話題の記事続編なのに1作目の質を超えた映画5選

【ネタバレなし】グロい怖い「ボーはおそれている」(あらすじ、考察、評価、上映時間)

この記事でご紹介する「ボーはおそれている」は2023年公開のオデッセイ・スリラー・コメディ。母子家庭で育った強迫性障害の中年が、自身の独り暮らしのアパートから実家に帰省する道中で、奇想天外なトラブルに巻き込まれて行く様を描いた作品。

主演の中年男性をホアキン・フェニックスが演じ、脚本・監督・共同製作をアリ・アスターが務めている。

この映画を初めて観る方のことも考えて、ネタバレなし で、作品の特徴あらすじ(序盤に限定)、見どころを書いて行きます。この映画の予習情報だとお考えください。

この映画を観るかどうか迷っている人観る前に見どころ情報をチェックしておきたい人ことも考え、ネタバレしないように配慮しています。

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「ミッド・サマー」(2019年) を世に放ったアリ・アスターが、今度はオスカー俳優ホアキン・フェニックスとタッグを組んで独特の世界観をこれでもかと追求した作品。

ただし、興行的には失敗した3時間の長編大作。「こんな映画観るんじゃなかった」を避けるためには、この記事でネタバレを避けつつ、ある程度内容に当たりを付けておくことを強くお勧めします。お金と時間を無駄にしないために…

目次

概要 (ネタバレなし)

この作品の位置づけ

「ボーはおそれている」(原題:Beau Is Afraid) は、2023年公開のオデッセイ・スリラー・コメディ。大変裕福な母子家庭で育ち、現在親元から離れて独り暮らしをする強迫性障害気味の中年男性が、母が待つ実家に帰ろうとした途端に、あり得ないようなトラブルに次から次へと見舞われ、単なる帰省が一転して命懸けの冒険になって行く様を描く。

https://happinet-phantom.com/beau/ より

主人公の神経質な中年男性をホアキン・フェニックスが演じている。「ジョーカー」(2019年) でアカデミー主演男優賞に輝いたホアキンは、近年では「カモン カモン」(2021年) 、「ナポレオン」(2023) 、「ジョーカー2(仮題)」(2024年) と、年平均一本のペースで個性的な作品への出演を続けている。

そのホアキンが2022年に選んだ出演作がこの「ボーはおそれている」である(全米公開は2023年春)。

https://happinet-phantom.com/beau/ より

脚本・監督・共同製作を務めたのは、アリ・アスター。アスター監督は、監督長編2作目となった「ミッドサマー」(2019年) を、低予算ながらもスマッシュヒットに育て上げ、その次回作として本作「ボーはおそれている」(2023年) を制作した。

https://happinet-phantom.com/beau/ より

事前にある程度知っておくべき作風(ネタバレなし)

では、脚本・監督・製作の三役を担っているアリ・アスターが、本作でどんな作風を準備したのか?

ストーリー展開は常に想像の斜め上を行く。これは間違いない。アリ・アスターの360度全方位的な想像力の発露を存分に楽しむことが出来るのは確か。ただし、それら世界観に統一感があるかと言うと、それはNoと言わざるを得ない。

https://happinet-phantom.com/beau/ より

写実的な描写があり、幻想的な描写がある。作中の現実に、度々心象風景が織り交ざって行く。劇中劇と現実との境界が曖昧になって行く。

様々な登場人物が現れ、彼ら彼女らはそれぞれの主義や正義の下に行動を起こすが、その意図は良く解らないまま話は進んで行く。強迫性観念が強く、神経症気味の主人公ボー(ホアキン・フェニックス)が一番まともな人間に見えてくるぐらいだ。

https://happinet-phantom.com/beau/ より

それら一つ一つのシーンやオブジェクトの意味・意義を考えても、正直思考が追い付かないし答え合わせも無いので、ただただスクリーンの中で目にした姿をありのままに楽しむのが正しいアプローチのようだ。これを3時間続ける気力と意欲と体力がある方にはお勧めの作品だが、そうではない方には再考を促したい。

