とはエレン・リプリー(シガニー・ウィーバー)であった。

実はフューリ―は特殊な惑星で、その正体は流刑地であり、”フィオリーナ161” というのが正式名称である。収監されているのはYY染色体を持つ先天的男性犯罪者数十名(男性は現実世界ではXY染色体を持つ)。ここでは、殺人、強盗、強姦等を犯した凶悪犯ばかりが生活し、このフューリ―で厳しい宗教的戒律に従うことで心を落ち着かせ、自治に近いコミュニティを形成して来た。

そんな中、突如として空から脱出艇が落ちて来たのである。しかも生存者は女性ということで、フューリーの刑務所長ハロルド・アンドリュース(ブライアン・グローヴァ―)は無用なトラブルの発生を懸念する。そこで、リプリーを一刻も早く地球に送還すべく、リプリーの雇用主であるウェイランド・ユタニ社に引き取りを要請。リプリーを迎えが来るまでの数日間、医務室から出さない措置を取る。

刑務所の医務官であるジョナサン・クレメンス(チャールズ・ダンス)の適切な処置もあり、意識を取り戻すリプリー。自分以外の脱出者全員が死んだことを聞かされ悲しむが、同時に不時着した脱出艇の様子をその目で見ることをクレメンスに懇願し実現させる。

脱出艇の中に、エイリアンが吐いたと思しき強酸の跡を確認したリプリーは、真意をクレメンスに告げぬまま、コレラ感染の危険性を確認するためと偽り、ニュート(前作で救出した少女)の遺体を解剖することを要求する。ニュートの遺体には不審な外傷もなく、コレラの症状も認められない。

その解剖室にアンドリュース所長がやってきて、リプリーを医務室から無許可で出したことをクレメンス医務官に詰問するが、クレメンスも(リプリーの真意を図りかねているが、差し当たり)コレラ防疫のためと、リプリーに調子を合わせ、その場をやり過ごす。

一方時を同じくして、脱出艇不時着の救助に向かった飼い犬の様子がおかしい。飼い犬のモースが近づきあやすと、犬の顔には血糊がついており、その脇には、フェイスハガーによって頭部を締め付けられた跡が残っていた・・・

果たして、リプリーとフューリーの住人たちは、エイリアンから逃れて生き延びることが出来るのだろうか?

見どころ (ネタバレなし)

エレン・リプリーが置かれる運命

本作でも、シガニー・ウィーバー扮するエレン・リプリーが過酷な運命に身を置くことになります。これを楽しめるかどうかが、本作を好きになれるかどうかの分かれ目だと思います。

おさらいすると、一作目の「エイリアン」(1979年)では、勤務先のウェイラン・ユタニ社が持つ、軍事利用出来る知的生命体の捕獲という野望を知らぬまま、無警戒で LV-426 という惑星に向かい、その結果、知らぬ間に宇宙船に連れ帰ってしまったエイリアンとの、宇宙船艦内での死闘に巻き込まれて行くことになりました。

二作目の「エイリアン2」(1986年)では、自らの過去とケリを付けるために再度惑星 LV-426 に向かい、今度は一匹じゃなくて数多くのエイリアンとの戦闘状態に突入し、仲間の兵士たちが次々と殺される中、最後はエイリアン・クイーンとのタイマンに辛くも勝利し、ニュートと親子のような絆を結び、そして生き残った数名の仲間と地球への帰路につくというお話でした。

つまり、エレン・リプリーは、人類で唯一と言って良い、エイリアンとの闘いのサバイバーな訳です。

そんなリプリーが、本作では上述の「世界線」でも書いたように、「エイリアン2」で勝ち取った成果が根底から意味を失うようなプロット、もとい ”運命” に翻弄されることになります。

というのは、

  • 逃げ切ったと思っていたのに、宇宙船にエイリアンの幼虫が潜んでいた(おいおい)。
  • 惑星に不時着すると、前作で命懸けで助けた仲間(含む幼女)が全員死亡(マジかーっ!)
  • 主人公補正が働いて、自分だけ助かる(お約束!)
  • でも、不時着したのは女に飢えた元凶悪犯たちが暮らす流刑の星(新たな運命!)

