この記事では、映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー PART3」、すなわち、バック・トゥ・ザ・フューチャー・シリーズの3作目について解説します。
ただし、1作目、2作目の解説と同じアプローチを取ります。
それは、バック・トゥ・ザ・フューチャー三部作で描かれた、19世紀から21世紀にまたがる4つの時代(1855年、1955年、1985年、2015年)を初めから念頭に置いて、同時期に人類に起きた第1次から第4次までの産業革命が、この三部作のストーリーにどう反映されているのかを確認して行くというアプローチです。
こうすることで、バック・トゥ・ザ・フューチャー・シリーズが、タイムトラベル映画としていかに各時代をリアルに、そして事細かに描いているかが見えてきます。
例えば、Part3が描いた第1次産業革命直後の1885年の世界では、都市間の移動に蒸気機関車が描かれていたけど、第2次産業革命を経たPart1の1955年の世界では自動車社会が成立し、1985年では高速道路による移動、第4次産業革命を経た2015年にはドローンを想起させる描写になってるよねと言った具合です。「産業革命の歴史を通して『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を語る」とはそういう意味です。
本シリーズは、三部作完結から30年以上の歳月が経過しており、既に優れた解説ブログや、分かり易い解説動画が、世の中にたーくさん存在しているので、それらとは違った目線でこの三部作を楽しむ方法をご提案します。
この映画って、こういう楽しみ方もあるんだ!と思って頂けると嬉しいです。それでは、1990年に公開された第三作目「バック・トゥ・ザ・フューチャー Part3」の世界に足を踏み入れてみましょう!
ジャッジタイム (ネタバレなし)
この作品を観続けるか、見限るかを決めるジャッジタイムですが、
- 上映開始から15分45秒のポイントを提案します。
詳細は後述しますが、Part 2 と Part 3 は、元々2つで1つの作品だったので、分割された後編であるPart 3 は、比較的短い時間でストーリーの方向性が見えます。
ただし、後で書く【見どころ】のパートでは、38分45秒時点までの範囲で色々書きたいと思いますので、ネタバレにお気をつけください。
概要 (ネタバレなし)
この作品の位置づけ
「バック・トゥ・ザ・フューチャー PART3」(原題:Back to the Future Part Ⅲ) は、1990年に公開されたSF映画。1989年に公開された「バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2」の続編であり、シリーズ3作目。そして本三部作の完結編。監督、脚本、製作、製作総指揮の布陣は、3作通じて変更なし(詳細は、下の表を参照してください)。
タイトル | 公開年 | 監督 | 脚本 | 製作 |
バック・トゥ・ザ・フューチャー | 1985 | ロバート・ゼメキス | ロバート・ゼメキス ボブ・ゲイル | ボブ・ゲイル ニール・カントン |
バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2 | 1989 | ロバート・ゼメキス | ロバート・ゼメキス ボブ・ゲイル | ボブ・ゲイル ニール・カントン |
バック・トゥ・ザ・フューチャー PART3 | 1990 | ロバート・ゼメキス | ロバート・ゼメキス ボブ・ゲイル | ボブ・ゲイル ニール・カントン |
ただし、本作品の脚本クレジットを事細かに確認すると、
- Part 1:
- Written by Robert Zemeckis & Bob Gale
- Part 2:
- Screenplay by Bob Gale
- Story by Robert Zemeckis & Bob Gale
- Part 3:
- Screenplay by Bob Gale
- Story by Robert Zemeckis & Bob Gale
となっていることから、本作での細かな役割分担はPart 2と同様で、ストーリー展開はロバート・ゼメキスとボブ・ゲイルの2人で創作したけど、それを脚本という形態にまで落とし込んだのはボブ・ゲイル1人だよというニュアンスが読み取れる。
双子作品: Part 2 と Part 3
バック・トゥ・ザ・フューチャー・シリーズのPart 2 と Part 3 は双子作品である。どういうことかと言うと、このPart 3は Part 2 がヒットした(ヒットしそうな)ので制作されたという二段階ロケット方式ではなく、これら2作品は(ほぼ)同時に制作されたのである。
というのも、この2作品は元々は 1本の長編作品だった。しかし、これをこのまま映画化してしまうと、上映時間3時間半の長編作になってしまい、興行的に不利になる(映画は上映時間が長くなると1日の上映回数が減って売上がその分落ちる)。しかし一方で、内容を間引いて短縮化を図る妥協もしたくなかったので、脚本は基本そのままに、映画そのものを2本に分割することにした。
実際の撮影は、Part2のクランクアップの後、マイケル・J・フォックスには10日間だけ休暇が与えられ、その後すぐさまPart 3の撮影に入った。結果わずか半年の間を空けて2作品は公開された。公開年はぞれぞれ1989年、1990年と、1年空いているように見えるが、当時の公開時期はわずか半年しか空いていなかった。
Part 2 公開時、高校生であった筆者は運よくPart 2 の無料試写会に当選し、一般より一足早くPart 2 を鑑賞したが、Part 3 では当たらなかったので、Part 3はお金を払って鑑賞した。
もちろん、お金を払うだけの価値はありました!