幸いにしてグロとエロは、巷間で言われるほど過激ではないので、どちらかというと、心理的に不愉快な感触に付いて行けるかを懸念される方が良いと思う。

評価

Rotten Tomatoes(ロッテン・トマト)では、67%と決して芳しくない支持率に留まっている(Rotten Tomatoesでは60%以上が『新鮮』、60%未満が『腐っている』という評価)。そして総評においては、”『ボーはおそれている』は、過剰に詰め込まれた要素により自己懲罰と自己満足の境界線が消し去られているが、アリ・アスターの見事な演出とホアキン・フェニックスのコミットメントが、この神経質なオデッセイに否定できない力を与えている” と、評されている。

大胆に意訳すると、才能のある2人がコンビを組んだが、欲張って詰め込み過ぎた要素が今一つ整理できていない意欲作ということではないか。これは上述の筆者の作風予告とも合致するところだと思う。

商業的結果

この映画の上映時間は179分とかなりの長編作である。製作費は非公開であるが、世界興行収入は1千1百万ドルという結果になっている。

1千1百万の世界興行収入

順当に考えて、興行的には大赤字だと思われる。

あらすじ (映画冒頭のみ)

ボー・ワッサーマン(ホアキン・フェニックス)は、恐ろしく治安が悪い街で暮らす、神経症の中年男性。彼は母子家庭で育ったが、今は一人暮らし。彼の母親のモナ・ワッサーマン(パティ・ルポーン)は、どの家庭にも必ず一つはその商品があるような一大コングロマリットを経営しており、ボーは非常に裕福な家庭で生まれ育った。

ボーの悩みはその母親。片親だったせいか、自身がアラフィフになった現在も母が過干渉を続けてくるのだ。その反発からかボーは母と距離を取るかのように、路上のあちこちで常に犯罪が起きているような治安の悪い地域に、一人アパートを借りて暮らしている。

そんなボーには週一回のセラピーは命綱だ。表面上の相談内容は、例えば、誤って飲み込んだうがい薬で胃ガンにならないかというような取るに足らないものだが、その強迫性障害の奥底に、母親に対する愛情、その裏返しの嫌悪、その結果の罪悪感という複雑な感情が同居し、セラピストはその渦巻く葛藤を見抜いている。

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ある時ボーは、父の命日に合わせて母が待つ実家に帰省することにする。父は自身が生まれる前に亡くなったと聞かされているので、本当は父の命日と言っても実感は全く無い。帰省の真の目的は法事ではなく母親への顔見せだ。

ところが、帰省の前の晩、ボーがアパートの自室で静かに眠ろうとしていると、隣室の住人から事実無根の騒音の申し立てが執拗に繰り返される。ボーが応対に戸惑っている内に隣人は遂にキレて、逆に大音量で音楽を流し出す始末。ボーがようやく眠れたのは朝方であった。

この騒動によりボーは夕方まで寝過ごしてしまい、帰省のフライトのわずか1時間前に目を覚ます事態となる。大慌てで出発すべく、スーツケースを玄関外まで持ち出し、玄関ドアを施錠しようと鍵穴に鍵を挿したタイミングで、デンタルフロスを持ち忘れたことを思い出し一旦洗面所に戻る。すると、そのほんの一瞬の隙に荷物も鍵も盗まれてしまい、ボーは出掛けられなくなってしまう。

強迫性障害のボーには、他人に自宅の鍵を握られたまま自宅を留守にすることなど耐えがたく、そのまま予定のフライトを逃してしまう。慌てて母親モナに電話をし事情を説明しようとするものの、母親は半信半疑で話を聞くだけで、まともに取り合ってくれない。

狼狽えるボーは常用の向精神剤を飲んで気を沈めようとするが、錠剤を飲み込んだ後にアパートの水道が止まっていることに気付く。ペットボトルのストックもない。そこへきて薬のボトルには『必ず水と服用すること』と書かれている。この用法の文言を深刻に受け止めたボーは、このままでは死ぬと思い込み、通りの反対側のコンビニへ向かうことにする。

しかし鍵がない。アパート・ロビーのドアはオートロックだ。仕方がないので目に付いた電話帳をロビーのドアに挟み自動施錠を防ぎながらコンビニへと駆け込む。ところが、思いのほかレジでの支払いに手間取り、その隙に路上のホームレスが大挙してボーの部屋に入って行くのがコンビニから見える。それどころか、大慌てで戻るボーがロビーに入ろうとした刹那、オートロックのドアが閉められ、ボーはアパートの外に締め出される始末。

