この記事では、映画「パルプ・フィクション」について解説します。そのキャリアにおいて鬼才の名を欲しいままにしてきたクエンティン・タランティーノ。その名を一躍世に知らしめた、この1994年公開の監督第2作目について語ります。意表を突くストーリー性、カンヌ映画祭最高賞にも輝いた芸術性、そして何より”人物(キャラクター)” を描く描写力についてお伝えできたらと思います。何を指しおいても、タランティーノ作品、特に「パルプ・フィクション」ではそれが魅力ですので!
この映画を観るか迷っている方は、後でご提案する ”ジャッジタイム” までお試し視聴する手もあります。これは映画序盤の、作品の世界観と展開が ”見えてくる” 最短のタイミングのことで、作品が気に入らなかった場合に視聴を離脱する目安タイムです。
もし、この映画が気に入らなかった場合でも、このジャッジタイムで観るのを止めちゃえば時間の損切りができます。タイパ向上のための保険みたいなものです。
この映画を初めて観る方のことも考えて、ネタバレなし で、作品の特徴、あらすじ(ジャッジタイムまでに限定)、見どころを書いて行きます。この映画の予習情報だとお考えください。
この映画を観るかどうか迷っている人、観る前に見どころ情報をチェックしておきたい人 のことも考え、ネタバレしないように配慮しています。
タランティーノ作品全般を通した特徴をお読みになりたい方は、こちらの記事もご覧ください(ただしネタバレあり)。
1990年代は、最終章の10年にふさわしく、20世紀が生み育ててきた大発明 ”映画” の歴史を根底からひっくり返す作品が登場しました。その1つに数えらえるのがこの「パルプ・フィクション」だと思うので、その世界にちょっとだけ足を踏み入れてみませんか?
ジャッジタイム (ネタバレなし)
本作において、観続けるか、見限るかの判断をするジャッジタイムは、
- 開始から21分10秒をご提案します。
ここまでご覧になると、タランティーノ作品初体験の方でも、その世界観が見え始めて、「おっ面白いかも!」と思えるか、「これは受け付けないタイプだわ・・・」とご判断できると思います。
概要 (ネタバレなし)
この作品の位置づけ
パルプ・フィクション(原題: Pulp Fiction)は、鬼才クエンティン・タランティーノ監督の第2回監督作品(1994年)で、同監督を一気にメジャーな存在に押し上げたタランティーノ・ワールド全開の代表作。クエンティン・タランティーノ、当時弱冠31歳。この作品は、1990年代のハリウッド映画を象徴する傑作と言っても過言ではないと思う。
製作費はわずか(?) 8百万ドルだったのに、有名俳優が続々と登場し個性的なキャラクターを演じている。その甲斐もあって、上映時間は154分と結構長編なのに観ていて全然飽きない。そして、何度見返しても毎回必ず発見がある。
同年のカンヌ映画祭では、(クリント・イーストウッドが審査員長を務めたからだという揶揄も一部であるものの、)最高賞であるパルム・ドール(俗に金獅子賞と呼ばれる)に輝いた。
独特の構成(編集) – 人物相関関係
この映画を複雑に、でも大変個性的にしているのが、その構成(編集)。出来事が起こる時系列を幾つかのパートに切って、その順番を入れ替えているので、初見では理解が追い付かない箇所があるかも知れない。
それを事細かに説明するのはネタバレに繋がるし野暮なのでやりません。その代わり、登場人物をグループ分けしておきます。これをある程度理解しておけば、初見でもストーリーがスッキリ頭に入ると思います。
時系列中心ではなく、人中心で予習しておきましょう!