商業的な成功
Part 3 の上映時間は、118分。3作続けて標準的な上映時間となった(116分 → 108分 → 118分)。これには ”娯楽作品を創るんだ” という、ロバート・ゼメキスとボブ・ゲイルのブレない意思を感じる。まずは娯楽性を一義に考え、そこにメッセージ性を乗せる、でも優先順位は決して間違わない。
そんなこんなで、この第3作目も、4千万ドルの製作費で、世界興行収入2億4千5百万ドルの大ヒットとなった。投資に対するリターンは6.1倍。
ちなみに、この1990年は「ホーム・アローン」「プリティ・ウーマン」「ダンス・ウィズ・ウルブス」の3作品が驚異的な大ヒットを記録した年で、この「バック・トゥ・ザ・フューチャー Part 3」より興行的に上位にランクインした。
あらすじ (15分45秒の時点まで)
前作 Par 2 のラストシーケンス。1955年のヒルバレー。落雷により誤作動したデロリアンと共に消えた1985年のドク・ブラウン(クリストファー・ロイド)は、期せずして1885年のヒルバレーに送られたが無事であることが判明した。この事実は、ドクが郵便事業者に70年間保管することを厳命した手紙のお陰で、1955年に居る1985年のマーティ(マイケル・J・フォックス)の知るところとなった。
この、1955年に取り残された1985年のマーティは、頼りになるのはドク・ブラウン(1955年)だけ(He is the only man who can help me!)だと考え、彼の元を訪ねる。ドクは、マーティの想定外の再訪に一旦卒倒するほど取り乱すが、70年越しの手紙を読み、事態を正確に把握する。
その手紙には、
- 自身は、1985年の世界で鍛冶屋として生活していること
- デロリアンを、70年間発掘されない場所に隠したこと
- 1955年のテクノロジーでも、デロリアンをタイムマシンとして再起動できる詳細な手順
- 自身は1885年で生涯を終える覚悟なので、マーティは元の1985年に帰ること
- 帰ったらデロリアンを破壊し、タイムパラドックスの混乱は再発させないこと
が丁寧にしたためられていた。
手紙の指示通りに、(1985年の)マーティと(1955年の)ドクは、墓地脇の廃坑内で70年間保管されていたデロリアンを見つけ、その回収に成功する。しかし、墓地で偶然見つけた墓石と、その後の図書館での調査により、”エメット・ブラウン”という男が”ビュフォード・マッド・ドッグ・タネン”(トーマス・F・ウィルソン)という、ビフ・タネン(トーマス・F・ウィルソン)の先祖に射殺された事実を知る。
状況証拠から、その”エメット・ブラウン”は(1985年の)ドク・エメット・ブラウンであることを確信した2人は、(1985年の)マーティを一旦1885年に送り込み、1985年のドクと共に1985年に帰還することで、この銃殺事件を未然に防ぐことを決意する。
果たして、マーティは無事1885年に辿り着けるのか?そこで、ドク・ブラウンと再会することが出来るのか…?そして、二人は1985年に無事戻り、元通りの生活を送ることが出来るのか…?
