非公式情報ながら、キャリア10本目の監督作であり、引退作の脚本を書き上げたと伝えられるクエンティン・タランティーノ。彼の作品の特徴は、一般的には徹底して暴力と犯罪を描くことと言われている。
しかし、果たしてこの解釈は正しいのだろうか?これを検証するのが、この記事のテーマである。
何故なら彼の作品は、デビュー作のB級映画「レザボア・ドッグス」と大コケした5作目「デス・プルーフ in グラインドハウス」を除けば、他の7作品で3.5倍~26.8倍の費用対効果(=世界興行収入/製作費)を生み出し続けてきた。
すなわち、クエンティン・タランティーノはヒットメーカーなのである。こんなことが”暴力を描く”だけで実現出来るだろうか?世の中に、”お金を払ってまで暴力を観たい!”という層がどれだけ存在するのかな?!
そんな訳で、彼は”暴力を描いているようで描いていない”説を証明することをゴールに、クエンティン・タランティーノ作品の、6つの非暴力性を含む7つの特徴と意味について検証・解説していく。
商業的な成功
まずは何はともあれ、先に述べたヒットメーカーとしてのエビデンス(証拠)を確認しましょう。
クエンティン・タランティーノの過去の9作品(キル・ビル・シリーズを2つに分けて集計し、データは10公開分)の興行データを並べてみます。
# | 作品名 | 公開年 | 世界興行収入($) | 製作費($) | 費用対効果(倍) |
1 | レザボア・ドッグス | 1992 | $2,832,029 | $1,200,000 | 2.4 |
2 | パルプ・フィクション | 1994 | $214,179,088 | $8,000,000 | 26.8 |
3 | ジャッキー・ブラウン | 1997 | $74,727,492 | $12,000,000 | 6.2 |
4-1 | キル・ビル Vol.1 | 2003 | $180,949,045 | $30,000,000 | 6.0 |
4-2 | キル・ビル Vol.2 | 2004 | $152,159,461 | $30,000,000 | 5.1 |
5 | デス・プルーフ in グラインドハウス | 2007 | $30,949,555 | $53,000,000 | 0.6 |
6 | イングロリアス・バスターズ | 2009 | $321,455,689 | $70,000,000 | 4.6 |
7 | ジャンゴ 繋がれざる者 | 2012 | $425,368,238 | $100,000,000 | 4.3 |
8 | ヘイトフル・エイト | 2015 | $155,760,117 | $44,000,000 | 3.5 |
9 | ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド | 2019 | $374,343,626 | $90,000,000 | 4.2 |
10 | (仮) The Movie Critic | TBD |
ご覧の通り、「レザボア・ドッグス」「デス・プルーフ in グラインドハウス」の2作品を例外とすると、全ての作品が3倍、4倍、5倍、6倍、そして26倍の費用対効果を生んでいることを確認いただけると思う。
彼は間違いなくヒットメーカーなんです!