1. ファミリー・レストランのカップル
- パンプキン (ティム・ロス) と ハニー・バニー (アマンダ・プラマー)
- ただの若者カップルかと思いきや、思い付きでファミリー・レストランで強盗をはたらく
2. ギャングの2人
- ヴィンセント・ベガ (ジョン・トラボルタ) と ジュールス・ウィンフィールド (サミュエル・L・ジャクソン)
- 白人と黒人のギャングのコンビ。黒のスーツ、白ワイシャツ、黒ネクタイで身を固めている。
3. ギャングのボスの周辺
- スキンヘッドの黒人ボス:マーセルス・ウォレス (ヴィング・レイムス)
- その美人妻:ミア・ウォレス (ユマ・サーマン)
- 組織の証拠隠滅のプロ:ミスター・ウルフ (ハーヴェイ・カイテル)
4. プロ・ボクサーの関係者
- ボクサー:ブッチ・クーリッジ (ブルース・ウィリス)
- その恋人:ファビアン (マリア・デ・メディロス)
これら4つのグループの面々が、それそれシナリオの中で互いに接点を持ってストーリーは進んでいきます。特に黄色い印を付けた7人が重要なキャラクターとなっていきます。
商業的成功
上述の通り、製作費は8百万ドルと、この規模、この出演陣としては破格の低予算に抑えられている。そして、結果2億1千4百万ドルの世界興行収入を叩き出した。これは26.8倍の利益率であり、キャリアを通じて概ね利益率の高いタランティーノの映画遍歴においても、ぶっち切りの回収率のデカさである(詳細は下図参照)。
# | 作品名 | 公開年 | 世界興行収入($) | 製作費($) | 費用対効果(倍) |
1 | レザボア・ドッグス | 1992 | $2,832,029 | $1,200,000 | 2.4 |
2 | パルプ・フィクション | 1994 | $214,179,088 | $8,000,000 | 26.8 |
3 | ジャッキー・ブラウン | 1997 | $74,727,492 | $12,000,000 | 6.2 |
4-1 | キル・ビル Vol.1 | 2003 | $180,949,045 | $30,000,000 | 6.0 |
4-2 | キル・ビル Vol.2 | 2004 | $152,159,461 | $30,000,000 | 5.1 |
5 | デス・プルーフ in グラインドハウス | 2007 | $30,949,555 | $53,000,000 | 0.6 |
6 | イングロリアス・バスターズ | 2009 | $321,455,689 | $70,000,000 | 4.6 |
7 | ジャンゴ 繋がれざる者 | 2012 | $425,368,238 | $100,000,000 | 4.3 |
8 | ヘイトフル・エイト | 2015 | $155,760,117 | $44,000,000 | 3.5 |
9 | ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド | 2019 | $374,343,626 | $90,000,000 | 4.2 |
10 | (仮) The Movie Critic | TBD |
芸術的評価
この映画は、「アメリカ国立フィルム登録簿」(National Film Registry) に登録されている。これは、連邦政府国立フィルム保存委員会(The United States National Film Reservation Board)が毎年25作品を選定するもので、本作品が、アメリカの文化的、歴史的、芸術的に、後世に多大な影響を与えたことが公的機関からも認められた証である。
そして、アカデミー脚本賞受賞。カンヌ国際映画祭パルム・ドール受賞。監督デビュー2作目での快挙は、本当に素晴らしい。
あらすじ (21分10秒の時点まで)
※ タランティーノ作品の特徴の1つに、編集で出来事の順序が大胆に入れ替えられるというのがある。この作品もその一つ。よって、スクリーンに登場する順序が、必ずしも出来事の順序とは一致しないことを頭に置いておいてください。
ファミリーレストランで食事をする若い男女(上述1. の パンプキン(ティム・ロス)とハニー・バニー(アマンダ・プラマー))。彼らは常習的な拳銃強盗犯で、食後のコーヒーを飲んでいる内に、ファミリーレストランは、低リスクで高リターンな絶好の狩場なのではないかと思い付く。何故なら、ファミレスは強盗に無警戒だし、レジの金に加えて食事客の財布も回収できるからだ。
銃を片手に突然店内の食事客と店員を脅し始める2人…
画面は切り替わって、自家用車のフロントシートに座る2人のギャング(上述2. の ヴィンセント・ベガ(ジョン・トラボルタ)と ジュールス・ウィンフィールド(サミュエル・L・ジャクソン))。車中で楽しく世間話をしながら、ある安ホテルの一室へと向かう。
その部屋に着くと、室内にいた怯える白人の若者2人を、ジュールス(サミュエル・L・ジャクソン)が表面上は平静を装いつつも徐々に威圧して行く。どうやら若者たちは、素人なのにも関わらず、ジュールスとヴィンセント(ジョン・トラボルタ)が仕えるギャングのボス、マーセルス(上述3. のマーセルス・ウォレス(ヴィング・レイムス))との取引に失敗したようで、そのままマーセルス所有のある高価な”ブツ”を保持したままになっていたのだ。
目的の”ブツ”の回収が確実なものになると、ジュールスとヴィンセントは、白人の若者2人を問答無用で射殺する。
果たしてこの後、このストーリーはどのように展開されて行くのか…?
見どころ (ネタバレなし)
今から述べる見どころは、タランティーノ作品にほぼ共通するものなので、タランティーノ作品全体を好きになるかどうかの分水嶺だと思います。
ここから幾つかのポイントを書きますが、行き着くところ全ては”人物(キャラクター)”の描写が軸となります。キャラクターの個性を、そして一瞬一瞬の息遣いを、より鮮明に描き出すために、暴力だったり、変な会話だったり、凝った編集が手段として持ち込まれている、それが「パルプ・フィクション」であり、タランティーノ作品です。
そこを念頭に、以下を読んで頂けると嬉しいです!