見どころ (38分45秒時点まで)
まずは普通に見どころ解説
ユニバーサル・ピクチャーズの4つのロゴ
上映開始後にまず驚くのが、立て続けに流れる「ユニバーサル・ピクチャーズ」の4つのロゴではないだろうか。1990年は、同社の75周年に当たり、この年公開された作品はこうして歴代のロゴが上映されてから本編へと入って行った。
物語の軸足はドク・ブラウンに
このバック・トゥ・ザ・フューチャー・シリーズの、これまでの2作品のシナリオ上のテーマは、
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- Part 1 では
- マーティが無事に1955年から1985年に帰れるか?
- マーティ兄弟の存在を消滅させないために、どう1955年の両親を引き合わせるか?
- Part 2 では
- 未来(2015年)のマクフライ家の崩壊を防ぐために、2015年で歴史を修正する
- 現在(1985年)の世界を元通りにして、マクフライ家の崩壊を防ぐために、1955年の歴史を修正する
であった。あくまでもマクフライ家を中心としたストーリーだった訳だ。
ところが、Part 3では、”ドク”ことドクター・エメット・ブラウンの殺害を1885年で未然に防ぐことがシナリオ上のテーマとなり、墓石の言葉から、どうやらドクに”クララ”という最愛の人が出来ることも示唆されている。
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これは実は、Part 2 から伏線が張られていた話でもあり、2015年のマーティ・Jr. 騒動の直後ドクは、「宇宙の謎に究極の答えを出す」と言及しており、これがどうやら”恋愛”を指していたという寸法だ。
こうした軸足の移行は、シリーズものでは良く目にする常套手段とは言え、これまでの2作品で”ドクター・エメット・ブラウン”という堅物の変人科学者キャラクターを、丁寧に丁寧に描写して来たからこそ、意外性も含めてこの面白さが強く引き立つ訳で、完全にシナリオの勝利だと思う。
2人の主人公キャラの人間的成長
バック・トゥ・ザ・フューチャー・シリーズは、単にスリリングなドタバタ劇が、手を変え品を変え繰り返されるだけではなく、2人の主人公マーティとドクが、どんな人間的成長を遂げようとするのかも見ものとなっている。これが、共感を持って観客をストーリーに引き込む大きなフックになってると思う。
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マーティの場合は、”チキン”呼ばわりされるとキレる性格をどう克服するのか?
ドクの場合は、科学では解けない恋愛にどう対処するのか?
特にドクの場合は、このPart 3 では、本当に丁寧にフィーチャーされていて、1955年で70年間保存され続けたデロリアンを廃坑から回収するシーンでも、「11歳の時に時にジュール・ベルヌの『海底2万マイル』を、12歳の時に『地底探検』を読み、生涯を科学に捧げようと決意した」と、自身の科学者としてのルーツを語るシーンも出てくる。
心温まる70年越しのドクの手紙
「バック・トゥ・ザ・フューチャー Part 2」と「バック・トゥ・ザ・フューチャー Part 3」のブリッジとなるのは、(期せずして1955年から1885年に転送されてしまった)ドクからの、70年2か月12日越しで送られて来た手紙ですね。この一連のシーンが実に秀逸なので、触れさせて貰います。
まず、この手紙を配達したのは、字幕では表示されていませんが、音声ではハッキリと”ウェスタン・ユニオン”という実在の通信事業者名(後に金融業に集中)が言及されていました。ここに実在する企業を持って来るあたりが、この映画の脚本のリアリティへのこだわりだと、つくづく感心します。
そして、1955年のドクが卒倒から目覚め落ち着きを取り戻した後に、この手紙を大声で音読しながら、自宅兼研究室を歩き回るシーンが出てきます。観客はこの間、この様子を追い続けるカメラワークを通じて、ドクの周囲に映る研究室内の様々な発明品や小道具を楽しむことが出来るので、この長い音読に飽きることがありません。