クエンティン・タランティーノ作品7つの特徴
それでは、クエンティン・タランティーノ作品の特徴について検証してみたい。
これまでタランティーノ作品を何度も見返し反芻してきた経験。
エゼキエル25-17を暗唱できるまで何度も練習した努力。
息子のあっつが良いことを言ったら、You have a big brain on your shoulder! と褒め、要らんところで口を挟んできたら、I don’t remember askin’ you the goddamn thing. と、いなすなど、どれだけタランティーノ・ワールドに浸ってきたことか。
加えて、世の中の情報だってちゃんとリサーチしてみた結果、以下の7つに集約できることが見えてきました
1. 暴力の描写
のっけから矛盾したことを書くようだが、当然の如くその特徴としては、この”暴力の描写”が挙げられる。実例を並べたら枚挙に暇がないが、
- 『レザボア・ドッグス』(1992)
- 人質に取った新米警官への拷問と殺害のシーン
- 『パルプ・フィクション』(1994)
- ギャングのボス、マーセラス・ワラスが監禁・暴行を受けるシーン
- 『キル・ビル Vol.1』(2003)
- 主人公「ブライド」が、日本の居酒屋で、ヤクザの兵隊と大立ち回りを演じるシーン
- 『キル・ビル Vol.2』(2004)
- 主人公「ブライド」が、かつての暗殺集団の仲間に次々と復讐を果たすシーン
- 『デス・プルーフ in グラインドハウス』(2007)
- 映画前半で、『耐死仕様』の車が女4人が乗った車に体当たりするシーン
- 『イングロリアス・バスターズ』(2009)
- 映画館に集めたナチスの高級将校を一網打尽に焼き殺す、機銃掃射するシーン
- 『ジャンゴ 繋がれざる者』(2012)
- カルヴィン・キャンディの死後、キャンディ邸でジャンゴと残党とが撃ち合いをするシーン
- 『ヘイトフル・エイト』(2015)
- 紳士服店での一連の銃撃戦のシーン
これらについては、ここでこれ以上説明を書き加えるのも野暮なので、列挙するだけで止めておきます。
2. 素早い画面切り替わり編集(ファストカット)の多用
タランティーノ作品の特徴としては、ファストカット(=素早く画面を切り替える編集を施す手法)が多用されている。
- 暴力シーンでは、暴力を受けた者の姿をじっくりと描写するのではなく、速い画面の切り替わりにより、ある種のリズムの下、暴力が起きたんだという事実だけが描かれていく。
上述の3。「キル・ビル」主人公”ブライド”が日本人ヤクザの身体を日本刀で切り付けまくるシーンも、沢山の暴力シーンはあるものの、それらは流れるように過ぎ去っていってしまう。
上述の5。「デス・プルーフ」主人公の”耐死仕様車”は、女4人の身体を無残に傷つけるが、(一部の例外を除いて)死後の遺体をまじまじと描写することはなく、どのように女4人の身体が損壊されたかというシーンが瞬間的に描かれ、物語は次のシーケンスへと進んでいく。
- 一方で暴力以外のシーンでも、ファストカットはスリリングな展開を描き出すことに用いられている。
代表的なのは、「パルプ・フィクション」の”ヴィンセント・ベガ”と”ミア・ウォレス”がツイスト・コンテストでダンスを踊るシーン。2人が一緒に踊る構図、それぞれをアップにする構図。これらがリズミカルに織り交ぜられることで、2人の仲が急速に深まることを示唆し、ストーリーのテンポが加速して行きます。
スリリングな展開作り、暴力シーンを必要以上にグロテスクにしないために、ファストカットが大活躍していることが分かります。
3. 巧みなセリフ回し
タランティーノ作品の特徴として、巧みに言葉を操るキャラクターが登場したり、無意味な会話をダラダラと話し続けるという演出が散見されます。
- 『レザボア・ドッグス』(1992)
- タランティーノ本人が扮するミスター・ブラウンが、マドンナの「ライク・ア・バージン」の歌詞に込められ意味について、独自の解釈を延々と語る。
- 『パルプ・フィクション』(1994)
- 主要キャラクターの2人が、ヨーロッパのハンバーガーショップ事情について微に入り細に入り情報交換する。
- 人を殺す前に聖書の一節風のくだりを暗唱してみせてから相手を銃撃する
- クリストフ・ヴァルツ『イングロリアスバスターズ』『ジャンゴ』
- 落ち着き払った態度から、洗練された口調を用いて、予め計算された方向に会話を誘導し、最後は相手が予想しなかった、あるいは相手が一番避けたかった帰結に話を帰結させます。
- これにより、一切触れることなくとも、ヴァルツが演じるキャラクターの、高い知性や施されたであろう優れた教育が垣間見え、本人の哲学思想まで示されて行きます。
こうした会話は全て、本人の信条や生い立ち、現在の生活様式を明示的に語るものではありませんが、そのキャラクターを深く理解する上で、大変重要な羅針盤の働きを示し、観る者のそのキャラクターへの愛着を、時として憎悪を最大限に増幅させます。
4. 非線形なストーリー展開
タランティーノ作品の特徴として、非線形なストーリー展開というのも挙げられますよね?