自室が無政府状態に荒らされていく様を、窓外から指をくわえて眺めながら、普段はホームレスや犯罪者で溢れ返るストリートから、人っこ一人消えた静寂の中、そこで一晩を過ごすボー。

翌朝、荒れ果ててもぬけの殻になった自室をようやく取り返し、事情を説明すべく再度母親に電話を掛けるが、この通話に応答したのはモナでも家政婦でもなく、その場にたまたま居合わせただけの宅配業者だった。彼が言うには、目の前に、落下したシャンデリアで頭部が潰れた遺体が横たわっているとのこと。そして、その身体的特徴からどうやら亡くなったのは母親のモナらしい。当然のことながらボーはこの知らせに茫然自失となる。

こんな最悪の状況に追い打ちをかけるような事態が続く。狼狽えるボーは頼りの警察官から変質者だと勘違いされ銃を向けられ、そこに通りかかったトラックに轢かれ、そのまま倒れているところを連続殺人鬼に身体を再三刺されたのだ。

果たして、ボーの悪夢の帰省はここからどう展開して行くのだろうか・・・?

見どころ (ネタバレなし)

この映画の見どころを3つの観点で書いてみたいと思います。アクの強いこの作品の個性を、こんな観点でご覧になるとより味わい深く楽しめそうですよというご提案だとお考え下さい。

どれもネタバレなしで書いていきますので、その点はご安心ください。

ホアキン・フェニックスの円熟の演技

演技という観点を純粋に切り出せば、ホアキン・フェニックスのパフォーマンスは見事としか言いようがありません。3時間の長編でムラなく一定のテンションで駆け抜けたのはお見事です。

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内向的で鬱屈した中年男性という役柄は、「her/世界でひとつの彼女」(2013年) あたりから、ホアキン先生の中でメソッドが確立しているのでしょうか?彼の演技におんぶにだっこのこの「ボーはおそれている」(2023年) でも円熟の技が光ります。

アリ・アスターの想像力

脚本家、そして監督としてのアリ・アスターの想像力が凄まじいです(決して創造力ではない)。既に述べましたが、次から次へと想像の斜め上を行くストーリー展開を3時間続けているのは驚異的です。

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ただし、レゴとシルバニア・ファミリーと戦車とヨーヨーのオモチャを、混ぜ合わせて遊んでいるような感覚が否めません。レゴならレゴ、戦車なら戦車という制約条件の中で、どれだけ観客を驚かせられるかが作家の ”創造力” という気もします。

前作「ミッドサマー」(2019年) で成功を手にし、今回は一定の(無制限の?)自由度が保証された状態で撮られたこの作品は、皆さんの目にはどんな風に映るでしょうか?

親子関係

この映画を観始めると直ぐに、独身で神経症の中年男性と、裕福で過干渉な母親という構図に気付かれると思います。

この映画と比較して程度の差こそあれ、どなたにもご自身の親御さんとの関係には、何がしか思うところがおありかと思います。

本作品は非常にぶっ飛んだ内容でありますし、話が様々な方向へと脱線して行きますが、下敷きとなるテーマは親子関係であると考えると、ある意味普遍的な映画とも言えます。

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そのテーマと演出に整合性があるのか?という点は皆さんにご判断をお任せしたいところですが、この“親子関係”については皆さんの心に何が残るでしょうか?

まとめ

いかがでしたか?

3時間の長編で前衛的な本作。観る観ないを正しく判断するための、水先案内人的な役目を果たせていると幸いです。

この作品に対する☆評価ですが、

総合的おススメ度 2.0 長いのに統一感が無い
個人的推し 2.0 他の作品に時間とお金を使った方が・・・
企画 2.5 継ぎはぎだらけで企画が曖昧に・・・
監督 2.0 制約があってこそ創造力は発揮される?
脚本 1.5 誰も止めなかったのかな?
演技 4.5 ホアキンの演技の一本足打法
効果 3.5 凄い!シーンもあるけど破綻してる
こんな感じの☆にさせて貰いました

このような☆の評価にさせて貰いました。

正直おススメしない作品です。3時間を費したことを後悔されると思います。描きたかったテーマへの熱意を、観客の想像を超える仕掛けを散りばめる誘惑が追い越して行っちゃったんじゃないでしょうか?

あわわっち

ちょっと既視感が否めないシーンも若干・・・

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