清々しいほどの暴力シーン
この映画でも、清々しいほどの暴力シーンが出てくる。暴力的な描写がどうしても好きになれないという方には、そもそもタランティーノ作品はお勧めしない。ただ言い訳をしておくと(何で、筆者が言い訳しないといけないんだ?w)、タランティーノは暴力を方法論としては用いるけれど、暴力を描きたい訳ではないんだと思う。その証拠に、死体は極力描写しないようにしている節がある。
筆者が理解するところのタランティーノの狙いは、暴力そのものが目的ではなく、丁寧に丁寧にその性格を描写した登場人物が、何のためらいもなく人を殺したり、あるいは逆にあっさりと殺されてしまったりして、そうした刹那的な落差を強調するツールとして暴力を持ち込んでるような気がする。その結果、活きている人の表情、癖、ひいては人物像を一段と際立たせようとしているんだと思う。
”生”を描くための”暴力”とでも言ったら良いのかな、なんとも矛盾した表現方法だとは思うけど。人が大好きなんじゃないかな。
暴力が清々し過ぎて、いつも笑えてくるんですよね。悪趣味だって分かってるんだけど。
ストーリーと無関係な会話がダラダラと続く
タランティーノ作品の特徴の1つとして、ストーリーと無関係な会話がダラダラと続くという物が挙げられる。本当に、本当にダラダラと続くし、本当にストーリーと無関係なことが多い。
本作でも、後に有名になった”ヨーロッパのハンバーガー・ショップ事情”についての会話なんかがその最たる例だ。
ただし、これにもちゃんと狙いがあって(と筆者は理解している)、
- 一つには、純然とその会話に観客を引き込む
- 一つには、その会話を通して、喋る本人のキャラクターと、その周囲の人との関係性を丁寧に掘り下げる
の2つを企図しているんだと思う。
その証拠に、こうしたシーンを作り上げるために、周到な準備が施されたことがスクリーンを通して伝わって来る。ここで強調したい点は3つ。
セリフそのもの
1つ目は、そのセリフそのものだ。これは是非原語(字幕版)で耳をそばだてて聞いて頂きたいのだが、実にそのリズムが心地良いのだ。全ての監督作で脚本も担当しているクエンティン・タランティーノが、天才的に紡ぎ出しているのか、あるいは練りに練っているのかはともかくとして、ラップのようなリズムが実に爽快だ。
あらすじを書いた21分10秒まででも、若い男女が突如として強盗を働こうとする際のセリフ。ジュールス(サミュエル・L・ジャクソン)による(インチキ)聖書の一節、エゼキエル書25章-17節。そのリズムを是非楽しんで頂きたい!
セリフ回し
2つ目は、俳優陣のセリフ回しだ。いかに優れたセリフが台本に書かれていても、俳優がそれを再現出来なければ元の木阿弥だ。出演陣が台本の意図に沿ってこれを完璧に具現化することで、緻密に準備されたセリフが、俳優を介してメロディーに昇華され、観客の耳に注ぎ込まれてくる。
その結果、そのダラダラと続くセリフを発する人物の、断片的だが生々しい表情の一つ一つが、少しずつ、でも確実に、血肉の通った一つの人物像として構成されて行く。そこに存分に時間を費やすのが、タランティーノ流の演出なんだと思う。
カメラワーク
3つ目は、このダラダラと続くセリフや会話のシーケンスにおいては(おいても)、カメラワークが計算し尽くされている点だ。
通常2人の登場人物AとBが会話をするシーンにおいては、Aの肩越しにBの表情を撮影することで、Aの視座でBの感情を読み取るというカメラワークを用いるのが常套手段だ。もちろん、AとBの立場を入れ替えたカットも撮影し、これらを編集で繋ぐことで、AとBそれぞれの心理、相手のリアクション、そして両者の関係性を描写していく訳だ。
だが、タランティーノは、あまりこの”肩越しショット”は多用しないように思う。それよりも、もっとシンプルに”寄り”のショットで対象者の表情を単独で抜いてしまう方がお好みのようだ。その方が、上述の凝ったセリフ回しに観客を集中させることが出来ると考えているのではなかろうか?