編集で出来事の時系列を分断して、順番を入れ替える編集を施し、ストーリーの流れを非線形(= 一直線でない)にするのが常套手段ですね。
- 『レザボア・ドッグス』(1992)
- 物語は、強盗事件の前と後を行き来しながら描かれ、登場人物たちの背景や人間関係が後から語られ、各キャラクターがより強く印象付けられます。
- 『パルプ・フィクション』(1994)
- 複数の登場人物のグループが、映画の進行に沿って絡み合って行くが、時間軸が前後することにより、出来事の帰結よりも、その瞬間瞬間のキャラクターとキャラクターのの関わりに焦点が当たります。
- 『キル・ビル』(2003) (2004)
- 物語は、基本的には主人公が復讐を果たすまでの過程を辿って行くが、復讐に至る発端やその過程が、過去の回想という形で途中に挿入されたり、順番が入れ替えられたりする。その為、その都度その都度、各復讐相手のキャラクターとの対峙に、自ずと焦点が当たります。
- 『ヘイトフル・エイト』(2015)
- 物語は、雪の降る山中の小屋での一夜限りの出来事を描いていますが、その山小屋に缶詰になってからキャラクターたちの背景が語られ、それが映画の後半でキャラクター間の関係を推し量る上で重要な意味を持っていくことになります。
出来事の順番を入れ替えることにより得られる効果ですが、暴力が描かれ、それに付随して人が死ぬ様がストーリー上にプロットされるのは事実なんですが、その”死”よりも、生前そのキャラクターがその瞬間瞬間に、他のキャラクターとどう関わりを持ったかに焦点が当たるための工夫なような気がします。
5. マイノリティーとされる人たちをフィーチャー
タランティーノ作品の特徴として、社会的にマイノリティーとされる人たちをフィーチャーするというのも挙げられます。要は、白人アメリカ人目線の題材選びや、白人アメリカ人ばかりが登場してくる訳ではないよということです。
- 『パルプ・フィクション』(1994)
- 白人ギャングヴィンセント・ベガの親友やボスは黒人である。
- 『キル・ビル Vol.1』(2003)
- 日本人や日本のヤクザ者の映画をフィーチャーしている
- 『キル・ビル Vol.2』(2004)
- 香港映画やメキシコ人をフィーチャーしている
- 『デス・プルーフ in グラインドハウス』(2007)
- 人種や国籍が織り交ざった生き生きとした女の子グループが描かれる
- 『イングロリアス・バスターズ』(2009)
- ユダヤ系アメリカ人をフィーチャーしている
- 『ジャンゴ 繋がれざる者』(2012)
- 作品のテーマその物が、黒人奴隷の目線で描いた西部劇
- 『ヘイトフル・エイト』(2015)
- 南北戦争の北軍の黒人少佐をフィーチャー
当たり前のように女性や、多人種、多国籍のキャラクターが登場して、(黒人を敢えてフィーチャーした「ジャンゴ」「ヘイトフル・エイト」という例外を除いて)その属性には一切言及がなされることはなく、チャラクターたちが交流して行く様が実に気持ちが良いですね。これぞ多様性!という描かれ方をしています。
6. ポップな音楽の採用
タランティーノ作品の特徴として、採用されている音楽がとてもポップ。必要以上にカッコイイ。なのでやたらとファッショナブルな印象に塗り替えられてしまうというのがありますね。
- 『レザボア・ドッグス』(1992)
- ジョージ・ベイカーの”Little Green Bag”
- 『パルプ・フィクション』(1994)
- ”Misirlou”、Jungle Boogie”、”You never can tell”
- 『ジャッキー・ブラウン』(1997)
- ボビー・ウーマックの”Across 110th Street”
- 『ジャンゴ 繋がれざる者』(2012)
- ”Django”、エンニオ・モリコーネの”The Braying Mule”