こうして時間稼ぎをしている間に、長い手紙も終盤に近付き1885年のドクの近況報告が完了します。このシーンが、Part 2 と Part 3 の間(はざま)の出来事を補完し、更に、この後のストーリーの方向性を示す ”ブリッジ” の役割を果たしています。
スター・ウォーズの冒頭に、下から出てくる長い文章を必死で読むのより、ずっと楽しいですねwww
このシーン、実際はクリストファー・ロイドを追う8つのカットを巧みに編集して出来たシーケンスなのですが、観客の感覚としては、ほぼ1つのロングショットに感じられます。そして、手紙も結びに近付くと、マーティの友情に対するドクの心温まる感謝の言葉となるのですが、その締めが、「Your Friend in time “Doc” Emmett L. Brown」 となっているんです。
Part 2 終盤のこの手紙が映るシーンでは、どんなに目を凝らしても ‘in time” が巧みに隠されて映りません。しかし、Part 3でドクの音読を注意深く聴いていると、ハッキリと「Your Friend in time “Doc” Emmett L. Brown」 と読み上げています。
この文脈での in time は、時を超えた長年の(友情) を意味していると思うのですが、もちろんこれは、1) マーティへの謝辞、2) タイムトラベルものに掛けた表現、という解釈があると思いますが、それに加えて3つ目として、ここまで Part 1、Part 2、Part 3 と、このシリーズを ”長らく” 応援して来たファンに対する感謝の意味も含まれていると思うんですよね。
何故なら、Part 1 で、マーティからドクに宛てた手紙には、「Your Friend Marty」としか書かれてなかったから。最終章のPart 3 において、大いにフィーチャーされようとしているドクが、時間を掛けて感動的な手紙を朗読した挙句、”in time” という言い回しを加え、「Your Friend in time “Doc” Emmett L. Brown」と締めるなんて最高だと思いません?
何度も見返してたら、あれっ?って気付けたんですよねぇ
ジゴワット騒動とネイティブ・アメリカン
デロリアンがタイムスリップするのに必要な電力である1.21ギガワット(Gigawatt)は、日本語字幕においては1.21”ジゴワット”(Jigowatt)と記述されている。
これは長らく、日本語字幕を担当した翻訳家の戸田奈津子氏の誤訳が原因と、戸田氏が中傷の対象になってきた。
現在ではスッカリ聞き慣れた”メガ”(=100万倍)、”ギガ”(=10億倍)という倍数を意味する接頭語だが、1980年代前半の一般生活においては、”キロ”(=1,000倍)や”メガ’で事足りるシーンが多かったため、”ギガ”は馴染みに無い言葉であった。
こうした背景の元、脚本を担当したボブ・ゲイルは、テクニカル・アドバイザーを務める専門家から口述で説明を受けた際に、その発音から”ジゴワット”と聞き取り、脚本にも”Jigowatt” と記述したことが全ての原因と判明した(DVD/Blu-ray の特典映像でも言及されている)。
戸田氏は、この脚本を参考にしただけのことであり、彼女に非はなかったのだ。ただし、”ギガ”という接頭語が普及した現在でも、日本語字幕にはこの”ジゴワット”表記が使われている。
また、本作品ではネイティブ・アメリカンが描写されるシーンが出てくる。出演者の2人、マイケル・J・フォックスとクリストファー・ロイドの2人はハッキリと”インディアン”と言及しているのに対し、日本語字幕は”ネイティブ・アメリカン”に差し替えられている。
ジゴワット表記は出演者の発音との整合性を優先させ、ネイティブ・アメリカン表記については社会的問題への配慮を優先させたということだろうか。
産業革命を通して眺めるバック・トゥ・ザ・フューチャー Part 3
では本題の、「バック・トゥ・ザ・フューチャー Part 3」を産業革命の歴史を通して眺めるというアプローチをしてみよう!