という過酷なプロット、もとい ”境遇”です。

世界で最も運の悪い男が、ブルース・ウィリス扮するジョン・マクレーン刑事なら、宇宙で最も運の悪い女が、シガニー・ウィーバー扮するこのエレン・リプリー中尉な訳です。これ、もう、楽しんじゃいましょう!

あわわっち

前作のことを忘れないと、本作鑑賞のモチベーションを維持できなくなりますwww (本日2回目)

製作側に回ったシガニー・ウィーバー

本作「エイリアン3」では、そのシガニー・ウィーバーさんは、地味に Co-Poducer としてもクレジットされています。共同製作者とでも訳せばよいでしょうか?つまり、演じるだけでなく製作側にも回ってる訳です。

1949年生まれのシガニー・ウィーバーさんは、本作撮影時42歳だった訳で、同じく撮影時若干29歳だった長編初監督のデヴィッド・フィンチャーからしたら、仕事し辛い演者さんだったんじゃないかなぁなんていう、余計なお世話以外何物でもない心配を、今更ながらしてしまう筆者です。

「エイリアン」「ゴーストバスターズ」「エイリアン2」「ワーキング・ガール」「ゴーストバスターズ2」と、着実にキャリアップして来た、当時ハリウッドで最も出演料の高い女優とまで言われていたシガニー・ウィーバーさんが、自身をガッツリとフィーチャーしている本作品は、彼女の演技が見ものです!

デヴィッド・フィンチャーらしい緊張感のある演出

長編初監督のデヴィッド・フィンチャーですが、フィンチャーらしい演出が随所に見られます。

二転三転した脚本に象徴されるように、撮影開始段階、すなわち、監督に仕事が引き渡された段階でも設定が定まり切っていなかったことが、この映画の公開版と完全版との違いからも、容易に想像ができます。

ネタバレになるので詳細は割愛しますが、両者でそんなに違うんだと、違う趣向の話になっちゃわない?というレベルです。

さて、前置きが長くなりましたが、興行的にも不発だったこともあり、評論家から相当な酷評を受けた本作ですが、フィンチャーらしい演出は大変スリリングです。

例えば分かりやすい例を挙げると、上映開始から4分半程度で、本作のストーリーの初期設定の説明を完結させてしまいます。それも、セリフも無く、ナレーションも無く、同時にタイトルロールも挿し込みながら。

というのも、スラコ号の中で密かに進行して行く致命的な状況の数々を、大胆な接写で撮影し、クレジットの字幕を合間に挿入して編集し、結果として、今そこで起きている危機をサブリミナル的に見せることに成功しています。観ているこちら側としては、何やらとんでもないことの、断片だけを見せられて、否が応でも緊張感が高まります。

このアプローチは、次回作となる「セブン」(1995年)でも取られた手法で、「セブン」でも冒頭に、犯人と思しき手が気が遠くなるような細かな作業を延々と続けるシーケンスが映し出されることで、犯罪に異常な執念を燃やす知能犯という犯人像を示唆することに成功しています。

監督デビュー作の段階で、何を見せて、何を見せないか、その結果、どうすれば観客の心理を操作できるかのテクニックは完成していたことが良く分かります。

まとめ

いかがでしたか?

エイリアンという大ヒットシリーズの、当時は完結編と言われていた第三作を、観るか観ないかをご判断される適切な情報提供記事となっていると嬉しいです。

この作品に対する☆評価ですが、

総合的おススメ度 3.0 既述の通り2作目が台無し
個人的推し 3.5 シリーズ・コンプと言う意味では必見
企画 3.0 企画が良くないのかも・・・
監督 4.0 テンポも良く、監督は良いと思う
脚本 3.5 公開版が好き
演技 3.5 主演級とモブとの落差・・・
効果 4.0 映像その他のリアリティは高い!
こんな感じの☆にさせて貰いました

このような☆の評価にさせて貰いました。

決して詰まらない訳ではないけど、あまりにも2作目とのチグハグさが気になってしまいます。単独作なら楽しめるのか・・?いや、単独作では、本作の存在意義そのものが薄れるし・・・と、解が無い状態になっちゃいます。

映像のリアリティとかテンポは良いので、デヴィッド・フィンチャーの擁護に回るのが、筆者の基本的なスタンスと言うことになるのかも知れません。

あわわっち

1作目、2作目を観た方は、キリを付ける意味でこの3作目は必見かも

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