- 『ヘイトフル・エイト』(2015)
- ジェニファー・ジェイソン・リーの”Jim Jones at Botany Bay’、エンニオ・モリコーネの”The Hateful Eight Main Theme”
とにかくオシャレでセンスが良くて、文字通り耳を奪われてしまうんですよね。目の前の暴力シーンから目も奪われてるかも知れない。
7. オマージュによる構図の美しさ
タランティーノ作品には、過去の名作からパクった、過去の作品へのオマージュとして、流用された美しい構図がそれはそれは沢山出てきます。これは百聞は一見に如かずなので、こちらの動画をご覧ください。
筆者自身もそうでしたが、こんなにも沢山のオマージュが捧げられてたんですね。そしてこの動画で、それら構図がもたらす効果を改めて確認することができます。
こうした美しく効果的な構図を踏襲することで、作品の芸術性を各段に高めていることがご確認頂けると思います。
これら7つの特徴が生み出す効果
描きたいのは”人”
ここまでタランティーノ作品の7つの特徴を述べてきた。おさらいすると、
- 暴力の描写
- ファストカットの多用
- 巧みなセリフ回し
- 非線形なストーリー展開
- マイノリティーをフィーチャー
- ポップな音楽の採用
- オマージュによる構図の美しさ
でした。これを絵に整理するとこうなります。
そして、こうして眺めてみると、これら7つの特徴がどこに向かっているかと言うと、詰まるところそれは人、登場人物、キャラクターを如何に生き生きと描くかというところに向かっているように思います。全ては登場キャラクターに血を通わせるための創意工夫なんだと思います。
全ての作品が、手を変え品を変え意味するところは、人、人間なんじゃないでしょうか?想像の域を出ませんが、引退作にポーリン・ケイルという”映画評論家”を選んだのも、最後の最後に徹底して面白おかしく人間を描く決意をしたのではないかと筆者は想像しています。
圧倒的な独創性と商業的な成功
話を元に戻すと、こうして7つの特徴に命を吹き込まれたキャラクターが織りなすストーリーが、今度は作品としてどんな価値を創出するかと言うと、
- 鮮烈な映像美と空気感
- ダイナミックなストーリーテリング
- 優れたキャストの誘引
- 圧倒的な独創性
なんじゃないでしょうか。
目と耳から入って来る鮮烈な映像美と独特の空気感に支えられて、ダイナミックなストーリーテリングを実現し、そこに多くの優れた俳優陣がキャストとして誘引されていく(←安いギャラでも出演したがる俳優が多いと聞く)。それらが最終的には圧倒的な独創性にまで昇華されているのが、クエンティン・タランティーノ作品の人気の秘密なんじゃないかと思います。
これが、国や世代や属性を超えて観る者を引き寄せるので、芸術面の評価だけでなく、商業的にも成功を収めている要因なんじゃないでしょうか?
結論
こうやって概観してみると、個々のビジュアルが強烈なだけに印象に残り易い”暴力”は、実は沢山ある要素の1つに過ぎなくて、描きたいのは人、ストーリーの中心に据えたいのはキャラクター。
そんなクエンティン・タランティーノの人間愛の温かみがスクリーンを通してテレパシーのように伝わって来て、どの作品を観ても、彼がが生み出したキャラクターの誰かに必ず感情移入をしてしまう。
冒頭にご提示した仮説、タランティーノは”暴力を描いているようで描いていない”の中身は、こういうことでした。
まとめ
ここまで長々と、クエンティン・タランティーノ作品の特徴と意味について解説してきました。
それらによって創出される、”タランティーノ作品の価値”の言語化も試みました。
これらにより、クエンティン・タランティーノは”暴力を描いているようで描いていない”という筆者の主張に、少しでも同意して頂けると嬉しいです。
ホントに引退しちゃうのかな・・・