A目線のBとか、B目線のAとか、そんなまどろっこしいことはせずに、AならA、BならBのキャラクターに迫って行く。ただし、ここでファストカットと呼ばれる、細かな画面の切り替わりを多用して、観客を飽きさせないよう工夫することも忘れないのがタランティーノ流だ。
そうかと思うと、全く異なるアプローチとして、ハンドカメラを使って、歩きながら会話する2人をずっとワンカットで追い続けるカメラワークを用いたりもする。
あらすじを書いた21分10秒までの間でも、安ホテルの廊下で、ジュールス(サミュエル・L・ジャクソン)とヴィンセント(ジョン・トラボルタ)が”足マッサージ”についてダラダラと話し合うが、奥行きが何メートルもあるホテルの廊下を背景に、その中央で2人がわざわざ足を止めて向かい合い、言い争いをする構図は、まるで哲学者同士が、非常に深遠なテーマについて互いの主張をぶつけ合うかのような図柄だが、話しているのは”足マッサージ”にどのぐらい性的要素が含まれるかだ(笑)
こうして、「セリフその物」+「俳優のセリフ回し」+「計算されたカメラワーク」によって、「キャラクターを生々しく描く」というのが、”ダラダラと続くセリフ”の狙いなんだと思う。
映画全編の構成が、出来事の時系列と順序が異なる
タランティーノ作品の特徴の一つとして、編集によってシーケンスの順番が入れ替えられているというのも挙げられますね。これによって、実際の出来事の順番と、観客が目にする順番が全く異なるものになります。
この狙いは、ストーリー全体の流れを描くことよりも、その瞬間、その瞬間に、いかにキャラクターが生き生きと活きているかを描きたいからなんじゃないかと筆者は想像します。A(原因)→ B(状況の派生)→ C(結末)という出来事の順番を、そのままA、B、C と編集してしまうと、CのためのB、BのためのAという意味合いが強くなってしまいます。
でもこれをぶった切って、順番を入れ替えれば、BならB、CならC、そしてAならAの、その瞬間、瞬間に、登場人物たちがどう生きて、どう笑って、どう驚いて、どう怒ったかを独立して描くことが出来る。ここに暴力や死を絡めることで、それらの喜怒哀楽がより刹那的な物として浮かび上がり、結果として生きる喜びみたいなものを再確認できると考えてのことなんじゃないでしょうか?
それがタランティーノが作品を通して描きたい狙い、すなわち“人”に焦点を当てたシナリオ作りなんじゃないかと思ったりしています。
とにかく個性的な俳優陣
ここまで述べてきた意図、手法によって、ある種の群像劇のような構成になっている「パルプ・フィクション」には、既述のように有名俳優が続々と登場してきます。彼らが後にアイコン的に人々に記憶されていく、ダンスシーンや聖書の一節(っぽい)長台詞などを完璧に具現化する。各メディアで何度も切り取られることになる有名なシーンを、是非楽しんでいただきたい。
パロディも含めて、なぜこの作品がこうも何度も何度も世間から“イジられる”のか、きっと答えが見つかると思います。
どうでしょう?人間大好きクエンティン・タランティーノの、キャリア初期から発揮された才能が紡ぎ出す見どころが、ちょっとで伝わったなら嬉しいです。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
クエンティン・タランティーノの監督第2作であり代表作である「パルプ・フィクション」について、その娯楽作品として、芸術作品としての素晴らしさを、ネタバレしない手前のラインで最大限語ったつもりです。
視聴前の予習情報として役立てると幸いです。
ネタバレありでOKな方は、是非こちらも参考にしてください。
この作品に対する☆評価ですが、
総合的おススメ度 | 4.0 | 暴力シーンやF*** Word 連発なんでね・・・ |
個人的推し | 5.0 | 最高です!傑作です!これを31歳が描いたんだ・・・ |
企画 | 4.5 | どうやったら思い付くんだろう、こんな企画 |
監督 | 4.5 | この群像劇が綺麗に交通整理されている! |
脚本 | 4.5 | 象徴的なシーンが一杯! |
演技 | 5.0 | 1人でも拙い演技をした人がいますか? |
効果 | 4.5 | 音楽が素晴らしい! |
暴力シーンや卑猥な表現が多いので、万人におススメできる映画ではないですね、残念ながら・・・
ただメチャクチャ面白いです。芸術性がどうとか、そんな小難しいことは忘れて楽しめる作品です。個人的には大好きです!何度見直しても、必ず新たな発見があります。
多くの才能あふれる俳優が、秀逸な脚本の下に集結して、それを鬼才監督が見事に交通整理して描いて見せた。そういうことです!
アカデミー脚本賞受賞。カンヌ国際映画祭パルム・ドール受賞
もう何年この映画を見返し続けて来てるんだろう