「バック・トゥ・ザ・フューチャー Part 3」の舞台となるのは、1885年と1955年のヒルバレー(カリフォルニア郊外という設定の架空の町)だ。
まずは、この1885年と1955年の前後に起きた第1次産業革命と第2次産業革命をおさらいしておこう。
第1次産業革命と第2次産業革命のおさらい
第1次産業革命は、18世紀後半から19世紀半ばに起きた産業革命で、革新を生んだ礎は石炭を使った蒸気機関の発明だ。それまでの水車等と比較して圧倒的に出力・安定性・汎用性が増大したので、工場の立地の自由度が上がり、生産性が飛躍的に向上(工場制機械工業)した。こうして大量生産できるようになった製品が、蒸気船や蒸気機関車に乗せられ、一度に大量に遠隔地まで運搬できるようになった。
こうして、人・物・情報の交流が、より遠隔の町とも盛んに行えるようになった。より多くの人々が第二次産業(製造業)に従事するようになり、新たな第三次産業(サービス業)も生んだ。
電報や写真も普及したので、それまでの手紙による伝承と比較して、情報伝達の即時性、正確性が飛躍的に向上したという側面もある。
第2次産業革命には、当然様々な側面があるが、本作「バック・トゥ・ザ・フューチャー Part 3」との関わりという観点で言うと、石油精製技術、発電機、内燃機関(=ガソリン・エンジン)の発明が一番関係するところだろう。一言で言うと自動車の発明ということだ。
1955年のヒルバレー
まずは、ストーリーの順番通りに1955年のヒルバレー、及びアメリカ社会を眺めてみよう。
ドク・ブラウンがカメラを個人所有していましたね。後で出てくる1885年では、専門の業者のみが業務用に所有していた状況と比較すると、カメラの汎用化・民生化が圧倒的に進んだことが示唆されていました。
また、「マイクロチップ、IC回路が無いから」と言いつつも、真空管を用いたと思しき回路を新たに装備することで、デロリアンをタイムマシンとして再起動することに成功していました。これは、20世紀後半の半導体技術の進化は、電化製品のダウンサイジングを強烈に推し進めましたが、逆にいえば、原理的には同等の働きをする回路を、サイズさえ問わなければ、1955年当時の技術でも実現できることを描いていた訳ですね。
マーティが1885年に向けて、1955年から旅立った場所はドライブインシアターでした。一転1885年において、同じ場所は全くの荒野。70年の間に、ヒルバレーの生活圏が大きく拡大したことを示唆する描写でしたね。
1885年のヒルバレー
では、1885年のヒルバレーを眺めてみよう。
ヨーロッパからの移民が現地に根を張る様子が描かれていましたね。マーティ(マイケル・J・フォックス)の高祖父(4世代前)シェイマス・マクフライ(マイケル・J・フォックス)と高祖母マギー・マクフライ(リー・トンプソン)が登場し、その息子ウィリアム・マクフライ(マーティの3代前の曾祖父)を、”アメリカで生まれた初めてのマクフライ”だと述べていました。
この地に入植し、この地に根を張り、この地で生きて行くんだという意志が伝わる表現ですね。西部の土地というのはこういう人たちの手によって開拓されて行ったという共通認識が示されている訳です。また、酒場の老人たちの会話から「中国人か?」という言葉も出ました。一定数の中国人が西部の土地に姿を見せていたことも分かります。
さて、シェイマスに線路まで送って貰った後、徒歩でヒルバレーを目指したマーティは、ヘロヘロになりながらヒルバレー駅になんとか到着する描写がなされます。これは、町と町は、とても徒歩では歩けないぐらい離れており、そんな2つの地点の間を蒸気機関車が結んでいることを示唆しています。
西部開拓時代より、広大な西部の大地の中で、人はポツン、ポツンと離れた箇所にそれぞれ集まり、自然発生的に町(集落)を形成してきた。そして、その町と町との往来の基本は馬や馬車であった。そこに第一次産業革命を経て、鉄道(蒸気機関車)が開通すると、人・物・情報の往来が活発化し、町の発展を加速させる。まさに、そんな急速な発展期にあるのが1885年のヒルバレーという訳です。
その変化の真っただ中にある描写の数々を順に見て行きましょう。
農場を経営するシェイマスは第一次産業(畜産業)ですね。マーティがヒルバレーの町に足を踏み入れるとほどなく、ウサギを捌いている精肉業の店、動物の排泄物から肥料を提供する店(Manure Hauling )、タバコ屋が出てきます。これらは第二次産業(加工業・製造業)ですね。
ところが、それ以外のお店は第三次産業(サービス業)ばかりなのです。貸し馬、貸し馬車、馬預かり業(Livery & Feed Stable)。風呂屋。葬儀屋。酒場(+娼館)。みんなサービス業です。
特筆すべきは、Wells Fargo & Co.(金融サービス業)の支店が既に出てくること。預金、融資、決済という業務が、こんな小さな町にも必要だから出て来たんでしょうが、ヒルバレーはその日暮らしを送るだけの場という位置付けではなく、都市機能を提供し始めている町だという描写ですね。マーティが轢かれそうになって慌てて避けた(その結果馬糞に着地した)馬車も、良く見るとWells Fargo & Co. のロゴが付いていました。大金を強盗に襲われないように、高速で隣町に運んでいるという描写なんでしょうか。
保安官事務所に留守の張り紙がありました。これは、保安官は通常は事務所に詰めているものという共通認識の裏返しであり、この町に警察機能が存在していることが分かります。
1955年に雷に打たれることになる時計台が建設され始めています。大勢の労働者がこの建設事業に従事している様も描かれています。これは、既に建設業という大規模な労働集約を必要とする事業がこの地域でも成立していることの示唆ですね。
加えて、ヒルバレー・フェスティバルというお祭りの告知もなされています。これは、既にこの地域に住む住人によるコミュニティが形成されていて、記念日は皆で集って祝うという地元意識があることを示唆しています。
ビュフォード・”マッド・ドッグ”・タネン(トーマス・F・ウィルソン)がドクに付けた難癖の一環で、”Kentucky Red Eye”というウィスキーが台無しになったから5ドルを払えというセリフが出てきます。遠く離れたケンタッキー州のウィスキーが、ヒルバレーというカリフォルニア州の町でも入手できるほどに流通経路が確立していること、そして当時の物価のイメージを上手に示唆していましたね。
そんな町で再会を果たすマーティとドクの周辺では、
- 氷1個を作るのに巨大な蒸気機関装置が必要だという描写がなされる
- クララという女性教師が翌日蒸気機関車でやってくる知らせが、電報経由で先行してもたらされる
- ガソリンは20世紀の発明なので、ガス欠を起こしたデロリアンは、期待される出力(スピード)を出せない
という描写がなされ、生活全般に第1次産業革命の恩恵は受けながらも、第2次産業革命前なので、その技術革新(発電機、ガソリン等)は存在していないという決定的(致命的)な描写がなされています。
結論
第1次産業革命の概要と生活にもたらす効果。第2次産業革命のストーリーに関連ある部分。この両者をおさらいし、実際に1885年の(≒第1次産業革命後だが20世紀に入る前)ヒルバレーの描写を検証しました。
良く目を凝らしてみると、見た目以上にヒルバレーの都市としての機能は洗練されていることになっており、これからこの町が大いに発展する設定になっていることが良く解かりました。当時の実態に即しているのかまでは検証できませんが、この町が1885年、1955年、1985年、2015年と4つの時代に跨って描かれて行く先鞭が付ける描き方を企図したのは事実だと思います。
まとめ
いかがでしたでしょうか?「バック・トゥ・ザ・フューチャー Part 3」のそもそもの映画としての魅力の解説と、産業革命の歴史を通して1955年と1885年のヒルバレーの描かれ方の検証とを、同じぐらいの熱量でやってみました。
この作品をより深く理解する、その結果、一層この映画を楽しめるということに繋がると嬉しいです。
この作品に対する☆評価ですが、
総合的おススメ度 | 4.5 | 単独作品としても面白いし、完結編としてもバッチリ! |
個人的推し | 4.5 | BTTF ってやっぱり素晴らしいと実感できる作品! |
企画 | 5.0 | 人、町のルーツに迫り、ドクの恋愛も描く。企画の勝利です! |
監督 | 4.5 | SFだけでなく、結局人を上手に描いてくれるから、超楽しい! |
脚本 | 4.5 | 118分にまとまっているのが凄い! |
演技 | 4.5 | セリフが多いところ、少ないところ、どれも楽しいです |
効果 | 4.5 | 説得力抜群です! |
Part 2には中継ぎ感を正直感じていましたが、Part 3は、単独作品としても十分秀逸だと思います。
その上で最終章だと思うと、いつものお約束のシーンや、新たに描かれた側面。そして、なにより全ての人、町のルーツが描かれて、前日譚的な楽しみ方もできる。でも、全ての下敷きが ”未来志向” という明るさ。本当に楽しい作品です!
是非、三部作を通してご覧になってください!